原文&現代語訳『蜻蛉日記』(上巻)
■序文
かくありし時過ぎて〈村上御時天曆八年〉世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで世に經る人ありけり。かたちとても人にも似ずこころたましひもあるにもあらで、かうものゝやうにもあらであるもことはりと思ひつゝ唯臥し起き明し暮すまゝに、世の中におほかるふる物語のはしなどを見れば世に多かるそらごとだにあり。人にもあらぬ身の上までかき日記して珍しきさまにもありなむ。天下の人のしなたがきやととはむためしにもせよかしと覺ゆるも、過ぎにし年月ごろの事もおぼつかなかりければ、さてもありぬべき事なむ、多かりける。
■兼家の求婚
さてあのけふなかりしすきごとゞもの、それはそれとしてかしはぎの木高きわたり〈藤原兼家〉より、かくいはせむと思ふ事ありけり。例の人はあないする便、もしは、なま女などしていはする事こそあれ。此は親〈藤原倫寧〉とおぼしき人に、たはぶれにも、まめやかにもほのめかしゝに、びなきことゝいひつぎをも知らずかほに、馬にはひ乘りたる人して打ちたゝかす。たれなどいはするはおぼつかなからず騷いたれば、もて煩ひ取り入れてもて騷ぐ。みればかみなども例のやうにもあらず、いたらぬ所なしと聞きふるしたる手もあらじと覺ゆるまであしければ、いとぞあやしき。ありける事は、
音にのみ聞けばかなしなほとゝぎすことかたらむと思ふこゝろあり
とばかりぞある。いかにかへり事はすべくやあるなどさだむるほどに、かたゐなかなる人ありて、猶とかしこまりてかゝすれば、
かたらはむ人なきさとにほとゝぎすかひなかるべきこゑなふるしそ
■兼家との結婚成立
これを初めにて、またまたもおこすれどかへりごともせざりければ、又、
おぼつかな音なき瀧のみづなれやゆくへも知らぬ瀨をぞ尋ぬる
これを今これよりといひたれば、知れたるやうなり。やがてかくぞある、
人知れずいまやいまやと待つほどにかへりこぬこそ侘しかりけれ
とありければ、例の人〈母。藤原倫寧の妻〉「かしこし。をさをさしきやうにも聞えむこそよからめ」とて、さるべき人して、あるべきに書かせてやりつ。それをしも、まめやかにうち喜びて繁う通はす。又そへたる文見れば、
濱千鳥あともなぎさにふみ見ればわれをこす波うちやけつらむ
この度も例のまめやかなるかへりごとする人あれば紛はしつ。
又もあり。「まめやかなるやうにてあるもいと思ふやうなれど、このたびさへ無うばいとつらうもあるべきかな」
など、まめやか文のはしに書きて添へけり。
いづれともわかぬ心はそへたれどこたびはさきに見ぬ人のがり
とあれば、例の紛はしつ。かたればまめなる事にて月日は過ぐしつ、秋つ方になりにけり。そへたる文に心さかしらついたるやうに見えつるうさになむねんじつれどいかなるにかあらむ、
しかの音も聞えぬ里に住みながらあやしく逢はぬ目をもみるかな
とあるかへりごと、
高砂のをのへわたりにすまふともしかさめぬべきめとは聞かぬを
「げにあやしのことや」とばかりなむ。又、程經て、
あふ坂の關やなになり近けれど越えわびぬればなげきてぞ經る
かへし、
越えわぶるあふ坂よりも音に聞くなこそをかたき關としらなむ
などいふ。まめ文かよひかよひて、いかなるあしたにかありけむ、
夕ぐれの流れくるまをまつほどになみだおほゐの川とこそなれ
かへし、
思ふこと大井の川の夕ぐれはこゝろにもあらずなかれこそすれ
又、三日ばかりのあしたに、
しのゝめにおきけるそらにおもほえで怪しく露と消えかへりつる
かへし、
さだめなく消えかへりつる露よりもそらだのめするわれは何なり
■兼家との贈答
かくてあるやうありてしばし旅なる所にあるにものしてつとめて「今日だにのどかにと思ひつるを、びなげなりつれば。いかにぞ身には山がくれとのみなむ」とあるかへりごとに、たゞ、
思ほえぬかきはにをれは撫子のはなにぞつゆはたまらざりけり
などいふ程に九月になりぬ。
つごもりたがにしきりて二夜ばかり見えぬほど文ばかりあるかへりたごとに、
消えかへる露もまだひぬ釉の上に今朝はしぐるゝ空もわりなし
たちかへり、かへり事、
おもひやる心の空になりぬれば今朝は時雨ると見ゆるなるらむ
とて、かへり事書きあへぬほどに見えたり。
又、ほどへて見えをこたるほど、雨など降りたる日ぐれに「來む」などやありけむ、
かしはぎの杜の下草くれごとになほたのめとやもるを見る見る
かへり事は、みづから來て紛はしつ。
かくて十月になりぬ。こゝにものいみなるはどを心もとなげにいひつゝ、
なげきつゝかへす衣のつゆけきにいとゝ空さへしぐれ添ふらむ
かへし、いとふるめきたり。
思ひあらばひなましものをいかでかは返す衣のたれもぬるらむ
とあるはどに、わがたのもしき人〈藤原倫寧〉みちのくにへ出で立ちぬ。
■「父・倫寧の陸奥守赴任」「父の離京」
時はいとあはれなるほどなり。人〈藤原兼家〉はまだ見馴るといふべきほどにもあらず。見ゆることはたゞささしくめるにのみあり。いと心細く悲しきこと、ものに似ず。見る人も、いと哀に忘るまじきさまにのみ語らふめれど、人の心は、それに從ふべきかはと思へば、唯ひとへに悲しう心ぼそき事をのみ思ふ。
今はとて、皆出で立つ日になりて行く人もせきあへぬまであり。止まる人、はた况いていふ方なく悲しきに、「時違ひぬる」といふまでも、え出でやらず。又、みなる硯に文をおし卷きてうち入れて、又、ほろほろとうち泣きて出でぬ。しばしは見む心もなし。みいではてぬるに、ためらひてよりて「何事ぞ」と見れば、
君をのみたのむたびなるこゝろには行く末遠くおもほゆるかな
とぞある。「見るべき人〈藤原兼家〉見よ」となめりとさへ思ふに、いみじうかなしうて、ありつるやうにおきて、とばかりあるほどに、ものしためり。目も見合せず、思ひいりてあれば、
「などか、よのつねのとにこそあれ。いとかうしもあるは、われを賴まぬなめり」
などあへしらひ、硯なる文を見つけて、
「哀」
といひて、門出の所に、
我をのみたのむといへばゆくすゑのまつの千代をもきみこそは見め
となむ。
かくて日の經るまゝに、旅の空を思ひやるだにいとあはれなるに、人〈藤原兼家〉の心もいとたのもしげには見えずなむありける。
しはすになりぬ。橫河にものすることありて上りぬ。人「雪に降りこめられていと哀れに戀しき事多くなむ」とあるにつけて、
氷るらむよかはの水に降る雪もわがごと消えてものは思はじ
などいひてその年はかなく暮れぬ。
■「正月(むつき)ばかりに」「道綱誕生と町の小路の女」
正月〈天曆九年〉ばかりに二、三日見ぬ程にものへ渡らむとて「人こば取らせよ」とて書き置きたる、
知られねば身を鶯のふりいでつゝなきてこそ行け野にもやまにも
かへりごとあり。
うぐひすのあたにて行かむ山べにもなく聲聞かば尋ぬばかりぞ
などいふうちより、なほもあらぬことありて。春、夏、なやみ暮して、八月つごもりにとかうものしつ。その程の心ばへしも、懇なるやうなりけり。
■「なげきつつ一人寝る夜」「うつろひたる菊」
さて、九月ばかりになりて、いでにたるほどに、箱のあるを手まさぐりにあけて見れば、人のもとにやらむとしける文あり。あさましさに見てけりとだにしられむと思ひて書きつく。
うたがはしほかに渡せるふみ見ればこゝやとだえにならむとすらむ
など思ふほどに、心えなう十月つごもり方に、三よしきりて見えぬ時あり。つれなうて、しばし試みるほどに、などけしきあり。これより夕さりつかた「うちのかたるまじかりけり」とて出づるに、心えて人をつけて見すれば「まちの小路なるそこそこになむ、とまり給ひぬる」とて來たり。「さればよ」といみじう心憂しと思へども、いはむやうも知らである程に、二、三日ばかりありて、あかつきがたに門も叩く時あり。「さなめりし」と思ふに、憂くてあけさせねば、例の家とおぼしき所にものしたり。つとめて「猶もあらじ」と思ひて、
歎きつゝ一人ぬる夜の明くるまはいかに久しきものとかは知る
と例よりはひきつくろひて書きて、うつろひたる菊にさしたり。かへりを明くるまでも試みむとしつれど、とみなるめし使の來あひたりつればなむ。いとことわりなりつるは、
げにやげに冬の夜ならぬ眞木の戶も遲くあくるは陀しかりけり
さても、いとあやしかりつるほどに、ことなしびたる、しばしは忍びたるさまに、こうぢになどいひつゝぞあるべきをいとしう心つきなく思ふ事ぞ限りなきや。
■「桃の節句と姉との離別」
年かへりて三月〈天曆十年〉ばかりにもなりぬ。桃の花などやとり設けたりけむ。待つに見えず。今一かたも例は立ちさらぬ心ちに今日ぞ見えぬ。さて四日のつとめてぞ皆見えたる。「夜べより待ちくらしたるものども猶あるよりは」とて、こなたかなた、とり出でたり。志ありし花を折りてうちの方よりあるを見れば、心たゞにしもあらで手ならひにしたり。
待つほどのきのふ過ぎにし花のえは今日折る事ぞかひなかりける
と書きて、よしや、にくきに、と思ひてかくしつるけしきを見て、ばひとりて返ししたり。
みちとせをみつべきみには年每にすくにもあらぬ花と知らせむ
とあるを今一夜だにも聞きて、
花によりすくてふ事のゆゝしきによそながらにて暮してしなり
かくて今は、このまちの小路にわざと色に出でにたり。本は、人をだに、あやし悔しと思ひげなる時がちなり。いふ方なう心憂しと思へどもなにわざをかせむ。この今一かた〈藤原道綱の母の姉〉のいで入りするを見つゝあるに、今は心安かるべき所へとてゐてわたす。とまる人、まして心ぼそし。影も見えがたかべい事など、まめやかに悲しうなりて、車寄するほどに、かくいひやる、
などかゝる歎きはしげさまさりつゝ人のみかゝる宿となるらむ
かへりごとは男ぞしたる、
思ふてふ我が言の葉をあだびとのしげるなげきにそへてうらむな
などいひ置きて、皆わたりぬ。
■「まこも草」「時姫とも疎遠になる兼家」
思ひしもしるく、只ひとり臥し起きず、大かたの世のうちあはぬことはなければ、唯人の心の思はすなるを、我のみならず、「年ごろの所<藤原時姫>にも絕えにたなり」と聞きて、文など通ふ事ありければ、五月三、四日のほどにかくいひやりぬ、
底にさへかるといふなるまこも草いかなるさわに根をとゞむらむ
かへし、
まこも草刈るとは淀のさはなれや根をとゞむてふ澤はそことか
六月になりぬ。ついたちかけて長雨いたうす。見出して獨言に、
我が宿のなげきのしたは色ふかくうつろひにけりながめふるまに
などいふほどに七月になりぬ。
絕えぬと見ましかばかりに來るには勝りなましなど思ひ續くるをりに、物したる日あり。物もいはねば、さうざうしげなり。前なる人ありし下葉の事を物の序にいひ出でたれば、聞きてかくいふ、
をりならで色つきにけるもみぢ葉はときにあひてぞいろまさりける
とぞ書きつくる書きつくる。
かくあり續き絕えずはくれども、心のとくる夜なさに、荒れ勝りつゝ來ては氣色惡しければ、ひたぶるにたち山と立ち歸る時もあり。近き隣に心ばへ知れる人出づるに合せてかくいへり、
藻鹽やく烟の空に立ちぬるはふすべやしつるくゆる思ひに
などとなり。さかしらするまでふすべかはして、この頃は殊に久しう見えず、たゞなりし折は、さしもあらざりしを、かくころあかくがれて、いかなるものとうかにうち置きたるものの見えぬ癖なむありける。かくて止みぬらむ、そのものと思ひ出づべきたよりだになくぞありけるかしと思ふに、十日ばかりありて文あり。「なにくれ」といひて「帳の柱にゆひつけたりし小弓の矢取りて」とあれば、これぞありけるかしと思ひて解きおろして、
思ひ出づる時もあらじとおもへどもやといふにこそ驚かれぬる
とてやりつ。
かくて絕えたるほど、我が家は、うちより參りまかづる道にしもあれば、夜なか曉と、うちしはぶきてうち渡るも、聞かじといへどもうちとけたるいも寢られず。夜長うしてねぶる事なければ、さながらと見聞く心ちは、何にかは似たる。今は、いかで見きかずだにありにしがなと思ふに、
「昔すきごとせし人も今はおはせずとか」
など、人につきて聞えごつを聞くを、ものしうのみ覺ゆれば、日くれは、かなしうのみ覺ゆ。子供あまたありと聞く所もむげに絕えぬと聞く、あはれましていかばかりと思ひてとぶらふ。
九月ばかりの事なりけり。あはれなどしけく書きて、
吹く風につけてもとはむさゝがにの通ひしみちは空に絕ゆとも
かへり事は、こまやかに、
色かはるこゝろと見ればつけてとふ風ゆゝしくも思ほゆるかな
とぞある。
かくて、常にしもえいなびはてゞ、時々見えて冬にもなりぬ。臥し起きは唯幼き人をもて遊びて
「いかにして網代の氷魚にこととはむ」
とぞ心にもあらでうちいはるゝ。
年また越えて〈天德元年〉春にもなりぬ。この頃讀んとてもてありく文、取り忘れてをんなを取りにおこせたり。包みてやる紙に、
ふみおきしうらも心もあれたればあとをとゞめぬ千鳥なりけり
かへり事をさかしらに立ちかへり、
心あるとふみかへすとも濱千鳥うらにのみこそあとはとゞめゝ
つかひあれば、
濱千鳥あとのとまりを尋ぬとてゆくへも知らぬうらみをやせむ
などいひつゝ夏にもなりぬ。
■「町の小路の女が出産」
この時の所に子生むべきほどになりてよきかたはこひて、一つ車に這ひ乘りて、ひときやう響き續きていと開きにくきまでのゝしりて、
「このかどの前よりしもわたるものか。我は我にもあらず、物だにいはねば見る人、仕ふより始めて、いと胸痛きわざかな。世に道しもこそはあれ」
などいひ罵るを聞くに、たゞ死ぬるものにもがなと思へ心にしかなはねば、今よりのち猛くはあらずとも絕えて見えずだにあらむ、いみじう心うしと思ひてあるに、三、四日ばかりありて文あり。あさましう、つへたましと思ふ思ふ見れば、「この頃、こゝにわづらはるゝ事ありて、え參らぬを昨日なむたひらかにものせらるめる。けがらひもや忌むとてなむ」とぞある。あさましう、めづらかなる事限なし。たゞ「賜はりぬ」とてやりつ。使に人問ひければ「男君になむ」といふを聞くに、いと胸ふさがる。
三、四日ばかりありて、みづからいともつれなく見えたり。何か來たるとて見入れねば、いとはしたなくて歸ること度々になりぬ。
七月になりて、すまひの頃、古き新しきと、一くだりづゝ引き包みて、「これせさせ給へ」とてはあるものか。見るに、目くるゝ心ぞする。古代の人は「あな、いとほし。かしこには、え仕うまつらずこそはあらめ」。なま心ある人などさし集りて「すゞろはしや。えせで、わろからむをだにこそ聞かめ」など定めてかへしやりつるもしるく、こゝかしこになむ、もてちりてすると聞く。かしこにも、いと情なしとかやあらむ。二十よ日、音づれもなし。
■「兼家の通いが戻る」
いかなるをりにかあらむ、文ぞある。「參りこまほしけれど、つゝましうてなむ。たしかにことあらば、おづおづも」とあり。「かへり事もすまじ」と思ふも、これかれ「いと情なし。あまりなり」などものすれば、
ほに出でゝいはじやさらにおほよその靡く尾花に任せても見む
たちかへり、
ほに出でばまづ靡きなむ花すゝきこちてふ風の吹かむまにまに
使あれば、
嵐のみ吹くめる宿にはなすゝき穗に出でたりとかひやなからむ
など、よろしういひなして又見えたり。ぜざいの花、いろいろに咲き亂れたるを見やりて、臥しながら、かくぞいはるゝ、かたみに恨むるさまのことゞもあるべし、
百草に亂れて見ゆるはなの色はたゞしら露のおくにやあるらむ
とうちいひたれば、からかくいふ、
身のあきを思ひ亂るゝ花の上の露のこゝろはいへばさらなり
などいひて、例のつれなうよぶけてねまちの月の山のは出づるほどに出でむとするけしきあり。さまでもありぬべき夜かなと思ふけしきや見えけむ、「とまりぬべき事あらば」などいへど、さしも覺えねば、
いかにせむ山の端にだにとゞまらでこゝろも空に出でむ月をば
かへし、
久方の空にこゝろの出づといへば影はそこにもとまるべきかな
とて、とゞまりにけり。さて又、のわきのやうなることして、二日ばかりありて來たり。「一日の風はいかにとも例の人はとひてまし」といへばげにとや思ひけむ、ことなし、
言の葉は散りもやするととめ置きて今日はみからもとふにやはあらぬ
といへば、
散りきてもとひぞしてまし言の葉をこちはさばかり吹きしたよりに
かくいふ、
こちといへばおほそらなりし風にいでつけてはとはむあたらなだてに
まけじ心にて、又、
散らさじとをしみ置きける言の葉をきながらだにぞ今朝はとはまし
これはさもいふべしとや人ことわりけむ。
又、「十月ばかりに、それはしもやんごとなき事あり」とて出でむとするに、時雨といふばかりにもあらず、あやにくにあるに猶出でむとす。あさましさにかくいはる、
ことわりのをりとは見れど小夜更けてかくは時雨の降りははつべき
といふに、强ひて人あらむやはら。
■「町の小路の女が子を亡くす」
かうやうなるほどに、かのめでたき所には、子產みてしより、すさまじげになりにたべかめれば、人にくかりし心に思ひしやうは、いのちはあらせで我が思ふやうに、おし返し、ものを思はせばやと思ひしを、さやうになりもていて、はてはうみのゝしりし子さへ死ぬるものは、そんわうのひかみたりしみ子の落しだねなり。いふかひなくわろき事、限なし。唯この頃の知らぬ人のもて騷ぎつるに、かゝりてありつるをにはかせにかくなりぬれば、いかなるこゝちかはしけむ。我が思ふには、今少しうちまさりて歎くらむと思ふに、今に胸はあきたる。今ぞ例の所にうちはらひてなど聞く。されど、こゝには例のほどにぞ通ふめれば、ともすれば、心づきなうのみ思ふほどに、こゝなる人、かたことなどするほどになりてぞある。いへとては、必「今來む」といふを聞きたりて、まねびありく。
■「長歌の贈答」
かくて又、心の解くるよなく、なけかるゝに、なまさかしらなどする人は、若きみそらになどかくてはいふ事もあれど、人はいとつれなう、我やあしきなどうらもなう、罪なきさまにもてないたれば、いかゞはすべきなど、萬に思ふ事のみ繁きを、いかでつぶつぶと、いひしらするものにもがなと、思ひ亂るゝ時、心づきなきや、胸うちさめて、ものいはれずのみあり。
なほ書きつゞけても見せむと思ひて、
おもへたゞ むかしもいまも わがこゝろ のどけからでや
はてぬべき みそめしあきは ことの葉の うすきいろにや
うつろふを なげきのしたに なげかれき ふゆはくもゐに
わかれゆく ひとををしむと はつしぐれ くもりもあへず
降りそぼち こゝろぼそくは ありしかど きみにはしもの
わするなと いひおきつとか 聞きしかば さりともと思ふ
ほどもなく とみにはるけき わたりにて 白てもばかり
ありしかば こゝろそらにて 經しほどに きみみも靆き
絕えにけり またふるさとに かりがねの 歸るつらにやと
おもひつゝ ふれどかひなし かくしつゝ 我が身むなしく
せみの羽の いましもひとの うすからず なみだのかはの
はやくより かくあさましき そらゆゑに ながるゝことも
絕えねども いかなるつみか おもるらむ ゆきもはなれず
かくてのみ ひとのうき瀨に たゞよひて つらきこゝろは
水のあわの 消えば消えなむと おもへども かなしきことは
みちのくの つゞじのをかの くまつゞじ くるほどをだに
またでやは はするを絕ゆべき あふくまの あひ見てだにと
おもひつゝ なげくなみだの ころも手に かゝらぬ世にも
經べき身を なぞやと思へど あふばかり かけはなれては
しかすがに こひしかるべき からごろも うち着てひとの
うらもなく なれしこゝろを おもひては うき世をされる
かひもなし おもひ出でなき われやせむ と思ひかく思ひ
おもふまに やまとつもれる しきたへの まくらのちりも
ひとりねの かずにしとらは つきぬべし なにか絕えぬる
たびなりと おもふものから かぜ吹きて ひと日も見えじ
あまぐもは かへりしときの なぐさめに 今こむといひし
ことの葉を さもやとまつの みどりごの たえずまねぶも
聞くごとに ひとわろくなる なみだのみ わが身をうみと
たゝえども みるめもよせぬ みその浦は かひもあらじと
知りながら いのちあらばと たのめこし ことばかりこそ
しらなみの たちもよりこば 問はまほしけれ
と書きつけて、二階の中に置きたり。例のほどにものしたれど、そなたにも出でずなどあれば、居わづらひて、この文ばかりをとりて歸りにけり。
さて、かれよりかくぞある、
折りそめし ときのもみぢの さだめなく うつろふいろは
さのみに 逢ふあきごとに 常ならぬ なげきのしたの
木の葉には いどゞいひ置く はつしもに ふかきいろにや
なりにけむ おもふおもひの 絕えもせず いつしかまつの
みどり子を 行きては見むと するがなる 母子のうらなみ
立ちよれど ふじのやまべの けぶりには ふすぶることの
絕えもせず あまぐもとのみ たなびけば 絕えぬ我が身は
しらいとの まひくるほどを おもはじと あまたのひとの
せにすれば 身ははしたかの すゞろにて なつくるやどの
なければぞ ふるすにかへる まにまには 飛びくる事の
ありしかば ひとりふすまの とこにして 寢ざめのつきの
眞木の戶に ひかりのこさず もりてくる かげだに見えず
ありしより うとむこゝろぞ つきそめし たれかよづまと
あかしけむ いかなるいろの おもきぞと いふはこれこそ
つみならし とはあふくまの あひも見で かゝらぬひとに
かゝれかし なにのいは木の 身ならぬは おもふこゝろも
いさめぬに うらのはまゆふ いくかさね へだてはてつる
からころも なみだのかはに そぼつとも おもひしいでば
たきものゝ この目ばかりは かわきなむ かひなきことは
甲斐のくに つみのみまきに 荒るゝ馬の いかでかひとは
かけとめむと おもふものから たらちねの 親も知るらむ
かたかひの こまやこひつゝ いなかせむと おもふばかりぞ
あはれなるべき
とか。
使あれば、かくものす、
なつくべき人も放てばみちのくのうまやかぎりにならむとすらむ
いかゞ思ひけむ、たちかへり、
われがなををふちの駒のあればこそなつくにつかぬ身とも知られめ
かへし、また、
こまうげになりまさりつゝなつけぬをこ繩絕えずぞ賴み來にける
又、かへし、
白川の關のせけばやこまうくてあまたの日をばひき渡りつる
■「兼家と章明親王との交誼」
「あさてばかりは逢坂」とぞある。時は七月五日のこと、ながき物忌にさし籠りたるほどに、かくありしかへりごとには、
天の河七日を契るこゝろあらばほしあひばかりのかげを見よとや
ことかはりにもや思ひけむ〈天德四年〉。すこし心をとめたるやうにて、月頃〈應和元年〉になり行く。
めざましと思ひし所は、今は、天下のあざをし騷ぐと聞けば心安し。むかしよりの事をばいかゞはせむ。堪へがたくとも、我が宿世の怠にこそあめれなど、心をちゞに思ひなしつゝあり經るほどに、少納言の年經て、よつのしなになりぬれば、殿上もおりて、つかさめしに、いとねぢけたるをのゝ大輔などゝいはれぬれば、世の中をいとうとましげにて、こゝかしこ通ふより外のありきなどもなければ、いとのどかにて二、三日などあり。さて、かの心もゆかぬつかさのかみの宮より、かくのたまへり、
みだれ糸のつかさ一つになりてしもくる事のなど絕えにたるらむ
御かへり、
絕ゆといへばいとぞ悲しき君により同じつかさにくるかひもなく
又、立ちかへり、
夏引のいとことわりやふためみめよりありくまに程の經るかも
御かへり
泣くばかりありてこそあれ夏引のいとまやはなき一目二目に
又、宮より、
君と我猶しらいとのいかにしてうきふしなくて絕えむとぞ思ふ
ふためみめは、げに少くしてけり。いみあればとゞめつ」とのたまへる御かへり、
世をふとも契りおきてし中よりはいとゞゆゝしき事も見ゆらむ
と聞えらる。
その頃、「五月二十日よるばかりより、四十九日の忌たがへむ」とて、ありしありきの所にわたりたるに、宮、たゞ垣をへだつる所に、わたり給ひてあるに、みな月ばかりかけて雨いたう降りたるに、たれも降りこめられたるなるべし。こなたには、あやしき所なれば、もりぬるさわぎをするに、かくのたまへるぞ、いとゞものくるほしき、
つれづれのながめのうちにそゝぐらむことのすぢこそをかしかりけれ
御かへり、
いづこにもながめのそゝぐころなれば世にふる人はのどけからじを
又、のたまへり、「のどけからじとか、
天の下騷ぐこゝろもおほみづにたれもこひ路にぬれざらめやは」
御かへり、
世とともにかつみる人の戀路をもほす世あらじと思ひこそやれ
又、宮に、
「しかもゐぬ君はぬるらむつねに住むところには又戀路だになし
さもけしからぬ御さまかな」などいひつゝ諸共に見る。あまゝに例の通ひ所にものしたる日、例の御文あり。「おはせず」といへど「猶とのみのたまふ」とて、入れたるを見れば、
「とこなつに戀しきことや慰むときみがかきほに折ると知らずや
さてもかひなければまかりぬる」とぞある。さて二日ばかりありて見えたれば、「これさてなむありし」とて見すれば、「程經にければ、びんなし」とて、「唯この頃は仰せごともなきこと」と聞えられたれば、かくのたまへる、
「水增りうらもなぎさのころなれば千鳥のあとをふみはまどふか
とこそ見つれ。うらみ給へりわりなき。みづからとあるは誠か」と女手にかき給へり。男の手にてこそ苦しけれ。
浦がくれ見ることかたき跡ならば汐干をまたむからきわざかな
又、宮、
「うらもなくふみやる跡をわたつ海の汐の干るまも何にかはせむ
とこそ思ひつれ。ことざまにもはた」とあり。
かゝるほどに、はらひのほども過ぎぬらむ。たなばたは、明日ばかりと思ふ。忌も、三十日ばかりになりにたり。日頃なやましうして、しはぶきなどいたうせらるゝを、物のけにやあらむ、加持も試みむ、せばき所の、わりなく暑きころなるを、れいもものする山寺へ上る。十五、六日になりぬれば、ぼになどするほどになりにけり。見れば、あやしきさまに、荷ひ、いたゞき、さまざまにいそぎつゝ集まるを、諸共に見てあはれがりも笑ひもす。さて、心ちもことなることなくて、忌も過ぎぬれば京に出でぬ。秋、冬、はかなう過ぎぬ。
■「章明親王より薄もらう」
年〈應和三年〉かへりて、なでふこともなし。人の心のことなる時は、萬おいらにかぞありける。このついたちよりぞ、殿上ゆるされてある。
みそぎの日、例の宮より、物見けれは、「その車に乘らむ」とのたまへり。御文の端にかゝる事あり、
「わがとしの ほんのにかく」
例の宮にはおはせぬなりけり。まちの小路わたりかとて、まゐりたれば、
「上なむ、おはします」
といひけり。まつ硯こひてかく書きて入れたり、
君がこのまちの南にとみにおそきはるにはいまぞたづねまゐれる
とて、諸共に出で給ひにける。
そのころほひすぎてぞ、例の宮にわたり給へるに、まゐりたれば、こぞも見しに、花おもしろかりき。薄、むらむら茂りて、いとほそやかに見えければ、
「これ堀りわかたせ給はゞ少し給はらむ」
と聞えおきてしを、程へて河原へものするに、諸共なれば、
「これぞかの宮かし」
などいひて、人を入る。まゐらむとするに、
「をりなきるいのあれからなむ。一日とりまうす。薄聞えてとさぶらはむ人にいへ」
とて、引き過ぎぬ。はかなきわらべなれば、ほどなくかへりたるに、
「宮よりすゝき」
といへば、見れば、ながびつといふものに、うるはしう堀りたてゝ、靑き色紙に結びつけたり。見ればかくぞ、
ほに出でば道ゆく人も招くべきやどのすゝきをほるがわりなさ
いとをかしうも、この御かへりはいかゞ。忘るゝほど思ひやれば、かくてもありなむ。されど、さきざきもいかゞとぞ覺えたるかし。
■「妻の立場にはかなさ痛感」
〈康保元年〉春うち過ぎて、夏ごろ、とのえがちなるうちずみに、つとめて、一日ありてくるれば參りなどするを、あやしうと思ふに、ひぐらしの初聲聞えたり。いとあはれと驚かれて、
あやしくもよるの行くへを知らぬかな今日ひぐらしの聲は聞けども
といふに、出でがたかりけむしかし。かくてなでふ事なければ、人の心を猶たゆみなたりにたり。
月夜の頃、よからぬ物語して、あはれなるさまのことゞも、語らひてもありしころ、思ひ出でられてものしければ、かくいはる、
くもり夜の月と我が身の行く末のおぼつかなさはいづれまされり
かへりごと、たはぶれのやうに、
敎へける月は西へぞ行くさきは我のみこそはしるべかりけれ
など、たのもしげに見ゆれど、我が家とおぼしき所は、ことになんめれば、いと思はずにのみぞ、世はありける。さいはひある人のためには、年月見し人も、あまたの子などもたらぬを、かくものはかなくて、思ふことのみ繁し。
■母の死
さいふいふも、女親といふ人あるかぎりはありけるを、久しうわづらひて、秋の初のころほひ、むなしくなりぬ。さらにせむかたなくわびしき事の、よのつねの人にはまさりたり。あまたある中に、これはおくれじおくれじと、惑はるゝもしるく、いかなるにかあらむ。足手など、唯すくみにすくみて、絕え入るやうにす。さいふいふ、ものを語らひおきなどすべき人は、京にありけり。山寺にてかゝるめは見れば、幼き子を引きよせて僅にいふやうは、
「われはかなくて死ぬるなめり。かしこに聞えむやうは、おのがうへをばいかにもいかにも、な知り給ひそ。この御後の事を人々のものせらむうへにも、とぶらひものしたまへと聞えよ」
とて、いかにせむとばかりいひて、ものもいはれずなりぬ。日ごろ月ごろわづらひて、かくなりぬる人を、今はいふかひなきものになして、これにぞ皆人はかゝりて、まして、いかにせむよとからはと、泣くがうへに、又、泣き惑ふ人多かり。ものはいはねどまた心はあり。目は見ゆる程にいたはしと思ふべき人よりきて、
「親は一人やはある。などかくはあるぞ」
とてゆくをせめて入るれば、のみなどして、見などなほりもてゆく。
さて、猶思ふにも、いきたるまじき心ちするは、この過ぎぬる人、わづらひつる日ごろ、ものなどもいはず、唯いふことゝては、
「かくものはかなくてありふるを夜晝歎きにしかば、哀れいかにし給はむずらむ」
としばしは息のしたにも、ものせられしを、おもひ出づるに、かうまでもあるなりける。人聞きつけてものしたり。我はものも覺えねば、知りも知られず。人にあひて、
「しかじかなむものし給ひつる」
と語れは、うち泣き、けがらひも忌むまじきさまにありければ、いとびんなかるべしなどものして、立ちながらなむ、そのほどのありさまはしも、いと哀れに、志あるやうに見えけり。かくてとかうものすることなど、いたづら人多くて、皆しはてつ。今は、いとあはれなる山寺につどひて、つれづれとあり。よる目もあはぬまゝに、歎きあかしつゝ山づらを見れば、霧ぞはげに、麓をこめたり。京もげに、たがもとへかは出でむとすらむ。いで猶みながら死なむと思へど、生くる人ぞ、いとつらきや。
かくて十よ日になりぬ。そうども、ねぶつのひまに物語するを聞けば、
「このなくなりぬる人の、あらはに見ゆる所なむある。さて近くよれば、消え失せぬなり。遠うては、見ゆなり。いづれの國とかや、みゝらくの島となむいふなる」
など口々語るを聞くに、いと知らまほしう、悲しう覺えてかくぞいはるゝ、
ありとだによそにても見む名にしおはゞわれにきかせよ耳らくの島
といふを、せうとなる人聞きて、それもなくなく、
いづことか音にのみ聞くみゝらくの島がくれにし人をたづねむ
かくてあるほどに、立ちながらものして人に問ふめれど、唯今は何心もなきに、なからひの心もとなき事、おぼつかなき事など、むつかしきまで書きつゞけてあれど、物覺えざりしほどの事なればにや、誠にいそがねど、心にしまかせねば、今日皆出で立つ日になりぬ。こし時は、膝に臥し給へし人をいかでなりぬこしか安らかにと思ひつゝわがみはあせになりつゝさりともと思ふ心添ひて、たのもしかりき。こたみは、いとやすらかにて、あさましきまでくつろかにのられたるにも、道すがらいみじう悲し。おりて見るにも、さらにも覺えず悲し。諸共に出でゐつゝつくろはせし草なども、わづらひしより初めてうち捨てたりければ、生ひこりて、いろいろに咲き亂れたり。わざとの事なども、皆おのがとりどりすれば、我はたゞつれづれとながめをのみして、「一むらすゝきむしの音の」とのみぞいはるゝ。
手ふれねと花はさかりになりにけりとゞめおきける露にかゝりて
などぞ覺ゆる。これかれぞ、殿上などもせねば、けがらひも一つにしなしためれば、己がじゝ、ひきつぼねなどしつゝあめるなかに、我をのみぞまさるることなくて、よはねぶつの聲聞きはじむるより、やがて泣きのみあかさる。
四十九日のこと、誰も闕く事なくて、家にてぞする。我が知る人、大かたの事を行ひためれば、人々多くさしあひたり。我が志をば、佛をぞ書かせたる。その日過ぎぬれば、みなおのがじゝいきあかれぬ。まして我が心ちは、心細うなりまさりて、いとゞやる方なく、人はかう心細げなるを思ひてありしよりは繁う通ふ。
さて、寺へものせし時、
はちす葉の玉となるらむむすぶにもそでぬれまさるけさのつゆかな
と書きてやりつ。又、この袈裟のぬしのこのかみも法師にてあれば、祈りなどもつけて賴もしかりつるを、にはかに亡くなりぬと聞くにも、このはらからの心ちいかならむ。われもいと口をし。賴みつる人のかうのみなど思ひ亂るれば、屢とぶらふ。さるべきやうにありて、雲林院に侍ひし人なり。四十九日などはてゝかくいひやる、
思ひきや雲の林にうち捨てゝそらのけぶりにたゝむものとは
などなむ、おのが心ちのわびしきまゝに、野にも山にもかゝりける。
■「母の一周忌」
はかなながらかう秋冬もすごしつ。一つところには、せうと一人、伯母とおぼしき人ぞ住む。それを親のごと思ひてあれど、猶昔を戀ひつゝ泣きあかしてある所に、年かへりて〈康保二年〉、春、夏も過ぎぬれば、今ははての事すとて、こたびばかりは、かのありし山寺にてぞする。ありし事ども思ひ出づるに、いとゞいみじう哀に悲し。導師のはじめにも、うつたへに秋のやまべを尋ぬ給ふにはあらざりける。まなことぢ給ひしところにて經の心說かせ給はむとにこそありけれ。とばかりいふを聞くに、もの覺えずなりてのちの事どもはおぼえずなりぬ。あるべき事ども終りてかへる。やがて服ぬぐににび色のものども扇まではらへなどするほどに、
藤衣流すなみだのかはみづはきしにもまさるものにぞありける
と覺えていみじうなかるれば、人にもいはでやみぬ。忌日など果てゝ例のつれづれなるに彈くとはなけれど琴おしのごひてかきならしなどするに、忌なき程にもなりにけるを、あはれにはかなくてもなど思ふ程に、あなたより、
今はとて彈き出づる琴のねを聞けばうちかへしても猶ぞ悲しき
とあるに、ことなることもあらねど、これを思へば、いとゞ泣きまさりて、
なき人はおとづれもせでことの緖を斷ちしつき日ぞかへりきにける
■「姉の旅立ち」
かくて、あまたある中にも、賴もしきものに思ふ人、この夏より遠くもろこしぬべき事のあるを、服果てゝとありつれば、この頃出で立ちなむとす。これを思ふに、心細しと思ふにもおろかなり。今はとて出で立つ日、渡りて見る。さうずく一くだりばかり、はかなき物など硯筥一よろひに入れて、いみじう騷がしう、罵りみちたれど、我も行く人も、目も見合せす、唯向ひ居て淚をせきかねつゝ
「皆人はかなど念ぜさせ給へ、いみじう忌むなり」
などぞいふ。されば車に乘り果てむを見むは、いみじからむと思ふに、家より、
「疾く渡りね。こゝに物したり」
とあれば、車寄せさせて乘るほどに、行く人は、ふたゐの小袿なり。とまるは唯、うすものゝ赤朽葉を着たるを、ぬぎ更へて別れぬ。九月十よ日の程なり。家に來ても、なぞかく、まがまがしくと咎むるまでいみじう泣かる。
さて、昨日、今日は、關山ばかりにぞ物すらむかしと思ひやりて、月のいと哀なるに詠めやりてゐたれば、あなたにもまた起きて琴禪きなどしてかくいひたり、
引きとむるものとはなしに逢坂の關の朽ちめのねにぞそぼつる
これも同じ思ふべき人なればなりけり、
思ひやる逢坂山のせきのねは聞くにもそでぞくちめつきぬる
など思ひやるに年もかへりぬ。
■「兼家の病気」
〈康保三年〉三月ばかりこゝに渡る程にしも苦しがりそめていとわりなう苦しと思ひ惑ふを、いといみじうと見る。いふことは、
「こゝにぞいとあらまほしきを、何事もせむにいとびんなかるべければ、かしこへものしなむ。つらしとなおぼしそ。俄にもいくばくもあらぬ心ちなむするなむ、いとわりなき。あはれしらぬともおぼし出づべきとのなきなむ、いと悲しかりける」
とて、泣くを見るに物おぼえずなりて、又、いみじう泣かるれば、
「な泣き給ひそ。苦しさ增る。世にいみじかるべきわざは、心はからぬほどにかゝる別せむなむありける。いかにし給はむずらむ。ひとりは世におはせじな。さりとておのが忌の中にしらなから死なずばありとて限りと思ふなり。ありとてうちはえ參らまし。おのがさかしからむ時こそ、いかでもいかでも物し給はめと思へば、かくて死なば、これこそは見奉るべき限なめれ」
など、伏しながらいみじう語ひて泣く。これかれある人々呼び寄せつゝ
「こゝにはいかに思ひ聞えたりとか見る。かくて死なば、又、対面せで止みなむと思ふこそいみじけれ」
といへば皆泣きぬ。みづからはまして物だにいはれず、唯泣きにのみ泣く。かゝるほどに、心ちいと重くなりまさりて、くるまさし寄せて乘らむとてかき起されて人にかゝりてものす。うち見おこせてつくづくとうち守りていといみじと思ひたり。とまるは更にもいはず、このせうとなる人なむ、
「何か、かくまかまがしう事か、おはしまさむ。はや奉りなむ」
とて、やがて乘りて、かゝへてものしぬ。思ひやる心ちいふかたなし。日にふたゝびみたび文をやる。
「人憎しと思ふ人もあらむと思へどもいかゞはせむ」
返事はかしこなるおとなき人して書かせてあり。
「みづから聞えぬがわりなき事とのみなむ、きこえ給む」
などぞある。ありしよりもいたう煩ひまさると聞けば、いひしことみづから見るべうもあらず。「いかにせむ」など思ひ歎きて、十よ日にもなりぬ。
讀經修法などして、いさゝか怠りたるやうなれば、ゆふのこと、みづから返りごとす。いとあやしう怠るともなくて日を經るに、いとまどはれし事はなければにやあらむ、おぼつかなき事など、ひとまにこまごまと書きてあり。
「物覺えにたれば、あらはになどもあるべうもあらぬを、夜のまに渡れ。かくてのみ日を經れば」
などあるを、人はいかゞは思ふべきなど思へど、我も、又、いと覺束なきに、立ち歸り同じことのみあるをいかゞはせむとて
「車を給へ」
といひたれば、さし離れたる廓の方に、いとようとりなし、しつらひて、端に待ち臥したりけり。火ともしたる、かい消たせておりたればいと暗うて入らむ方も知らねば、あやし。
「こゝにぞある」
とて手を取りて導く。
「など、かう久しうはありつる」
とて、日頃ありつるやう、くつし語らひて、とばかりあるに、
「火ともしつけよ。いいと暗し。更に後めたなくば猶しそ」
とて、屛風のうしろにほのかにともしたり。
「まだいをなども食はず、今宵なむ、おはせば諸共に」
とてある。
「いづら」
などいひてもの參らせたり。少し食ひなどしてぜじたちありければ、夜うち更けて、ごしんにとてものしたれば、
「今はうちやすみ給へ。日頃よりは少し休まりたり」
といへば、大とこ
「しか、おはしますなり」
とて、立ちぬ。さて、
「よは明けぬるを、人など召せ」
といへば、
「なにか。まだ、いと暗からむ。しばし」
とてあるほどに、明うなれば、をのこども呼びて、しとみ上げさせて見つ。
「見給へ。草どもはいかゞうへたる」
とて見出したるに、
「いとかたはなるほどになりぬ」
などいそげば
「なにか今は粥など參りて」
とあるほどに昼になりぬ。さて、
「いざ諸共に歸りなむ。または、ものしかるべし」
などあれば、
「かく參り來たるをだに、人いかにもおもふに、御迎へなりけると見ば、いとうたてものしからむ」
といへば、
「さらば、をのこども車寄せよ」
とて寄せたれば、乘る所にも、かつがつとあゆみ出でたれば、いとあはれと見る。
「いつか御ありきは」
などいふ程に、淚浮きにけり。いと心もとなければ、
「あす、あさての程ばかりには參りなむ」
とて、いとさうざうしげなる氣色なり。少し引き出でゝ牛懸くる程に見通せば、ありつる所に歸りて見おこせて、つくづくとあるを見つゝ引き出づれば、心にもあらで、顧みのみぞせらるゝかし。
さて、昼つ方、文あり。何くれと書きて、
かぎりかと思ひつゝこし程よりもなかなかなるは侘びしかりけり
かへりごと。猶いと苦しげにおぼしたりつれば、「今もいと覺束なくなむ。なかなかに、
我もさぞのどけきとこのうらならで歸る波路はあやしかりけり」
さて、猶苦しげなれど、念じて二、三日の程に見えたり。やうやう例のやうになりもて行けば、例の程に通ふ。
■「賀茂祭と端午の節会」
この頃は四月祭見に出でたれば、かの所にも出でたりけり。さなめりと見て、迎ひに立ちぬ。待つ程のさうざうしければ、橘の實などあるに、葵をかけて、
「あふひとかきけどもよそにたち花の」
といひやる。やゝ久しうありて、
「きみがつらさを今日こそは見れ」
とぞある。にくかるべきものにては年經ぬるを、「なめげに」とのみ、いひたらむといふ人もあり。歸りて、
「さありし」
など語れば、
「くひつぶしつべき心ちこそすれとやいはざりし」
とていとをかしと思ひけり。
「今年にせち聞し召すべし」とていみじう騷ぐ。
「いかで見むと思ふに所ぞなき。見むと思はゞ」
とあるを聞きはさめて、
「すぐろく打たむ」
といへば、
「よかなり。物見つぐのひに」
とてめうちぬ。喜びてさるべきさまの事どもしつゝよひの間、靜まりたるに、硯引き寄せて、手習に、
あやめ草生ひにし數をかぞへつゝひくや五月のせちに待たるる
とてさしやりたれば、うち笑ひて、
隱れぬに生ふる數をば誰か知るあやめ知らずも待たるなるかな
といひて、見せむの心ありければ、宮の御さじきの一續きにて、二まありけるを別けて、めでたうしつらひて、見せつ。
■「荒れる家と夫婦仲」「ゆする杯の水」
かくて、人にくからぬさまにて、十といひて、一つ、ふたつの年は、餘りにけり。されど、明け暮れ、世の中の人のやうならぬを歎きつゝ盡きせず過ぐすなりけり。それもことわり、身のあるやうは、よるとても、人の見え怠る時は、人すくなに心細う、今は一人を賴む。たのもし人は、この十よ年のほど、あがたありきにのみあり。たまさかに、京なるほども、四、五條のほどなりければ、我は左近のうまばを片岸にしたれば、いと遙なり。かゝる所とも取りつくろひ、かゝはる人もなければ、いとあしくのみなり行く。これをつれなく出で入りするは、殊に心細う思ふらむなど、深う思ひよらぬなめりなど、ちぐさに思ひ亂る。「事繁し」といふは、「何かこの荒れたる宿の蓬よりも繁げなり」と思ひ眺ひるに、八月ばかりになりにけり。
心のどかに暮らす日、はかなき事いひいひのはてに、我も人〈藤原兼家〉も、惡しういひなりて、うち怨じて出づるになりぬ。端の方にあゆみ出でゝ幼き人〈藤原道綱〉を呼び出でゝ、
「我〈藤原兼家〉は、今は、こじとす」
などいひ置きて、出でにける。即ち、這ひ入りて、おどろおどろしう泣く。
「こはなぞ、こはなぞ」
といへどいらへもせで、ろんなうさやうにぞあらむと推しはからるれど、人の聞かむもうたて物狂ほしければ、問ひさしてとかうこしらへてあるに、五、六日ばかりになりぬるに音もせず。例ならぬほどになりぬれば、
「あな物狂ほし、戯ぶれ事とこそ我は思ひしか、はかなきなかなればかくて止むやうもありなむかし」
と思へば、心細うて眺むる程に、出でし日つかひし、ゆするつきの水はさながらありけり。上に、ちり居てあり。かくまでとあさましう、
絕えぬるか影だにあらば問ふべきをかたみの水はみくさゐにけり
など思ひしひしも、見えたり。例の事にて止みにけり。かやうに胸つぶらはしき折のみあるが、世に心ゆるびなきなむ、侘しかりける。
■伏見稲荷と賀茂神社に和歌奉納
九月になりて、「世の中をかしからむ、物へ詣でせばや。かう物はかなき身の上も申さむ」など定めて、いと忍びたる所<伏見稲荷大社>にものしたり。ひとはさみのみてぐらに、かう書きつけたりけり、まづしものみ社<宇迦之御魂大神を祀る下社>に、
いちじるき山口ならばこゝながら神の氣色を見せよとぞ思ふ
中の<佐田彦大神を祀る中社>に、
いなりやま多くの年ぞ越えにけりいのるしるしの杉をたのみて
はての<大宮能売大神を祀る上社>に、
神々とのぼり下りはわぶれどもまださかゆかぬこゝろこそすれ
又、同じ晦に、ある所<賀茂神社>に同じやうにて詣でけり。ふたはさみつゝしもの<賀茂御祖神社(下鴨神社)>に、
かみやせくしもにやみくづ積るらむ思ふこゝろの行かぬみたらし
又、
榊葉のときはかきはにゆふしでやかたくるしなるめな見せそ神
又、上の<賀茂別雷神社(上賀茂神社)>に、
いつしかもいつしかもとぞ待ちわたる森のこまより光見むまを
又、
ゆふだすき結ぼゝれつゝ歎くこと絕えなば神のしるしと思はむ
などなむ、神の聞かぬ所に聞えごちける。
秋はてゝ冬は朔つごもりとて〈康保四年〉あしきも、よきも騷ぐめるものなれば、獨寐のやうにて過ぐしつ。
■「かりのこを贈る」
三月晦方に、かりのこの見ゆるを、「これ十づゝ重ぬるわざをいかでせむ」とて、手まさぐりにすゞしの糸を長う結びて,一つ結びては、ゆひゆひして引きたてたれば、いとようかさなりたり。猶あるよりはとて、九條殿の女御殿の御方〈登子〉に奉る。卯の花にぞつけたる。何事もなく、唯、例の御文にて、端に「この十かさなりたるはかうても侍りぬべかりけり」とのみ聞えたる。御かへり、
數知らす思ふこゝろにくらぶれば十かさぬるもものとやは見る
とあれば、御かへり。
思ふほどしらではかひやあらざらむかへすがへすもかずをこそ見め
それより五の宮になむ奉れ給ふと聞く。
■「村上天皇の崩御と兼家の昇進」
五月にもなりぬ。十よ日にうち〈村上天皇〉の御藥のことありて、のゝしるほどもなくて、二十よ日のほどにかくれさせ給ひにぬ。
東宮〈円融院〉、即ち、かゝり居させ給ふ。東宮の亮といひつる人〈藤原兼家〉は、藏人のとうなどいひてのゝしれば、悲しびは大かたの事にて、おほん喜びといふことのみ聞ゆ。あひ答へなどして、少し人の心ちすれど、私の心は猶同じことあれど、引きかへたるやうに騷がしくなどあり。
「みさゝぎや何や」と聞くに、時めき給へる人々いかに思ひやり聞ゆるあはれなり。やうやう日頃になりて、貞觀殿の御方にいかになど聞えけるついでに、
世の中をはかなきものとみさゝぎの埋るゝ山になげくらむやぞ
御かへりごといと悲しげにて、
おくれじとうきみさゝぎに思ひ入る心は死出の山にやあるらむ
御四十九日はて、七月になりぬ。うへに侍ひし兵衞の佐〈高光〉まだ年も若くて、思ふ事ありげもなきに、親をもめをもうち捨てゝ山に這ひのぼりて、法師になりにけり。「あないみじ」とのゝしり、あはれといふ程に、女は、又、尼になりぬと聞く。さきざきなども文通しなどする中にて、いと哀にあさましき事をとぶらふ。
おくやまの思ひやりだに悲しきに又あま雲のかゝるなになり
といへば、さながらかへりごとしたり、
山深く入りにし人も尋ぬれどなほ天ぐものよそにこそなれ
とあるもいと悲し。かゝる世に、中將にや、三位にや三位にや、などよろこびをしきりたる人は、ところどころなるいと騷しければ、あしきを近う去りぬべき所いで來たりとて渡して、乘物なきほどに這ひ渡るほどなれば、人は思ふやうなりと思ふべかめり。霜月なかの程なり。
■「貞観殿との交流」
しはす晦方に、貞觀殿の御方この西なる方にまかで給へり。
晦の日になりて、なゐといふもの俄にふるを、又、晝よりこほこほ、はたはたとするぞひとりゐみせらてあるほどに、あけぬれば〈安和元年〉晝つかた、まらうどの御かた男なんど立ちまじらねば、のどけし。我も、のこるおはとなりにきゝて「待たるゝものは」なんどうち笑ひてあるほどに、あるもの手まさぐりに、かい粟をあしたてゝにつにしてきをつくりたるをのこのかたを、とりよせて、ありし雉のはしたはぎにおしつけて、それに書きつけてあの御方に奉る。
かたごひやくるしかるらむやまがつのあふごなしとは見えぬものから
と聞えたれば、みるのひきぼしの短くちぎりたるをゆひ集めて、木のさきに荷ひかへさせて、細かりつるかたの足にもとのこひをもけづりつけて、もとのよりも大きにてかへし給へり。見れば、
やまがつのあとまち出でゝくらぶればこひまさりける方もありけり
日たくれば、節供まゐりなどすめる。こなたにも、さやうになどして、十五日にも例のごとして過ぐしつ。
三月にもなりぬ。まらうどの御かたにと、おぼしかりける文を、もて違へたり。見れば、「なほしもあらで、近きほどに參らむと思へど、われならでと思ふ人や侍らむとて」など書いたり。年頃見給ひなりにたれば、かうもあるなめりと思ふに、猶もあらで、いとちひさく書いつく。
松山のさし越えてしもあらじよを我によそへて騷ぐ波かな
とて、「あの御方みもかくにもてまゐれ」とて返しつ。見給ひてければ、即ち、御返りあり。
まつしまの風にしたがふなみなれやよするかたこそ立ちまさりけれ
この御方、東宮〈円融院〉の御親のごとして侍ひ給へば參り給ひぬべし。かうてやなど度々しばしばの給へば宵のほどに參りたり。時しもこそあれあなたに人の聲すれば「そゝ」などのたまふに、聞きも入れねば、よひまどひし給ふやうに聞ゆるを「ろなうむつかられ給はゞや」との給へば、「乳母なくとも」とて、しぶしぶなるに、ものあゆみ來て、聞えたてば、のどかならで返りぬ。又の日の暮に參り給ひぬ。
五月に、みかどの御服ぬぎに、まかで給ふに、さきのごと、こなたになどあるを、「夢にものしく見えし」などいひて、かなたにまかで給へり。
さて、しばしば夢のさとしありければ、「ちがふるわざもがな」とて、七月、月のいとあかきに、かくのたまへり、
見し夢をちがへ侘びぬる秋の夜に寐難きものと思ひしりぬる
御かへり、
さもこそはちがふる夢はかたからめ逢はで程經る身さへ憂きかな
たちかへり、
逢ふと見し夢になかなかくらされてなごり戀しくさめぬなりけり
とのたまへれば、又、
こと絕ゆるうつゝや何ぞなかなかに夢はかよひぢありといふものを
又、「こと絕ゆるは何事ぞ。あな、まがまがし」とて、
かはと見てゆかぬ心を詠むればいとゞゆゝしくいひや果つべき
とある、御かへり、
渡らねばをち方人になれる身を心ばかりはふち瀨やはわく
となむ、夜一夜いひける。
■「初瀬詣で往路」
かくて、年頃願あるを、いかで泊瀨にと思ひ立つを、む月にと思ふを、さすがに、心にしまかせねば、からうじて九月に思ひ立つ。
たゞむ月には、大嘗會の御けい、これより女御御たいいでたゝるべし。これ過ぐして、諸共にやは、とあれど、我が方の事にしあらねば、忍びて思ひ立ちて、日惡しければ、門出ばかり、法正寺のべにして、曉より出で立ちて、うまの時ばかりに字治の院に至りつゝ見やれば、木の間より水のおもてつやゝかにて、いと哀なる心ちす。忍びやかにと思ひて、人あまたもなうて出で立ちたるも、我が心の怠りにはあれど、我ならぬ人なりせば、いかにのゝしりてと覺ゆ。車さしまはして、幕など引きて、しりなる人ばかりを下して、かはべに向へて、すだれ卷きあげて見れば、網代ともし渡したり。行きかふ舟とて、あまた見ざりし事なれば、すべてあはれにをかし。しりの方を見れば、來こうじたるげすども、あやしげなるゆや梨やなどをなつかしげにもたりて、食ひなどするも哀に見ゆ。わりごなどものして、舟に車搔きすゑて、急ぎもていけば、にへのゝ池、泉河などいひつゝとりども居などしたるも、心にしみて、哀にをかしう覺ゆ。かい忍びやかなれば、萬につけて淚もろく覺ゆ。その泉河もわたりて、橋寺といふ所にとまりぬ。酉の時ばかりにおりて休みたれば、はたにとしろと思しきかたより、切大根ものしなしてあへしらひてまづ出したり。かゝる旅立ちたるわざどもをしたりしこそ、あやしう忘れがたうをかしかりしか。明くれば、川渡りていくに、柴垣しわたしてある家どもを見るに、いづれならむよもの物語の家など思ひいくに、いとぞ哀なる。今日も寺めく所にとまりて、又の日は、つばいちといふ所にとまる。
又の日、霜のいと白きに、詣でもし歸りもするなめり。脛を布の端して引きめぐらかしたるものども、ありきちがひ、騷ぐめりしとみさしあげたる所に宿りて、湯かしなどする程に見れば、さまざまなる人のいきちがふ、おのがじゝは思ふ事こそはあらめと見ゆ。とばかりあれば、文捧げてくる者あり。そこにとまりて「御文」といふめり。見れば、
「昨日、今日の程、何事か、いと覺束なくなむ。人少なにて物しにし、いかゞ。いひしやうに三夜さぶらはむずるか。歸るべからむ日聞きて迎へにだに」
とぞある。返ごとには、
「つば市といふまでは、平かになむ。かゝるついでに、これよりも深くと思へば、歸らむ日を、えこそ聞え定めね」
と書きつ。
「そこにて、猶三日作給ふ事、いとびんなし」
など定むるを、使、聞きて歸りぬれば、それより立ちて、いきもていけるは、なでふ事なき道も山深きこゝちすれば、いとあはれに、水の聲も、例に過ぎもと有さしも立ちわたり、木の葉は色々に見えたり。水は、石がちなるなかより湧きかへり行く。夕日のさしたるさまなどを見るに、淚も留まらず。道は、殊に、をかしくもあらざりつ。紅葉もまだし。花も皆失せにたり。をれたる薄ばかりぞ見えつる。こゝは、いと心ことに見ゆれば、すだれ卷きあげて、下簾垂おしはさみて見れば、着なやしたる物の色もあらぬやうに見ゆ。薄色なるうすものゝ裳を引きかくれば、こしなどちりて、こがれたるくち葉にあひたる心ちもいとをかしう覺ゆ。かたゐどもの、つきなべなど居ゑてをるもいと悲し。げすぢかなる心ちして、生けおとりしてぞ覺ゆる。ねぶりもせられず、いそがしからねば、つくづくと聞けば、目も見えぬ者のいみじげにしもあらぬが、思ひける事どもを人や聞くらむとも思はず、のゝしり申すを聞くも、哀にて唯淚のみぞこぼるゝ。
■「初瀬詣で帰路」
かくて、「今しばしあらばや」と思へど、明くれば、のゝしりて出し立つ。かへさは、忍ぶれど、こゝかしこあるじしつゝとゞむれば、物さわがしうて過ぎ行く。三日といふに京につきぬべけれど、いたう暮れぬとて、山城の國久世のみやけといふ所にとまりぬ。いみじうむつかしけれど、夜に入りぬれば、唯明くるを待つ。まだ暗きよりいけば、黑みたるもののりてぞ追ひてはしらせてく。やゝ遠くよりおりて、ついひざまづきたり。見れば、ずゐじんなりけり。「何ぞ」とこれかれ問へば、
「昨日の酉の時ばかりに、宇治の院におはしまし着きて、かへらせ給ひぬやと參れ、と仰せごと侍りつればなむ」
といふ。さきなるをのこども、舟ぞながせやなど行ふ。宇治の河によるほど、霧はきし方見えず立ち渡りて、いとおぼつかなし。車かきおろしてこちたくとかくするほどに人聲多くて、
「御車おろし立てよ」
とのゝしる。霧の下より例のあじろも見えたり。いふ方なくをかし。みづからは、あなたにあるなるべし。まづかくかきてわたす、
人心宇治のあじろにたまさかによるひるだにもたづねけるかな
船の岸によするほどに返し、
かへる日を心のうちに數へつゝ誰によりてかあじろをもとふ
見るほどに、車かき居ゑて、のゝしりてさし渡る。いとやんごとなきにはあらねど、卑しからぬ家の子ども、何のぞうの君などいふものども、ながえとびの尾のなかに入りこみて、かのあじろ僅かに見えて、霧、所々に晴れ行く。あなたの岸に、家の子、衞府の佐など、かひつれて見おこせたり。なかに立てる人も、旅立ちて狩ぎぬなり。岸のいと高き所に船を寄せて、わりなくたゝあげに擔ひあぐ。轅をいたじきに引きかけて立てたり。としみの設けありければ、とかうものするほどに、かはのあなたにあぜちの大納言〈師氏〉のらうじ給ふところありける。
「この頃のあじろを御覽ずとてこゝになむものし給ふ」
といふ人あれば、
「かうてありと聞き給へらむを、まうでこそすべかりけれ」
など定むるほどに、紅葉のいとをかしきえだに、きじひをなどをつけて、
「かうものし給ふと聞きてもろともにと思ふもあやしう、ものなき日にこそあれ」
とあり。御かへり、
「こゝにおはしましけるを、唯今侍らひ、かしこまりは」
などといひて、ひとへぎぬぬぎて、かづく。さながら、さし渡りぬめり。又、鯉鱸などしきりにあめり。あるすきものども醉ひあつまりて、
「いみじかりつるものかな。御車のつぎのいたのほどの、日にあたりて見えつるは」
ともいふめり。車のしりの方に、花紅葉などやさしたりけむ、家の子とおぼしき人、
「近う花咲き実なるまでなりにける日頃よ」
といふなれば、しりなる人も、とかくいらへなどするほどに、あなたへ舟にて皆さしわたる。「ろなうゑはむものぞ」とて、皆酒飮むものどもを選りてゐて渡る。川の方に車むかへ榻立てさせて、ふた舟にて漕き渡るまで醉ひ惑ひて歌ひ歸るまゝに、
「御車、かけよ、かけよ」
とのゝしれば、困じていと侘しきに、いと苦しうて來ぬ。あくれば、ごけいのいそぎ、近くなりぬ。「こゝにし給ふべき事それぞれ」とあれば、いかゞはとてし騷ぐ。儀式の車にて、ひきつゞきたり。しもづかへ手振などかくしいけば、いろふしに出でたらむこゝちして今めかし。月立ちては、大ざう會のけみやとし騷ぎ、我も物見のいそぎなどしつるほどに、晦に、又、いそぎなどすめり。
■「結び」
かく年月はつもれど、思ふやうにもあらぬ身をし歎けば、聲あらたまるもよろこぼしからず。猶、物はかなきを思へば、あるか、なきかの心ちする『かげろふのにき』といふべし。