聖徳太子信仰(2/2)南岳取経説話
■『聖徳太子伝略』「遣隋使の派遣」(南岳取経説話)
源実朝の渡宋の目的地・育王山は、「舎利信仰」の聖地である。聖徳太子(前世は南岳大師慧思)が隋に使者を送って『法華経』を得たので、源実朝(前世は医王山阿育王寺の長老)も宋に使者を送って仏舎利を得ようとしたのかもしれない。
■これまでの聖徳太子関連記事
・「『泉親衡物語』を読んでみた。」
聖徳太子が大活躍!
https://note.com/sz2020/n/na74e68ccaae1
・「三河国の聖徳太子伝承」
真言律宗→浄土真宗が中心であるが、それ以外にも・・・。
https://note.com/sz2020/n/n67772ab60287
・「物部真福と真福寺」
「毘沙門天の生まれ変わり」とされる物部守屋の次男・物部真福が、聖徳太子の支援で「聖徳太子46ヶ寺・真福寺」を建てた。
https://note.com/sz2020/n/necc2e5b4eb0e
・「Reco旅 -新居⑤応賀寺-」
橋本宿の長者・妙相が聖徳太子の御廟「叡幅寺」に詣でると夢告があり、「聖徳太子の生まれ変わり」とされる空海が開いた高野山へ行き、毘沙門天立像と仏舎利2粒を得て、橋本に紅葉寺を建てた。(紅葉寺は廃寺となり、毘沙門天立像は応賀寺にある。応賀寺の団扇や扇子も紅葉寺にあったものであろう。)
※石井公成「聖徳太子研究の最前線」
https://blog.goo.ne.jp/kosei-gooblog
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