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刀伊の入寇

※刀伊の入寇:「刀伊」は「東夷」で、「寇」は「侵攻」。寛仁3年(1019年)3月27日~4月13日の女真の日本(対島→壱岐→北九州)への侵攻をいう。

 大宰権帥・藤原隆家は、大宰大監・大蔵種材や、「平安武者」、すなわち「府ノ無止武者」(大宰府のやんごとなき武者。「家を継ぎたる兵」と呼ばれた地元住人系武者)と京都から連れてきた「都ノ武者」を率いて自ら先頭に立って戦った。刀伊に囲まれたが、長刀(なぎなた)で切り倒したという。どうも刀伊は長刀という武器を知らなかったようだ。また刀伊は騎馬民族であるが、馬に乗って戦わなかったので敗れたともいう。(攻めてきたのは刀伊の軍人ではなく、海賊だったのでは?)


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