四国は「伊予之二名島」(『古事記』の解釈)
1.四国は「伊予之二名島」(『古事記』)
2.四国は「伊予之二名島」(『古事記』の解釈)
3.四国は「伊予之二名島」(日ユ同祖論)
4.「伊予之二名島」の2つの謎【総合】
四国は『古事記』では「伊予之二名島」と呼んでいます。
「伊予」「二名」とはどういうことでしょうか。
(1)「伊予」
Q.四国には伊予国、土佐国、讃岐国、阿波国があったのに、なぜ「伊予島」と呼ばれたのか?
A.伊予国が四国を代表する国だったので島名になった。
・国名「伊予」も「阿波」も、国内を代表する郡の名である。
・九州を代表する国は筑紫国。『古事記』では九州を「筑紫島」と呼ぶ。
(2)「二名」
Q.「二名」とはどういう意味か?
A.不明
■新潮日本古典集成『古事記』
手元にあった新潮日本古典集成『古事記』には、「四国の総称。もう一つの総称として「阿波国」ともいうから、「二名」と言ったものか」とありました。
四国の別称が「伊予島」なことは知っていますが、「阿波国」という別称は知りません。
※次の万葉歌の「伊与」は、「伊予島」とも「伊予国」ともとれます。
■地元の伝承
四国では、
「伊予之二名島」=「伊予島+大二島」
と伝えられています。(しかし、伊予島と紀伊半島の間の伊予水道にあった大二島は沈没してしまいました。)
とはいえ、「伊予之二名島」については、『古事記』に、「次生伊豫之二名嶋。此嶋者身一、而有面四。毎面有名」(次に生まれたのは「伊予之二名島」で、この島は1つではあるが(広いので)4つに分けられ、それぞれに名が付けられた)とありますから、伊予島と大二島の2島ではありません。
■「伊予之二名之島」=「弥二並(いやふたならび)の島」
これは本居宣長の『古事記伝』に載っている説で、「他に対抗する説がない」として、広まっています。
『万葉集』(巻6-1020番歌)には、「二名島」でも「二並島」でもなく、「刺並国」とあります。
※「刺並国尓出座(さし並ぶ 国に出でます)」:【現代語訳】紀伊国(和歌山県)から海を挟んで相(あい)並んで位置する四国(具体的には、詞書にあるように土佐国)へ向けて出港する)。
■「邪馬台国=阿波国説」論者の説
「邪馬台国=阿波国説」論者のすばらしい点は、
「『古事記』を『古事記伝』ではなく、原本で読めば事実が分かる」
「事実が分かったら、真実を自分の頭で考えよ」
と主張されていることです。
『古事記』の原本を読んだ結果、四国は「伊予島」であり、「東部を伊国、西部を予国」というのだそうですが・・・私が読んだ『古事記』には、生まれた瞬間から4つの面(後の国)があり、2ヶ国ではないのに「伊予之二名島」と呼ばれていたとありましたが・・・。4つの面が2ヶ国に統合され、後に再び4ヶ国に分裂したという理解でよろしいでしょうか? そして、その事は『古事記』に書いてあるのでしょうか?(一説に、『古事記』には原本『原古事記』があり、『四国古事記』と呼ばれているという。)
そして事実(『四国古事記』?)から真実(伊国→委国→倭国→邪馬台国)へと発展する。「日本は阿波から始まった!」と。
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