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「サブカル男は40歳で鬱になる」理由を考えてみた
昔から、自分の好きなもののジャンルを言うことにためらいというか、戸惑いというか、難しいものを感じたままである。
「サブカルチャー」というとあまりにも概念が広く感じてしまうが、いわゆる「狭義のサブカルチャー」ということになると思う。具体的に言えば幻想絵画、耽美系、アングラ、オルタナティブ・コミックなどで、いわゆるYouTuberの「好事家ジェネ」氏が動画にしているようなもの、といえば分かりやすいと思うのだが(そうか?)。
そんな感じで、学生の頃も社会人になってからも、趣味を語ることにためらいがあった。わかり易い表現で「オタク」があるが、オタクというほどアニメや漫画、特撮を見ていないし、そもそもここ10年くらいテレビをまともに見ていないので、最新のものも見ていないのである。
以前は「オタクですか?」という問い掛けに「まあ…オタクですね」という言い方をしていた。これは「まあ、(趣味はいろいろあるけれど、あなたのような人でも分かるような分類で言うと)オタクですね」という、私なりにかなり考えた言い方なのだが、その後「最近何のアニメ見てますか?」という問いには答えられないので、本当にオタクなのかと疑われるのであった。元々、「どうせ言ったところで理解されないだろう」という諦めのようなものがあって、深く語らないのである。
「サブカル男は40歳で鬱になる」というのは吉田豪氏が様々な人へのインタビューで、相手から共通して出てきた言葉であるというが、私も40を過ぎて発達障害からの鬱病の傾向と言われたので、確かにその通りなんだと思う。「40歳で鬱になる」理由を私なりに考えてみたけど、それは「自分の好きなジャンルがだんだん消えていくのでは?」という恐れなのではないだろうか。元々新しいものを探すのがすごく難しいジャンルだし、今となっては問題のあるコンテンツ(鬼畜系とか)も多い。露悪的な部分も含めて拡大していったコンテンツだと思うので、今から新しいものを求めても、既視感しかない…ということが多すぎるのである。
例え話をすると、アングラカルチャーのライターで、主に薬物の分野で活躍した青山正明という人がいた。彼は鬱病になり、赤いきつねを食べて首吊り自殺をしたのだけど、大昔に彼の出した「危ない1号」という雑誌があり、私が中学生の時に買って愛読していた覚えがあるのだが、いつの間にかなくしてしまったので2024年の年末に買い直した。懐かしく読んでいるのだが、当然ながら初めて読んだときの衝撃は感じられない。これと同じで、あまりにもニッチすぎるジャンルを好むがあまり、何を見ても既視感を感じてしまう、ということなのではないだろうか。そして過去語りしかしなくなってしまうのである。