流行語について
少し前のこと、ぼんやりとテレビを眺めていたら「流行語大賞」の話題が放送されていた。どんな言葉がノミネートされたのか、今年はどんなことがあったか、なんてテレビ画面の向こう側は盛りあがっていたが僕は「今年ももうそんな時期なのか」と思ったくらいで特に何の感慨があるわけでもない。適当に流し観ていた。
テレビにも飽きてふとスマホを見てみると、SNSでは件の流行語大賞に関してのご意見がたくさん流れてきていた。そのご意見は概ね否定的なものばかりで「なんでこの言葉があってあの言葉がないんだ」とか「もうやめちまえよこんなもん」とか、さんざんな感じである。これはもうずいぶん前から起きてる現象で、流行語大賞をとにかく腐したいという願望の人がたくさんいてその人らがわーわーと私見をSNSで垂れ流すのだ。別にほっときゃいいだけのことなのにずいぶんご苦労なことだと思う。中には「ノミネートされてる言葉、ひとっっつも聞いたことねえよ」と豪語なさっている方もいる。それは別に誇ることでもなんでもないわけだが、この手のことを発信なさる方はなぜか得意気になって鼻をクンクンさせている。
凡庸であることを認められないんだろうな、と思う。自分は凡庸な存在ではなく特別でスッペシャルなかけがえのない存在なんだ。そんなスッペシャルな俺は人口に膾炙してる凡庸な言葉になど興味も関心もないのさ。ふっ。みたいな凡庸極まりないちっさなちっさな自意識が彼に「流行語大賞」を否定させているのだろう。だって普通に生活していれば流行語大賞にノミネートされている言葉を一切聞かず知らずに過ごすなんてできっこない。たしかに私も聞いたことがない言葉はいくつかあったわけだが、「ひとっっつも聞いたことねえ」なんてフカすその態度にはそれこそ「はて…?」となってしまう。
でもたしかにその気持ちというのはわからないではない。変な権威みたいな奴らがいきなり「これが流行語だっせ!!」と押しつけてこられるとやはり反射的にイラっとするし、んなもん流行ってねえよ! と反発したくもなる。
では「流行語大賞」に対抗しようとするならどうしたらよいのか。「ひとっっつも聞いたことねえ」とやるのはあまりにも幼稚すぎる。大人なんだからそっと流しておけばいいに決まってるが、それはそれでなんだか忌々しい。なんとかして奴ら(誰だ?)をギャフンと言わせてやりたい。
思いつく対抗策は「流行語大賞」という体裁だけを使いながらまったく別の話をすることだと思う。つまり、ごくごく個人的な「流行語」を各々が語りまくるのだ。世間でどんな言葉が流行していたのか、そんなのは一切関係ない。俺が僕が私がオイラが、どんな言葉を「流行語」としていたのかだけを淡々と語り続ける。集団というものは、それを構成しているすべての人間が完全に個人的な事情だけを押し通して生きれば即座に瓦解する。世間の人々がみな個人的な「流行語大賞」を作ってそればかり語るようになれば現行の「流行語大賞」などあっという間になくなるはずだ。
ということで私の個人的な今年流行った「流行語」を記していこうと思う。
まずはじめに思い浮かんだのは「ARMS」だった。ARMSは皆川亮二さんがずいぶん前に描いた漫画である。この古い漫画が今さらながら私の中で流行しているのだ。
きっかけは1人で入った居酒屋で、私の近くの席にいた女性グループがかわしていた会話だった。彼女たちはずいぶんと酒が入っていたらしく、ずいぶん大っぴらに性的な話をしていた。私はそれをドキドキしながら盗み聞きしていた。
絶え間なく繰り広げられる下ネタトークが一段落した際、1人の女性がポツンと所感を表明した。
「わたし…ちんこってすごいと思う」
なんだかしみじみとした口ぶりである。こいつはいきなり何を言い出したのか。周りの女性がその心は如何にと話の続きを促す。
「だってさ、持ち主の気分次第であんなにおっきくなったりちっさくなったりする器官って他になくない? ちんこと…あとARMSくらいしかないよ?」
なぜその文脈でARMSが出てきたのかは謎だが、彼女の言わんとするところは理解できる。彼女の提唱する「ちんこ=ARMS」説を胸に抱いて帰宅した私はとりあえずスマホで適当にアダルト動画を再生してみた。その新たな視点で眺めるアダルト動画はひどくエキサイティングなものだった。
「こいつ…こ、股間にARMSが!?」
などと大騒ぎしながら観るとくだらないアダルト動画もすごく楽しいSFアクションへと変貌を遂げる。
アダルト動画の序盤、まだ男優さんの性器が縮こまっている時には応援だってする。
「力が欲しいか…力が欲しいのなら…」
そのまま目を閉じてジリジリと待つ。そしてタイミングを見計らって「くれてやる!」と叫んで目をあけるのだ。この時にきっちり臨戦状態になったARMSが映っていた時の気持ちよさは何物にも代え難い。
そんなわけで私の中で「ARMS」は流行語となった。こんなことばっかりしていたせいで私のARMSにはとんと活躍の場がなかったわけだが、その件に関しては考えたくないので考えないものとする。
初手からあまりにも下品な流行語を出してしまったので、バランスを取るために少し真面目なことも書いておきたいと思う。ARMSという英単語には大きく2つの意味がある。「腕」と「武器」だ。
ーーWe close the divide because we know, to put our future first, we must first put our differences aside.
We lay down our arms so we can reach out our arms to one another.
引用したのは4年前、アマンダ・ゴーマンがバイデン大統領の就任式で読んだ詩の1節だ。「ARMS」という単語の使い方の美しさは英語に疎い私でもわかる。今回の大統領選は見るも無惨な結果になり暗澹とした気分になったが、アマンダ・ゴーマンの詩を読み返してみてそこにはまだ希望があると救われたような気持ちになった。暗い4年間がまた始まる。しかし、私はまだ民主主義を信じる。
We lay down our arms so we can reach out our arms to one another.
4年後、また私はこの詩を読み返すのだろう。その時、世界がどうなっているかはわからない。今よりもずっと分断が進んでいる気もする。だが、人々がその手から武器を放し手と手を取り合う、そんな未来を私は信じている。
次に思い浮かぶ「流行語」はなんだろう。いざ考えてみるとなかなか思い浮かばない。こんな時は傍聴ノートを開けばいいのだ。適当に今年取ったノートから1冊を選び、適当に開いてみる。するとすぐに見つかった。
「今後、ガムはお母さんに買ってもらいます」
発言者は60歳の男性、窃盗罪の裁判で飛びだした発言だ。
彼は前科2犯、いずれも窃盗である。具体的に言えば万引きである。そして今回も万引きで裁判を受けていた。
彼には不思議な癖がある。どこかのお店に入ってそこにガムがあると、なぜだかポケットに入れてしまうのだ。
元よりガムが好きだった。家には箱で買っているガムの在庫が山ほどある。しかし…彼はやってしまうのだ。スーパーやドラッグストアに行ってガムを見ると、いつの間にかそれをポケットに入れてしまう。
今後、犯行を繰り返さないためにどうするのか。そう質問された時に出てきたのが先ほどのフレーズだ。彼の母親は82歳、まだ元気だとはいうが高齢である。この先どうなるかはわからない。
彼にとって「ガム」とは何なのか。私はガムなど普段口にすることはないしまったくわからないが、彼の中ではきっと大切な何かなのだろう。それがなければ不安で仕方がなくなるような何か…。
家にガムの在庫があるかどうかはあまり関係ない(犯行時はすこし少なくなっていたらしい)ということなので、たとえお母さんがガムの在庫を常にいっぱいにしていても再犯防止にはあまり効果がないようにも思える。もっと根本的なところから考えていかなければいけないわけだが、それができれば苦労などない。これから毎日毎日、ガムを買いに行くお母さんはスーパーでガムを買い物カゴに入れる時、一体何を想うのだろうか。
彼の「癖」が始まったのはここ数年のことだ。その直前には「離婚」と「失業」があった。そこに因果関係があるかどうかはわからない。
本家本元の「流行語大賞」はノミネートされた言葉が30ほどあった。私はまだ2つ挙げただけだが、このnoteは3000字くらいでおさめるようにしている。もうすでに字数はオーバーしているのでこの2つで打ち止めとしたい。というか、あと28個も書けない。
私はお仕着せの「流行語」を押し付けられるよりも、目の前にいる人の極私的「流行語大賞」をたくさん聞きたいと思っている。その方が断然面白いし。みんながみんなそういう営みをする先には、今の「流行語大賞」の終焉というめでたき結果も待っている。そういうわけで、もっとみんな「流行語大賞」の話をしていってほしいと思っている。
さて、乞食の時間です。「もういいでしょう」とか言わずに「はいよろこんで!」と金を出してほしい。トクリュウだ裏金だと、悪いことして稼いでる奴らがいる一方で私は新紙幣をほとんど拝んだことがない。なんなら旧紙幣だって拝んでない。「はて?」と思う。あんまりである。だからお金を恵んでほしいのです。こうして乞食をしてる自分を客観的に見て「ヤバいカッコ悪すぎる俺」とも思うが、なりふり構ってはいられません。皆さまの財布の紐をゆるゆるにするような名言は残せませんが、とにかくとにかくお願いいたします。下のサポートというところからお金を恵んでください。よろしくお願いします。