色覚異常としての生きられた経験
すずきゆーだい(@szkyudi)です。普段はソフトウェアを作る仕事をしています。
この記事は、先日開催されたアクセシビリティカンファレンス福岡2024というイベントを感じたことを色覚異常としての生きられた経験として普遍的にまとめました。
色覚異常とは
僕の場合は先天的なもので、「赤色と茶色」や「薄ピンクとグレー」、「緑色と茶色」などが区別しづらい色になります。
生きられた経験とは
つまり、この記事の文脈で言えば色の区別がしにくいなどの事実ではなく、その事実が障害当事者の人生にどのような影響を与えてきたかという観点を重視した言葉になります。
経験から振り返る
色覚異常というのは比較的当事者も多く、知っている人も多い障害のひとつだと思います。
しかし、生きられた経験というのは当事者でないと想像しづらいと思うので、当事者である僕から赤裸々にお話しできればと思います。
症状からくる経験
色覚異常の症状を知っている人は多いと思いますが、それに付随する経験も数多くあります。例えば以下のようなものです。
白だと思っていた服が薄いピンクだったりするので区別が苦手な色の服は買いづらい
「あそこの茶色いやつ取って」のような色を使った情報伝達がしづらい
紅葉などの色の違いを魅力としたコンテンツを楽しみづらい
挙げるとキリがないですが、これらは実際に僕が経験してきたものの一部です。
制限されることはありますが、嫌いな食べ物があるのと同じようなもので、そこまで不便ではないというのが僕の考えです。
理解されやすいがゆえの経験
理解してくれる人が多いのは嬉しいことですし、支えになりますが、それゆえの経験というのもあります。例えば以下のようなものです。
色覚異常を表明して空気が重くなると気まずいしあまりいい気はしない
色覚補助メガネを使っても今までの経験が消えるわけではないので、あまり興味がわかない
「何色に見える?」と聞かれて純粋に面白がってくれるのは意外と嬉しいし楽しい
特別扱いしてほしくないという障害者の方が多いと聞きますが、この記事を書いていて僕も再認識することができました。
何かを諦めた経験
制限があるために、できないわけではないはずなのに諦めてきたこともあります。例えば以下のようなものです。
色名が書いていない色鉛筆やカラーパレットでは色を多用するのは諦めて、白と黒を中心に使う
色による判断の比重が大きく、区別が苦手な色を使っているゲームはプレイするのを諦める
色を扱う仕事は自分には向いていないと思い込んで諦め、違う道に進む
諦めた経験は大小様々ありますが、こうやって振り返ると悔しい気持ちと同時に、奮い立たせる何かがあることにも気づきました。
障害ではなく特性として活かす
過去の自分は、色覚異常を障害と割り切って生きてきました。というのも障害であるという先入観から、ネガティブな考えや行動をしてきました。
しかし、振り返ってみると、障害ではなく特性として他の人とは違う感覚を持っていると考えることができるようになりました。
僕は普段ソフトウェアを作る仕事をしています。そのため、この特性を活かして、色覚異常の人はもちろん、あらゆる障害や特性を持った人でも不自由なく使うことができるモノを作っていこうと決意を改めました。
最後に
この記事では、僕が持つ先天的な色覚異常からくる様々な「生きられた経験」を振り返り、今ではそれを特性と捉え、これからの仕事や人生に活かしていこうと決意を改めるまでのお話をさせていただきました。
内容はあくまで個人の考えであり、特定の組織や集団の考えを代表するものではありません。人の数だけ違う考えがあることをご理解ください。
また、僕の経験についてもっと知りたい人や話がしたいという人は、遠慮なく聞いていただいて大丈夫ですし、この特性を活かして協力してほしいことがある人がいれば、積極的にお手伝いするので気軽にお声がけください。