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四国は「伊予之二名島」(『古事記』の解釈)

1.四国は「伊予之二名島」(『古事記』)
2.四国は「伊予之二名島」(『古事記』の解釈)
3.四国は「伊予之二名島」(日ユ同祖論)
4.「伊予之二名島」の2つの謎【総合】



 四国は『古事記』では「伊予之二名島」と呼んでいます。
 「伊予」「二名」とはどういうことでしょうか。


(1)「伊予」

Q.四国には伊予国、土佐国、讃岐国、阿波国があったのに、なぜ「伊予島」と呼ばれたのか?
A.伊予国が四国を代表する国だったので島名になった。
・国名「伊予」も「阿波」も、国内を代表する郡の名である。
・九州を代表する国は筑紫国。『古事記』では九州を「筑紫島」と呼ぶ。

(2)「二名」

Q.「二名」とはどういう意味か?
A.不明

■新潮日本古典集成『古事記』

新潮日本古典集成『古事記』

 手元にあった新潮日本古典集成『古事記』には、「四国の総称。もう一つの総称として「阿波国」ともいうから、「二名」と言ったものか」とありました。
 四国の別称が「伊予島」なことは知っていますが、「阿波国」という別称は知りません。

※次の万葉歌の「伊与」は、「伊予島」とも「伊予国」ともとれます。

海若者 霊寸物香 淡路嶋 中尓立置而 白浪乎 伊与尓廻之 座待月 開乃門従者 暮去者 塩乎令満 明去者 塩乎令于 塩左為能 浪乎恐美 淡路嶋 礒隠居而 何時鴨 此夜乃将明跡<侍>従尓 寐乃不勝宿者 瀧上乃 淺野之雉 開去歳 立動良之 率兒等 安倍而榜出牟 尓波母之頭氣師
海神は くすしきものか 淡路島 中に立て置きて 白波を 伊予に廻らし 居待月 明石の門ゆは 夕されば 潮を満たしめ 明けされば 潮を干しむ 潮騒の 波を畏み 淡路島 礒隠り居て いつしかも この夜の明けむと さもらふに 寐の寝かてねば 滝の上の 浅野の雉 明けぬとし 立ち騒くらし いざ子ども あへて漕ぎ出む 庭も静けし

『万葉集』巻3-388番歌

■地元の伝承

「伊予島」「淡路島」「豊秋津島(紀伊半島)」に囲まれた「大二島」が描かれた地図(下が北)

四国では、
「伊予之二名島」=「伊予島+大二島」
と伝えられています。(しかし、伊予島と紀伊半島の間の伊予水道にあった大二島は沈没してしまいました。)
 とはいえ、「伊予之二名島」については、『古事記』に、「次生伊豫之二名嶋。此嶋者身一、而有面四。毎面有名」(次に生まれたのは「伊予之二名島」で、この島は1つではあるが(広いので)4つに分けられ、それぞれに名が付けられた)とありますから、伊予島と大二島の2島ではありません。

■「伊予之二名之島」=「弥二並(いやふたならび)の島」

 これは本居宣長の『古事記伝』に載っている説で、「他に対抗する説がない」として、広まっています。

〇「伊予二名」とは、今いふ四国なり。「いよ」とは、「き国」といふみ名の略と云ならんかし。「二名」は、四国を東よりは讃岐と阿波と二ならびて見え、西よりは土佐と伊予と二ならびて見ゆる故、「二名」といふなるべしとぞ。

 『万葉集』(巻6-1020番歌)には、「二名島」でも「二並島」でもなく、「刺並国」とあります。
※「刺並国尓出座(さし並ぶ 国に出でます)」:【現代語訳】紀伊国(和歌山県)から海を挟んで相(あい)並んで位置する四国(具体的には、詞書にあるように土佐国)へ向けて出港する)。

石上乙麻呂卿配土佐國之時歌
王 命恐見 刺並國尓出座 愛耶 吾背乃公矣 繋巻裳 湯々石恐石 住吉乃 荒人神 船舳尓 牛吐賜 付賜将 嶋之埼前 依賜将 礒乃埼前 荒浪 風尓不令遇 莫管見 身疾不有 急 令變賜根 本國部尓

大君の 命畏み さし並ぶ 国に出でます はしきやし 我が背の君を かけまくも ゆゆし畏し 住吉の 現人神 船舳に うしはきたまひ 着きたまはむ 島の崎々 寄りたまはむ 磯の崎々 荒き波 風にあはせず 障みなく 病あらせず 速けく 帰したまはね もとの国辺に

『万葉集』(巻6-1020番歌)

■「邪馬台国=阿波国説」論者の説

「邪馬台国=阿波国説」論者のすばらしい点は、
「『古事記』を『古事記伝』ではなく、原本で読めば事実が分かる」
「事実が分かったら、真実を自分の頭で考えよ」
と主張されていることです。

上の動画で使われている画像

 『古事記』の原本を読んだ結果、四国は「伊予島」であり、「東部を伊国、西部を予国」というのだそうですが・・・私が読んだ『古事記』には、生まれた瞬間から4つの面(後の国)があり、2ヶ国ではないのに「伊予之二名島」と呼ばれていたとありましたが・・・。4つの面が2ヶ国に統合され、後に再び4ヶ国に分裂したという理解でよろしいでしょうか? そして、その事は『古事記』に書いてあるのでしょうか?(一説に、『古事記』には原本『原古事記』があり、『四国古事記』と呼ばれているという。)
 そして事実(『四国古事記』?)から真実(伊国→委国→倭国→邪馬台国)へと発展する。「日本は阿波から始まった!」と。

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