結ばれたことばたち
2023年7月15日(土)〜7月17日(月)にsoko station 146にて行われた〝ことばの赤い糸展〟について書いていきたい。
ことばの赤い糸展とは
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ことばの赤い糸展とわたしの出逢い
ことばの赤い糸展に出逢ったのは、2023年の5月のとある日だったと記憶している。
心が豊かになる言葉に触れることがすきで、普段から、本を読んだり映画を観たりしては、言葉を集めることを趣味の一つにしているわたしにとって、Twitterのタイムラインに流れてきたその展示の名前と内容にキュンとしたのだ。
多分、最初は芙実さんが関わっている展示だということにも気付かなかった。
誰がやっているということではなく、この企画の名前と内容に惹かれたのだ。
正直、クラファンのリターンの内容を見た時、何よりも当日展示スタッフとして一緒に運営したい、どっぷりとその空間を味わいたいと思う程だった。
(もちろん芙実さんが関わっていることを知り、さらにチームの皆さんは企画でメシを食っていくの方々だと知り、より一層そう思えたんだけれど。)
しかし地方民で、休みがどうなるかもわからない。そんな中スタッフになれる権を選ぶのは憚られて、こんなツイートをしたらいっぽさんと行けることになった☺︎
今回のように良いことや、うまくいくことばかりじゃないかもしれないけれど、心の中に留めるだけで終わらせず、ひとまず場に出してみることをこれからもしていきたいな。
結ばれたことばたち
ことばの赤い糸展
物語を擬似体験し、結末を自分で選択していく体験型の展示では、最後にスタッフの方に「じっくり読まれていましたね」なんて声をかけてもらえるほど、とてもじっくり読んだ。(粋な返しができる人になりたい〜!)
これまでのわたしだったら、寄り添ってもらえるようなやさしいことばを選んだだろうけれど、たった今のわたしが受け取りたいことばは、愛があるけれど突き放してもくれるようなことばだ、なんて考えながら、ひとつひとつの物語を味わった。
「選択する」というのは、簡単なようで難しい。
直感に従うこともできるけれど、この展示でのわたしは、頭と心を使って、吟味して、自分で選択した。
そんなの当たり前だと思われるかもしれないが、誰かの選択が正しく思えて、誰かに決めることを委ねたり、ついていきたくなることがあるわたしが、周りを気にせず、自分で選択するということを積み重ねる。
そんな経験ができた実感もあった。
それに普段、どんなことばを受け取りたいか、なんて考えることがないし、ことばを選ぶということ自体が新しい経験だったなとも思えた。
しかも、その先にわたしの運命のことばが待っていた。
わたしの運命のことば
正直、このことばをいただいてすぐは、ピンとこなかった。
どう解釈しようかとちょっと迷った。
でも、家に帰ってから、少しずつゆっくりと解釈してみた。
最初に思い浮かんだのは、ギリシア神話に登場するイーカロス。
羽というキーワードに引っ張られたから、かもしれない。
因みに、イーカロスとは?
この神話は、人間の傲慢さが自らの破滅を導くという戒めの意味もあるわけだけど、そういえば、ここ2,3年前までのわたしは、「休む」ということができなかったことを思い出した。
多少体を壊しても、心を壊しても、そんなことには気づかないふりをして仕事に邁進してきた。とはいえ、胸を張れるような成果もなく、日々自分を消耗させるような生き方をしてきたような気がする。
これは、ある種の傲慢さでもあると感じるのだけれど、自分の力を過信して、無理し続けてきたのだ。
でもふと、この2,3年の間にどうにも無理できなくなって、立ち止まった瞬間があった。あえて立ち止まって、自分を見つめ直したこともあった。
そこで、分かったことがある。
羽を羽ばたかせ続けることなんてできないように、
わたしも進み続けることや動き続けることなんてできない。
羽を持つものが羽を休めるから、遠くまで飛んでいけるように、
人間であるわたしも、きっと休むことで、前に進むことができる。
休むことができるから、強くもいられる。
いつの間にかわたしにも羽を休ませられる場所ができていた。
それは物理的な場所という意味でも、精神的な場所という意味でも。
まさに、わたしの運命のことばそのまんまだった。
今もたまに休むのを忘れることがあるけれど、このことばをお守りにしたい。
BAR MUSUBU
会話を通して、ことばのバーテンダーが今、届くべきことばをセレクトしてくれるというのに、わたしは何を話そうか悩んで固まってしまった。
この場に限らず、いつでも、誰に対しても、どんな場でも何を話したらいいだろうと言葉に詰まるところがある。
話すテーマがあった方がまだ話せるけれど、多くの場合、内省したいわたしやちゃんとしたいわたし、話し相手のことを考えすぎるわたしが出てきて、スラスラとは話せないことや空回ることが圧倒的に多い。
何でも話していいとなるとより一層困ってしまうのだ。
今回、結局はその場で感じたことをそのままに伝えることにした。
わたしの仕事や置かれている状況を伝えた上で、今が嫌なわけじゃないし、みんなと同じようにありたい、行動したいと思っているわけでもないけれど、でも、この場にいる皆さまがとても素敵に見えることを話した。
そんなわたしに、ことばのバーテンダーがすぐに出してくれたのがこのことばだった。
わたしに届くべきことば
まるでことばの魔法使いかと思ってしまうほど、スッと出てきた。
自分を卑下するわけではなく、周りにも目が向いていること、周りを見れているから、周りの輝きにも気付けていることを教えてくれた上で、だから次は自分に向いたら良いということを教えてくれた。
しかも、ありがたいことに、このことばを大切にしてきたミエさんがすぐ目の前にいたのだ。
「自分を向いて歩くことで、周りも幸せになる」と話すミエさんが強く輝きを放っているように感じられて、わたしもこうありたいと思った。
わたしはわたしで、わたしに向かって行こう。
なんだかスッとこのことばを受け取ることができた気がする。
『おわりに。』
運営チームのリーダーである藤田隼輔さんが書かれた『おわりに。』が出口付近に展示されていた。
こうツイートしてしまうほど、この『おわりに。』にグッときた。込み上げてくるものがあった。
それにも関わらず、言葉を大切なものとして持ち続ける理由を、
と表現されていた。
これにグッときたのだ。
わたしもその時の感情や空気感を思い出すために、ことばを大切なものとして持ち続けたい。
だとしたら、わたしもことばの赤い糸展での体験を言葉にしてみよう。
そう思って、このnoteを一週間かけて仕事終わりにちょっとずつしたためた。
わたしは、ここで出逢ったことばたちを、これからも大切にしていくだろう。
そして、ここで出逢ったことばたちが、このnoteが、きっとこの日のことを思い出させてくれる。
感謝と希望
当日、わたしを待っていたのは、優しく繊細で、研ぎ澄まされていて、心地の良い温かな体験の場だった。
でも、見た通りの素晴らしく綺麗で素敵なものだけではなく、企画の裏側を考えたら、きっととてつもなく大変だったはず。
だから、そう簡単には言えないのだけれど、それでも言わせてほしい。
また皆さんの作ったものを見たい、体験したい。
いつの日か、また皆さんの企画と出逢えますようにと願わずにはいられない。
ことばの赤い糸展の企画、開催をしてくれた皆さまに敬意と感謝を込めて。
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