雄略天皇は、葛城山での鹿狩りの時、自分と瓜二つの人物に出会ったという。名前を聞くと、
「葛城の一言主(ひとことぬし)の大神なり」
と答えたという。
この葛城の一言主大神は、悪事も一言、善事も一言で言い離つ神で、「託宣神」「言霊の神」として信仰されてきた。
また、「一言願わば、良き事につけ、良からぬ事(心配事、病気、災難など)につけ、良く聞き分けて御利益を授けてくれる神様」といわれ、「万能神」としての信仰されている。
以上、この一言主大神は、どんな望みも一言であれば叶えてくれる超強力な神であるが、祀られている神社が少ない。これは、この神が日本神話に登場する神ではなく、460年に現れた葛城の「現人神」であることにもよろう。(さらに後に現れた菅原道真が全国の天神社に祀られていることを思うと、出現の遅さだけが理由ではないとは思うが。)
この一言主大神の正体には、
①山びこ説:どんな一言も言い返して来る。
②事代主命(大国主命の長男)説:名前が似ている。
がある。
【Reco説】 「一言主」は、雄略天皇と一緒に鹿狩をしたり、土佐国に流されたり、役小角に石橋を架けるよう命じられたのを恨んで文武天皇に讒言して役小角に縛られたりと、「人間」(もしくは「現人神」)である。「一言主」とは、代々の「葛城王朝の王」「葛城国造家の長」の肩書であろう。
また、雄略天皇にそっくりだということは、雄略天皇とは双子で、当時は双子は忌み嫌われていたので捨てられたので、葛城氏が拾って葛城王として育てられたのではないかと思われる。
【異説】
①出雲国は東西に分かれ、東国の国王が「事代主」、西国の国王が「少彦名」で、大統領的存在が「大国主」であった。「事代主」「少彦名」「大国主」は役職名である。代々の「事代主」の内の1人が、東国王引退後に葛城や茨城に移り住んで「一言主」と名乗ったこともあるであろう。
②「一言主信仰」は、土佐国の信仰で、土佐→葛城(764年)→茨城(809年)と伝播した。