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日本人とキリスト教

 戦国時代には熱心なキリスト教徒がいましたが、禁教令が出され、島原で反乱を起こすも鎮圧されました。そして、この「島原の乱」から幕末まで、戦争の無い平和な時代となります。島国故に国境地域の紛争は無く、宗教戦争もありませんでした。

 明治に入って、再び布教活動が始まり、ミッション(布教団体)が送り込まれました。ミッションによる布教は、治療費を払えない貧民の為の病院の建設と、授業料を払えない貧民の為の学校の建設から始まります。
 日本は異常でした。「西洋の香りがする」として、ミッション・スクールに裕福な知識人や文化人の子供が入学してきたのです。(今でもその土地の名士(市会議員、社長、弁護士、医師)の子供しか入学できないミッション・スクールが存在しています。)

 今の日本人が『聖書』を読むのは、信者だからではなく、
・西洋の絵画(特に宗教画)を理解するため
・西洋文学を理解するため
・西洋史を理解するため
・西洋人の行動原理を理解するため
・・・
ようするに「教養としてのキリスト教」です。

★芸能界入りした少年

 中学生の時、キリスト教に興味を持った少年がいた。
 毎週、日曜学校に来るので、周囲の人は「熱心な信者」だと思っていた。
 しかし、彼は信者ではなかった。ただ単に宣教師の話や片言の日本語が面白かったので聞きに来ていただけであった。後に彼は芸能界入りし、宣教師の真似、さらになんちゃって多国語を話して名をあげた。芸名は、本名「森田」にちなんで「タモリ」とした。

 タモリさんがキリスト教の宣教師の真似をしているのは有名ですが、そのモデルはこのカルペッパー宣教師です。
 また、筆者は神学部の授業で一対一の授業を受けていたので、よく似てると思います。授業を録音したこともありますが、録音テープを紛失しており、声を聞かせる事ができなくて残念です。

歴代牧師 - 平尾バプテスト教会

★『ダヴィンチ・コード』(小説、映画)

 『ダヴィンチ・コード』とは、「ナザレのイエスは人間で、マグダラのマリアとの間に子供を儲けた。その子孫は現在生きているソフィーという女性である」という話です。
 ソフィーが施設に保護されることになった時、施設の前の池の上を歩こうとして沈んでしまい、
「(私はイエスの子孫だというけれど)やっぱり、無理だわ」
と言います。『聖書』を読んでいないと意味が分かりません。

★聖書考古学

『聖書』に出て来る出来事が史実かどうか調べる学問。
日本の神話考古学のようなものか。


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レコの館(やかた)
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