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四国は「伊予之二名島」(『古事記』)

1.四国は「伊予之二名島」(『古事記』)
2.四国は「伊予之二名島」(『古事記』の解釈)
3.四国は「伊予之二名島」(日ユ同祖論)
4.「伊予之二名島」の2つの謎【総合】



■国生み / 国産み

「四国」は、古代には「伊予之二名島」と呼ばれていたようです。
出典は『古事記』です。
『古事記』によれば、天(宇宙)と地(地球)が分かれた時(宇宙の中に地球が誕生した時)、高天原に天之御中主神が現れ、次に高御産巣日神、次に神産巣日神が現れたそうです。この三柱の神々を「造化三神」と呼びます。
 次に現れたのが、
・活力の神・宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)
・天の永久性を象徴する神・天之常立神(あめのとこたちのかみ)
で、以上の五柱の神々を、天津神の中でも特別な存在として「別天津神」と呼びます。
 次に現れたのか「神世七代」の神々です。
①国之常立神(くにのとこたちのかみ)
②豊雲野神(とよぐもぬのかみ)
③宇比地邇神(うひぢにのかみ)&須比智邇神(すひぢにのかみ)
④角杙神(つぬぐいのかみ)&活杙神(いくぐいのかみ)
⑤意富斗能地神(おおとのぢのかみ)&大斗乃弁神(おおとのべのかみ)
⑥淤母陀琉神(おもだるのかみ)&阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)
⑦伊邪那岐神(いざなぎのかみ)&伊邪那美神(いざなみのかみ)
 最後に現れた伊邪那岐神&伊邪那美神が日本列島を作りました。これを「国生み / 国産み」といいます。
 まず最初に淡路島を産み、次に四国を産むのですが、『古事記』では、「四国島」ではなく、「伊予之二名島」と呼んでいます。

■歴史書における「四国」の呼称

 神々による日本の創造の過程を記した『古事記』の国産み神話では、四国は淡路島に続き、日本列島で二番目に創造された島であるという。古事記には「伊予之二名島(いよのふたなのしま)」と記されている。また『日本書紀』では「四国」を「伊予二名洲(いよのふたなのしま)」と表記している。よって古代においては、「伊予之二名島」・「伊予二名洲」、または単に、「伊予島」・「伊予洲」(いよのしま、いよしま)、「二名島」・「二名洲」(ふたなのしま、ふたなしま)」などと呼ばれた(「フタナ」は二並びの意)。
 近世以降は、五畿七道の南海道のうち、紀伊国と淡路国を除いた阿波国・讃岐国・伊予国・土佐国の4つの令制国が存在したことから、「四国」と呼ばれた。歴史書ではないが、16世紀の戦国時代を描いた軍記物語として知られる『陰徳太平記』(享保2年(1717年)出版)序に、「山陰山陽四国九州」の記載があり、このような近世の書物において、明確に「四国」という名称を見出すことができる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

■伊予之二名島

『古事記』の何が面白いかって、生まれた島を伊邪那岐神&伊邪那美神が生んだ子だとして、神様のような名前がつけられていることです。
 四国こと「伊予之二名島」に関しては、

【原文】御合生子淡道之穗之狹別嶋。次生伊豫之二名嶋。此嶋者身一、而有面四。毎面有名。故伊豫國謂愛比賣、讚岐國謂飯依比古粟國謂大宜都比賣、土左國謂建依別。次生隱伎之三子嶋。亦名天之忍許呂別。

【書き下し文】御合ひ生みし子は、淡道の穗の狹別嶋(あはぢのほのせわけのしま)。次に伊予の二名(ふたな)の島を生みき。此の島は、身一つにて、而るに面(おも)四つ有り。面毎に名有り。故(かれ)伊予の国は愛比賣(えひめ)と謂(い)ひ、讃岐の国は飯依比古(いひよりひこ)と謂ひ、粟の国は大宜都比売(おほげつひめ)と謂ひ、土左の国は建依別(たけよりわけ)と謂ふ。

【現代語訳】見合わせて生んだ子は、淡道之穗之狹別の島(淡路島)でした。次に伊予之二名(いよのふたな)の島(四国)を産みました。この島は、からだ一つに4つの面(4つの区分。後の国)があり、面ごとに名前がありました。その内訳は、後の伊予国(愛媛県)は愛比賣、後の讃岐国(香川県)は飯依比古、後の阿波国(徳島県)は大宜都比売、後の土佐国(高知県)は建依別です。

とあります。
 四国を「伊予之二名島」と呼び、1つの体に4つの面(後の国)があるとして、
・後の伊予国(愛媛県)を愛比売(「麗しき女性」の意)
・後の土佐国(高知県)を建依別(「雄々しき男性」の意)
・後の讃岐国(香川県)を飯依比古(「稲を産する男性」の意)
・後の阿波国(徳島県)を大宜都比売(「穀物(粟)を産する女性」の意)
としているのです。

※「土佐」は、記紀では「土左」、『先代旧事本紀』では「都佐」と記されている 。和銅6年(713年)の好字令で「土佐」になったと思われる。

「面(おも)」は、解説書によっては「面(かほ)」と訓じています。「顔」とは、後の「国」となった「区画」のことです。「面」より「画」の方がいいと思いますが、人とも神ともとれる名前が付けられているので「面=顔」なのでしょう。
 なぜ「国」としなかったかといえば、「国」には支配者と国民がいるものですが、まだ生んだばかりで人間が住んでいなかった、「国」はなかったので「面」としたのでしょう。

『ムー』

 日本列島の形は「タツノオトシゴ」(龍の子供)、静岡県は「天照大神の横顔」と言います。四国の海岸線が4つの顔を描いていたら面白いかと。(グーグルアースって、ピラミッドや古墳を探すのに使うものだと思っていたけど、こういう使い方もあったとは。)


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