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2023年のアニメを振り返るぞ!(ブログ)

皆さん、あけましておめでとうございます。
2023年はそこそこアニメを観たので、年間10選に入れた作品を中心に感想文をしたためました。
本当はお正月過ぎたあたりに公開したかったのですが、ズルズルとタイミングを逃し続けて今に至ります。締め切りって大事ですね。
noteでしっかりアニメについて書くのは初めてなので、温かい目でご覧ください。
今回は特にランキングとかではなく五十音順に並べています。
ネタバレの嵐なので、未視聴で気になっている作品がある場合は読み飛ばしていただけますと幸いです。
※この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。


江戸前エルフ

寿命の違う二つの種族が交わるアニメは名作。
Xのフォロワーさんたちの、OPに合わせて「萌えすぎます!!!」と叫ぶ芸(?)のせいで「萌えすぎるアニメ」というイメージが先行していましたが、全然萌えアニメではありませんでした。

基本的にはいわゆる日常系のようなのほほんとした雰囲気なのですが、小糸とエルダの生きる時間の違いが根底にあるため、時折ふっと切ない表情を見せるのが印象的なアニメでした。
その空気感が最も表れているのが第6話「Stand by Me」です。
神事のため、スカイツリー上部の神域に向かって登っていく小糸とエルダ。
その道中、エルダは『竹取物語』の結末について語り、自らをかぐや姫と重ね合わせるかのようなもの悲しい表情を浮かべます。それを小糸は快くは思いませんが、巫女は入れないという神域を前にして、「エルダとは、最後まで歩けないんだ……」という物理的な距離以上の決定的な別離を思わせるセリフとともに立ち止まってしまいます。
この時点で私はもう泣き出しているのですが、これに対するエルダの回答が完璧でした。
「いいじゃないか。もう少し一緒にいてくれよ!」
これなんです。これなんですよ。
エルダは不老不死で、なんならかぐや姫のように異世界に帰ってしまうかもしれない。小糸は普通の人間で、どうしたってエルダと同じ時間を生きることはできない。
それでも、今だけはもう少し一緒にいてもいいじゃないですか。
この限られた時間の尊さを、エルダはよく理解しているのだと思います。
エルダの長い人生から見たら小糸と過ごす時間はほんの一瞬にすぎないけれども、それをわかっているからこそ小糸との日常を大切にできるのでしょう。そう思うと6話Aパートの執拗なダル絡みも途端に泣きアニメになってきます。
またあるとき小糸が「早く大人になりたい」と言うのに対して、エルダが「もう少しゆっくり大人になってくれ」と返すのは象徴的なやりとりです。
6話の神事は召喚者である徳川家康公に向けてのものですが、エルダがこのような価値観を抱くに至ったのは、かつての彼との別れがあったからこそなのかもしれませんね。
見てるか?家康……。

ちなみに「神事」とは「神意を伺う行為」であることが多いそうです。
「江戸前エルフ」ではいくつか神事回がありますが、そのたびにエルダの胸裡を明かしていくような構成は極めて理に適っていると言えるでしょう。
つまり……神事回があるアニメは名作!

自動販売機に生まれ変わった俺は迷宮を彷徨う

まず自動販売機に生まれ変わるってヤバくないですか?
主人公ハッコンは文字通り自動販売機になってしまい、動くこともしゃべることもできません。ただし、「いらっしゃいませ」のような定型の機械音声や光の明滅でわずかに意思表示をすることができます。
そのため、周りの人間たちは意思疎通しようと思ったら水平思考ゲームのようなやりとりを繰り返すことになります。
この「コミュニケーションが困難である」という部分が掴みであり核心でもあるのがミソです。

例えば、ハッコンは問いかけに対して肯定の意を示す場合「いらっしゃいませ」、否定の場合「ざんねん」という音声を発します。
必然的にセリフは「いらっしゃいませ」「ざんねん」が大半を占めるのですが、視聴者はだんだんそれで会話(会話か?)が成立していることに快感を覚えるようになっていきます。
そのうち「いらっしゃいませ」を渇望するようになり、「いらっしゃいませ」がどんな決めゼリフよりもカッコ良く聞こえるようになるのです。
視聴した方なら一度はここ一番の「いらっしゃいませ」でガッツポーズしたことがありますよね?

また、本作におけるコミュニケーションの難しさは単なるエンタメ要素には留まりません。
ヒロインのラッミスは、通常の言語による会話ができないにもかかわらず、ハッコンに対して強い信頼感を覚えています。これはハッコンの主人公然とした、さまざまな男気溢れる行動を受けてのものです。
さらに突っ込んで言うと、ハッコンの行動の奥に自分へのポジティブな感情があると解釈した結果であると言えるでしょう。
私はここにコミュニケーションの真髄があるような気がしています。
突き詰めて言えば、会話ができようができまいが同じことです。
言葉や仕草から相手が何を考えているか推測して、自分なりの結論を信じるしかないのです。その本質を、自然な形で肯定的に描けているのが本作の最大の魅力ではないでしょうか。

他者を理解すること/そもそも理解などできないのだということ、これは創作においては頻出のテーマかと思います。
本作のハッコンとラッミスの関係性は、このテーマにおける新たなモデルケースとして非常に興味深いです。
幸いアニメ2期があるようなので、二人の行く末をあたたか~く見守っていきたいですね。

葬送のフリーレン

ここ20年で観てきたアニメの中で最も素晴らしい作品です。
初回放送が金曜ロードショーと聞いた時には、持ち前の逆張り精神が発動してさすがに眉をひそめたものですが、初回放送分だけで映画と言われてもおかしくないクオリティでした。
繰り返しになってしまいますが、寿命の違う二つの種族が交わるアニメは名作なんですよね……。
間違いなくアニメ史を塗り替えることになるであろう本作について、その魅力の一端を少しでも多くの人に知ってもらうべく簡単にご紹介します。

さて、皆さんは「レスレリアーナのアトリエ」というスマホゲームをご存知でしょうか。「アトリエ」シリーズの最新作で、アイテムの調合がメインコンテンツとなっています。調合とは、キャラクター2人と素材1つという3つの要素を組み合わせてアイテムを作成する、というものです。
前置きが長くなりましたが、本作を支える土台になっているのも3つの要素の組み合わせかと思います。
それは「勇者ヒンメルの愛」と「過ぎ去った時間の尊さ」、そして「前者2つの価値を知らないフリーレン」です。
エルフなので人の心にも時間の流れにも疎いフリーレンが、少しずつそれらの価値に気付く・実感していく……、というのが屋台骨になっています。
これだけでも極上の設定なのですが、あくまでメインストーリーは現在の仲間との旅路なのがポイントです。
基本的には現在の旅中に起こるいい感じのエピソードにフォーカスしつつ、追い打ちをかけるように過去の想い出がオーバーラップしてくる構造になっているのです。
その想い出がたとえ些細なことでも、いや些細なことほど眩しく感じられるような気がして、実質ガード不能コンボなんです。
私もたまに母校の学園祭に行くと「学生時代無為に過ごしたあの時間は貴重だったんだなぁ……」などと思うことがありますが、それの究極のやつだと思ってください。

さらに、上記のエモさにやられて油断していると、突然少年マンガの顔をして攻めてくるところも本作の魅力の一つです。
少年誌で連載されているファンタジー作品でバトル展開が無い方が不自然と言えばそうなのですが、とにかく緩急がすさまじいことになっています。
バトル描写で特にテクニカルだったのは、フェルンが「人を殺す魔法」をあっさりガードしてみせるくだりです。
いかにも強そうな「人を殺す魔法」を楽に弾いたフェルンは、「……今のは一般攻撃魔法です。」と言い不可解な表情を浮かべます。
そうなんです。
かつてのヤバい敵が使っていた「人を殺す魔法」ですが、80年の時を経てインフレが進んだ現在では「一般攻撃魔法」と呼ばれる普通の魔法になっていたのでした。過ぎ去った時間の重みを感じさせる本作らしいエピソードで、技アリの1話です。
相手が相対的に弱くなっており、それをナチュラルに煽るフェルン、という構図はキャラクター性的にも味わいがありますよね。
また視聴者目線「銅像の錆を綺麗に取る魔法」「花畑を出す魔法」からの「人を殺す魔法」なので、いよいよガチなやつが来たかと多少身構えて観ています。そういった心理も影響してか、ここはかなり意表を突かれました。

言いたいことはまだまだあるものの、ちょっともうすべてが素晴らしいのでとてもここでは語り尽くせません。
アニメでは「一級魔法使い試験編」にさしかかっているところで、「○○試験」をするアニメは名作の法則がまた実証されてしまいました。
今後の展開は未知数ですが、完結までに新たな名作アニメの法則をどんどん生み出してくれることは疑う余地が無いでしょう。

デキる猫は今日も憂鬱

女の子がお仕事をするアニメです。
いや、猫が主夫をするアニメでした。
主人公の幸来は普通のOLで、家事全般をこなしてくれる飼い猫の諭吉と一緒に暮らしています。諭吉はもはや本当に猫と呼んでいいのか疑わしいレベルの存在ですが、真面目な話、諭吉を猫として見るかどうかで楽しみ方が変わる作品かもしれません。
というのも、諭吉は見た目が猫で会話ができないというだけで、社会的な役割としては完全に主夫として描かれているからです。
幸来もたまに猫扱いこそしますが、基本的には一人の人格として対等に接しているように感じられます。
つまり、人間と猫ではなく、人間と人間の共同生活として見ることができるのです。

ではなぜ諭吉が猫なのかと言うと、それは性的な要素を排除するためではないかと考えています。
もし二人の人間が一つ屋根の下に住んでいたら、それが異性同士であれ同性同士であれ、どうしてもよからぬことを想像してしまいます(中学生)。
しかしあくまで人間と飼い猫であれば、そういったノイズに惑わされることがなくなります。まあ動物なら安心かと言うとそうとも限らないのですが、一般的には問題ないでしょう。
これは肉体的な関係性に留まらず、精神的な側面も含めてのものです。
恋愛感情を一切匂わせず純粋なパートナーシップを描く、そのために「人間×限りなく人間に近い猫」という構図が必要だったのではないでしょうか。
これならアニメに男が出てくるとアレルギー反応を起こす人たちも安心ですね。
ちなみに萌豚としての私はいわゆるカプ厨なので、かわいい女の子にはバシバシ恋愛してほしいと思っています。一方声豚としての私は、どちらかと言えば男性性を忌避するきらいがあるのは否めないところです。
心がふたつある~~。

またもう一つの本作の注目すべきポイントは、日常的な風景としての労働の捉え方にあります。
よく仕事とプライベートを分けて考える人がいますが、本作では表裏一体のものとして描かれています。
もしくは連続したものと言った方が正確かもしれません。
幸来にとってそれぞれ個別のものではなく、どちらも生活の一部として相互に影響しあっているように見えて非常に好感が持てました。
大谷翔平さんのプライベートは野球のための身体作りの一環なので実質仕事、みたいな話に近いかもしれません。
私自身も、幸来のような真にメリハリのある働き方がデキる人になりたいですね。

BanG Dream! It's MyGO!!!!!

履修漏れ補習の一環として今年に入ってから一気に観ました。
一部の有名なシーンやセリフだけ知っている特殊な状態で観たので、ジョジョのアニメみたいな気持ちで楽しめました。
楽しみ方の是非はともかく、セリフが有名ということはそれだけキャラクターの言動が評価されているということでもあります。
良くも悪くもキャラクターのクセがすごいので、いかに感情移入できるかにすべてがかかっています。
そういった面から着目したいのが、長崎そよへのヘイトコントロールを中心とした心理誘導です。

皆さんも知っての通り、そよはかなりの問題児です。
人によっては終盤の言動を受け入れがたく感じる方もいるでしょう。
ただ、そうした歯に衣着せない感情の発露が本作の持つ最大の魅力であるのも事実です。
私も全話観終わる頃にはすっかりそよが愛おしく思えるようになりました。
ではなぜこんなヤバい人に感情移入できたのでしょうか。
それはもちろん懐古主義への賛同でもあるのですが、もっとシステマチックにヘイト管理・心理誘導が為されていたのではないかと考えています。
どういうことかと言うと、例えばそよ最大の爆弾は「愛音(と楽奈)はいらない」という趣旨の発言かと思いますが、これが問題となるのは視聴者にとって千早愛音が必要不可欠な存在である場合に限ります。
でも皆さん一度は思いませんでしたか?
「この愛音ってヤツいらなくね……?」と。
序盤に特有ではありますが、愛音は空気が読めなくていつ地雷を踏み抜くかわからず、そもそもバンド活動に対する温度感が他キャラクターとかけ離れています。もし視聴者が無意識にでも愛音をいらないと思っていたならば、それはそよに対してある種の共感を抱いていることに他なりません。
つまり、そよが悪者になりすぎないように愛音にヘイトを集めている、と見ることができるのです。

また、そよの見せる異常なまでのCRYCHICへの固執についても、上記と同様に共感の余地が用意されています。
本作の視聴中、私たちは常に思っていたはずです。
「結局豊川祥子ってなんで辞めたの?」と。
最終話まで引っ張られることになるこの謎が、実はそよの心理的擁護に一役買っています。
なぜならこの疑問はそのまま祥子への不信感につながっており、祥子のそよへの断固とした拒絶の態度は、私たちの目にはあまりにも理不尽で一方的な物言いに映るからです。
もちろん祥子にはなにかしらのっぴきならない事情があったのだろうということは想像に難くないですが、その事情が視聴者にも(明確には)明かされていなかったというのが重要です。
特に8話の半狂乱になったそよが祥子に泣いてすがりつくシーンでは、祥子の対応はとりわけ冷たく描かれていました。
たしかにそよは自分のことしか考えていませんでしたが、かたくなに対話を拒む祥子にもいくらか非があるように感じられます。
逆に、もし視聴者目線で祥子の抱える事情がつまびらかにされていたとしたら、祥子の冷酷な態度に正当性を見出してしまうかもしれません。そうなったらもうあのエピソードをそよに肩入れして観ることは難しいでしょう。
ここで祥子にある種のヒールを演じさせることで、ギリギリそよの心情に寄り添えるように配慮が為されていたと言えるのではないでしょうか。

ちなみに、先述の「愛音いらない問題」については「私、いらないんでしょ」という自虐を本人の口から言わせることでフォローしています。
いくら心のどこかでいらないと思っていたとしても、そこまで言われるとさすがにかわいそうだし「いや、このアニメにはお前が必要だ!」という気持ちにもなるというものです。
そんな風に巧みに心理を誘導し、視聴者の感情をも迷子にしてしまう迷作……いや名作でした。

レベル1だけどユニークスキルで最強です

やっとここまで来ました……このアニメについて語るためにnoteを書き始めたと言っても過言ではありません。
2023年もさまざまな名作アニメがありましたが、最大瞬間風速ではおそらくこれが一番でした。
あまり話題にはなっていなかった隠れた名作なのですが、こういう作品に出会うためにはやはり自分の目ですべてのアニメを観る必要がありますね。

主人公の佐藤 亮太は、ブラック企業で働くサラリーマンでしたが、突然異世界に転移してしまいます。その世界は、あらゆる物がダンジョンのモンスターからドロップすることで成り立っています。
一見かなり意味不明ですが、創作において重要なのは設定そのもののリアリティではなく、そこに意味や意図があるかどうかです。
では「あらゆる物がダンジョンでドロップする」とはどういうことでしょうか。
ここで言う「ドロップ」とは、つまるところ「報酬」です。
これは、本作を含めた一般的な異世界・ゲーム世界において、モンスターなどを討伐した対価として報酬がもらえるシステムのことを指します。
普通の異世界なら、本職の冒険者にとってもそれはあくまでインセンティブ程度のものに過ぎませんが、本作では違います。
本当にあらゆる物がドロップするため、ダンジョン稼業で生計を立てることが可能なのです(ドロップ品の換金を含む)。
さらに論を進めると、ダンジョンでモンスターを討伐するという「労働」に対して、目に見える形で「報酬」がもらえる世界、という見方ができるでしょう。
ここで主人公リョータの設定が活きてきます。
彼はブラック企業の社畜であり、過重な労働に見合った対価を得られているとはとても言えない状態でした。
しかし、この世界でのドロップステータスがオールSだったことで、ようやく十分な報酬がもらえるようになったのです。
また、リョータの身の上を知った本作のヒロイン・エミリーは、「人の頑張りは必ず報われる」という信条の元でリョータの半生を肯定してくれます。
仕事に忙殺され人間関係が希薄だったリョータにとって、エミリーとの交流は心の底で渇望していたものです。
「あなたはすごく頑張ったと思うです」というエミリーの言葉もまた、これまでの努力の対価としてリョータが得るべき報酬の一つでした。

上記のエミリー⇒リョータに見られる人間性の尊重は、第7・8話のリョータ⇒セレストにも深く描かれています。
セレストは火炎魔法を使ってゴミ処理をする仕事に就いていましたが、とても燃費が悪いため無能な底辺労働者として周囲から不当な待遇を受けていました。仕事中に倒れたところをリョータに助けられたセレストは、思わぬ人の温もりに触れたことで自然と涙を零してしまいます。
本当に、作品タイトルやキービジュアルからは想像も付かないほどハードな人物設計です(ちなみにエミリーはダンジョンで暮らすホームレスでした)。
また、セレストの精神的な救いが描かれる8話には特筆すべき映像表現が用いられていました。
ダンジョンマスターとの戦いの最中、MPが枯渇して倒れかけたセレストに、「能力より身体の方が大切だ」とリョータは言います。
身体を壊してでも働くのが当たり前だったセレストは、そのように人間的な気遣いをされるのは初めてでした。
その言葉をきっかけに奮起したセレストの活躍もあり、見事ダンジョンマスターを討伐するのですが、この時のセレストの心情描写が非常に秀逸です。
満身創痍のセレストの脳裏には、これまでに受けた非人道的な扱いが走馬灯のように浮かび、同時にその心象風景としてゴミの山が築かれていきます。
しかし前述のリョータの言葉が炎となり、セレストの心に降り積もったゴミの山を一瞬で燃やし尽くしてしまうのです。
普段アニメの映像に無頓着な私ですが、この表現を観た瞬間の衝撃は筆舌に尽くしがたいものがありました。
原作でこのシーンがどのように描写されているかまでは確認していませんが、アニメにしかできないやり方であり極めて力強い表現だと感じます。
さすが柳瀬雄之監督が自ら演出を手がけた回だと言わざるを得ない仕上がりでした(なお他に監督が演出まで務めているのは1話と最終話のみ)。
よかった……この回見逃さなくて……(画像無し)。

そして、以上のことから本作は一種のお仕事アニメであると結論付けることができます。
やはりお仕事をするアニメは名作なのです。

おまけ

10選に入れたけど触れてないものやその他について、ちょっとだけ書いていきます。

AIの遺電子

いわゆるアンドロイドやAIが当たり前になった時代の近未来SF作品です。基本的に1話完結型ですが、主人公の家庭の事情が全体の縦軸になっています。SFでありがちなテーマがバンバン出てくるので観ていて嬉しくなりました。作風が硬派な反面、ヒロインが直球ド真ん中の萌えキャラなのもポイント高いですね。

【推しの子】

履修漏れ補習の一環として今年に入ってから一気に観ました。(2)
観てから改めて「アイドル」を聴くと初回90分の重要な部分全部言ってて感動します。
星野 愛久愛海(ほしの あくあまりん)さんのことが好きすぎるし、やっぱり主人公が闇ぶって復讐を目論むアニメは名作なんですよね。
『七つの魔剣が支配する』然り、復讐劇の主人公には無条件で肩入れしたくなってしまうものです。

まだまだこれからの作品というイメージですが、アニメ化された範囲だと第7話「バズ」は衝撃を受けました。6話の重いタメを経てようやく一件落着……と見せかけて引きで終わるのが強すぎてもう絶叫です。
「これワンチャンお目々星型あるか……? 来いっ……お目々来いっ……お目々星型きたああああああああああ
『ドラゴンボール』と言えば超サイヤ人、『【推しの子】』と言えばお目々星型(これ名前あるんですか?)みたいなところありますからね。
いかにもゲストっぽいキャラクターがレギュラー昇格してくるの嬉しすぎる……。
あと恋愛リアリティ番組のくだり、暗い問題を扱いつつも出演者には誰もイヤな人がいなかったのは好印象でした。こういう題材で特定のキャラクターにヘイトを集めずに鬱展開ができるのは令和を感じますね。

幻日のヨハネ -SUNSHINE in the MIRROR-

率直な感想として、この人たちこんなにかわいかったっけ……となりました。「『ラブライブ!サンシャイン!!』のラブライブ!抜き」とも言える本作ですが、それは物語としての展開面に留まりません。
キャラクターの個性は概ね据え置きで、生い立ちや関係性のみが巧みに再配置されています。また作中世界での設定(ジョブ)に基づいたビジュアルもメルヘンチックに洗練されていました。

キャラクターのお気持ちについて言うと、デフォルメされている分原典より欠落や願望がわかりやすいのかと思います。
ヨハネがマイナスからゼロに向かっていく流れ、特に第6話「ひとみしりのハーモニー」での結実は見事でした。
あとこれ、実はちょっとお仕事アニメなんですよね……(お仕事厨)。

スパイ教室

極上のアニメです。
私は単細胞生物なので、ことごとく本作の術中に嵌まっていた自信があります。だってまさか8人目がいるとは思わないじゃないですか?
そういう意味では最も自分にマッチした作品であると言えるでしょう。
でもグミめちゃくちゃ買ったのにグレーテだけ出なかったんですよね……。

冰剣の魔術師が世界を統べる

令和の『聖剣使いの禁呪詠唱』かと思ったらよりシリアスなお話でした。
どちらかと言うとしっかり『魔法科高校の劣等生』ですね。
内田真礼さんのED曲「ラウドヘイラー」が毎回オーバーラップしてくるの気持ち良すぎる!!!

ライアー・ライアー

ゲームをするアニメは名作。
信じられないくらいおもしろい作品なのですが、アニメではどうしても説明不足になる部分がありました。特にゲームのルールについては致命的で、そこをしっかり理解できていないと主人公がなぜピンチなのか、またいかに華麗に逆転したのかが伝わらないのです。
原作は本当におすすめなので、騙されたと思って読んでみてください。
作中に登場するゲームは打線が組めるくらい全部好きですが、特に印象深いのは彩園寺更紗と共闘した「ドミネートポーカー」です。
やっぱりイカサマの基本は通しなんですよね。

ライザのアトリエ 〜常闇の女王と秘密の隠れ家〜

なんてことない島の、なんてことない農家の娘が、錬金術に出会い冒険に目覚めていくお話です。
それがすべてなんですけど、その術は私に大変よく効きます。
ライザの目に映る世界がどんどん広がっていくさまが鮮やかに描かれており、少女のひと夏の冒険として完璧な仕上がりとなっていました。
ものすごいインパクトがあるわけではないものの、本当に美しいものが一つだけ描かれているタイプの作品です。

1~3話にかけての期待の高まりが表れている

いかがでしたか?
アニメのことをじっくり考えていると楽しくなってしまい、なかなか筆が進みませんでしたがなんとか書き終えることができました。
各アニメの素晴らしさが少しでも伝わっていれば幸いです。
ちなみに今回のこだわりポイントは、『葬送のフリーレン』の項で小学館の表記ルールに準拠してセリフに句点を打ったところです。
原作未読ですが、『葬送のフリーレン』は作風的に句点だらけでもそこまで違和感なさそうですよね。

振り返ってみると、2023年は本当に豊作の年でした。
令和のアニメインフレがどこまで行ってしまうのか、期待が高まるところですね。
今年はまだ『ダンジョン飯』と『ぽんのみち』しか観ていないので、皆さんからの有力な情報をお待ちしております。

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