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なぜ歴史? なぜ古代史?
私の友達に言わせれば、
・考古学者へ→興味本位で墓を掘るな。愛用品を奪って展示するな。
・歴史学者へ→現在や未来を考えるべきでは?
だそうで、
「歴史は嫌い。大河ドラマや時代劇は見たことが無い」
と言う。
生育環境のせい? 親兄弟に歴史好きな人はいないのか?
学校教育のせい? 先生は歴史付きの子を育てられなかったのか?
とにかく、類が友を呼んでいない。
コメント欄に同じ趣味(?)の人の書き込みが無い。
フレンド、人脈が出来ない。
■古代史研究から未来へ
太宗常以人為鏡 太宗は常に人を以て鏡と為し、 「人の鏡」
鍳古鍳今不鍳容 古を鑑み、今を鑑み、容を鑑みず。 「歴史の鏡」
四海安危照掌内 四海の安危照掌内に居き、
百王理乱懸心中 百王の理乱、心中に懸く。
乃知天子有別鏡 乃ち知る。天子には別に鏡有るや。
不是揚州百錬銅 是れ揚州百錬の銅ならず。 「洞の鏡」
https://dl.ndl.go.jp/pid/1140254/1/41
太宗は常に人を鏡とし、
歴史を鏡とし、現状を鏡とし、己の容姿を鏡に映さなかった。
四海(天下)の安全と危機を掌中に握り(把握し)、
百人(百代)の王の治世(太平と乱れ)=歴史を心得ていた。
これにより、天子は平民とは別の鏡を持っていることが分かる。
とはいえ、それは揚州で鋳られた(王に献上する)磨かれた鏡ではない。
※「太宗は特別な鏡を持っていた」というと、「普通の人には持てない(買えない)高価な揚州製の立派な銅鏡」を想像するかもしれないが、そうではなく「人の鏡」と「歴史の鏡」を持っていたのである。
■『貞観政要』「三鏡(銅の鏡、歴史の鏡、人の鏡)の教え」
為政者は、歴史を学び、
・なぜこの時代は天下泰平だったのか
・なぜこの時代は乱れていたのか
と成功例と失敗例を知る必要があるが、政治家ではない私がなぜ歴史を・・・???
───「歴史に学ぶ」というより、「歴史の謎を解く」ためだな。
歴史を学んで「邪馬台国という国があった」という史実を知って満足する人もいれば、私のように「邪馬台国がどこにあったか知りたい」と思う人もいるんだよ。多分ね。私の身近にはいないけど。私の記事に同志からのコメントがはいらないからいないように見えちゃうけど。
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