2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(第34回)「理想の結婚」
──恋愛結婚と見合い結婚、どちらが幸せになれるか?
北条義時と比企朝宗の娘(『鎌倉殿の13人』では比企比奈)の結婚は、「北条義時の片思いに始まり、何通もラブレターを送る姿を見て哀れんだ源頼朝が仲人になって結婚させた」と広まっているが、実際は、源頼朝による北条氏と比企氏の融和策であり、源頼朝は、両氏が仲良く手を取り合って鎌倉幕府を支えることを望んだという。比企氏が滅亡した「比企の乱」後、北条義時が悲しんだのは、「妻(比企朝宗の娘)と離婚することになったから」という事以上に「源頼朝との約束(北条氏と比企氏が仲良く手を取り合って鎌倉幕府を支えること)が果たせなかったから」だという。
鎌倉殿の場合は、見合った女性を正室とし、好きな女性は妾にすればよい。『鎌倉殿の13人』の源頼朝は、漁師の妻・亀を妾にしたが、人妻に手を出すのはいかがなものかと。源頼家(正室1人、妾4人)は、安達景盛(正室は武藤頼佐の娘)の留守中に比企氏らを使って妾を奪おうとして北条政子の力で失敗している。(これにより、安達氏は、比企氏を離れ、北条氏についた。)
■理想の結婚
(1)北条義時の場合
・初婚:阿波局(『鎌倉殿の13人』では伊東八重)
・再婚:比企朝宗の娘(『鎌倉殿の13人』では比企比奈)
・再々婚:伊佐朝政の娘(『鎌倉殿の13人』には登場しない?)
そして、今回登場した4人目にして、最後の妻と思われるのが伊賀朝光(藤原光郷の子。『鎌倉殿の13人』では「13人の合議制」の1人である二階堂行政の子)の娘(『鎌倉殿の13人』では伊賀のえ)である。八田知家の見立てでは「非の打ち所がない女性」である。特に「キノコが大好き」だというのがいい。子供受けもいい。用心深い北条義時は、
「裏にはもう一つ、別の顔があることも御座いますが…」
と警戒するが、八田知家に「裏表なし。あれはそういう女子だ。俺が名乗りを上げてもいいくらいだ」と否定された。
北条寺の北条義時の墓の横には伊賀の方の墓があり、仲良さそうに見え、北条義時にとっては、この4度目の結婚が「理想の結婚」だったように思われる。
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※北條寺(静岡県伊豆の国市南江間)
・長男・安千代の菩提を弔うために北条義時が創建した寺だという。これが史実で、安千代の母が阿波局ではないのであれば、北条義時の妻は5人となる。
・前回、運慶が「いつかお前のために仏を彫ってやりたい」と言っていたが、本尊・木造阿弥陀如来像は運慶作と伝わる。(学者によれば、細身で繊細な作風は運慶とは異なり、慶派の作ではあるが、運慶の作ではないとする。)
・裏山(通称「小四郎山」)に北条義時と伊賀の方の墓がある。
https://houjouji.com/
※伊賀氏:藤原北家秀郷流。藤原朝光は、承元4年(1210年)3月19日に伊賀守に任ぜられ、以後「伊賀氏」を名乗るようになった。
説①:藤原光郷─藤原朝光(伊賀朝光)─伊賀のえ(北条義時後室)
説②:二階堂行政─伊賀朝光─伊賀のえ(北条義時後室)
通説は説①であるが、『鎌倉殿の13人』では説②が採用された。
※「伊賀の方は伊賀氏?二階堂氏?佐伯氏? 」
https://note.com/sz2020/n/n77e6803cbe0a
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後に尊長(北条義時の次女の婿・一条実雅の兄)が、六波羅探題で尋問を受けた際に、北条義時の急死の理由は妻(伊賀朝光の娘)による毒殺だと暴露している。私の説は、「急病で苦しむ北条義時に頼まれて、妻(伊賀朝光の娘)が毒で安楽死させた」である。さて、『鎌倉殿の13人』の最終回では、北条義時の毒殺がどう描かれるのだろうか。
番組の最後に伊賀のえは、キノコが嫌いだと判明した。『鎌倉殿の13人』では、伊賀のえ=悪女説を採用したのか、玉の輿に乗るために話を合わせたというのである。この女なら北条義時を毒殺しそうだ。(「玉の輿」というが、北条氏=権力者というだけであって、伊豆国北条の土豪と伊賀氏とでは、家格は伊賀氏の方が上である。)伊東八重は「おかえりなさいませ」の人で、比企比奈は「いってらっしゃいませ」の人であった。伊賀のえは「逝って良し」の人か?
北条義時を一言で評すれば、
──女運の悪い人
である。
そういえば前回、比企比奈との別れがあっさりしすぎていて、拍子抜けした。もっと前から強く抱きしめて「お前は比企の人間じゃない。北条の人間だから別れる必要はない。起請文に書いた通りだ」と泣きじゃくるかと思ったら、あっさりしていた。今回、源頼朝の観音像を北条泰時に渡した。北条泰時は、「父は、これを持っていると、源頼朝の子(頼家)と孫(一幡)を殺したことを思い出すから嫌なのだろう」と分析した。家に比企比奈がいると比企一族を滅ぼし、「北条と比企が協力して鎌倉殿を支える」という源頼朝との約束を破ったことを思い出すから嫌なのであろう。それであっさりと離婚したのではないだろうか。
(2)源実朝の場合
源実朝の結婚は、『鎌倉殿の13人』では、牧の方(『鎌倉殿の13人』では牧りく)が、娘婿・平賀朝雅を通して探させると、後鳥羽上皇が妻の妹(『鎌倉殿の13人』では坊門千世)にしたとしたが、実際は、牧の方と後鳥羽上皇の乳母・藤原兼子で決めたという。
藤原信隆(坊門信隆)┬七条院藤原殖子(後鳥羽天皇の母)
└坊門信清┬坊門忠信
├坊門忠清(北条時政の娘婿)
├坊門局(後鳥羽上皇の妻)
└西八条禅尼(源実朝の妻)
源実朝の結婚相手は、後鳥羽上皇の妻の妹であり、北条時政の娘婿の妹でもあるから、公武融和を目指す上皇にとっても、朝廷と結びついて権力を拡大させようとする北条氏にとっても、win-winの「理想の結婚」であった。北条政子も、御家人との結婚よりもいいと思って承諾した。
──本人・源実朝にとってはどうであったか?
子宝に恵まれ、末永く幸せに暮らせたのであれば、「理想の結婚」だったと振りかえることができようが、嫡子が生まれないうちに、源実朝は公暁に討たれてしまったので、判断しがたい。
■北条政範の急死
何事もなければ、北条家は長男・宗時が継いだであろうが、討死してしまった。次男・義時は、江間家初代宗主として北条家を追い出され、母親不明の三男・時房は影が薄い。牧りくの要望により、北条家は四男・政範が継ぐと思われたが、急死した(『鎌倉殿の13人』では、源仲章にそそのかされた平賀朝雅による毒殺?)。
■仲資王(源仲資)『仲資王記』「元久元年(1204年)11月3&5日」条
元久元年十一月三日辛酉、木開。今夜、遠江守時政入洛云々。
元久元年十一月五日癸亥、水建。今日、卯尅、遠江守時政男・馬助維政、早世了云々(生年十五歳)。去三日、入洛。自路有病。是母為迎将軍北方(坊門大納言息女)相具数百騎、上洛云々。
※北条時政は上洛していないと思われる。
※「維政」ではなく「政範」。享年15ではなく、16。
※「相具数百騎」ではなく「相具数十騎」。
■『吾妻鏡』「元久元年(1204年)11月5日」条
元久元年十一月大五日癸亥。子尅。從五位下行左馬權助平朝臣政範卒(年十六。于時在京)。
(元久元年(1204年)11月5日。子の刻(午前0時頃)従五位下・北条政範が亡くなった。(享年16。この時、京都に居た。))
■『吾妻鏡』「元久元年(1204年)11月13日」条
元久元年十一月大十三日辛未。「遠江左馬助、去五日於京都卒去」之由、飛脚到着。是遠州、當時寵物牧御方腹愛子也。爲御臺所御迎、去月上洛、去三日京着、自路次病惱、遂及大事。父母悲歎、更無可比云々。
(元久元年(1204年)11月13日、「(北条時政と牧の方の子である)北条政範が11月5日、京都で亡くなった」と告げる飛脚が鎌倉に到着した。北条政範は、当時、北条時政が寵愛してい牧の方が生んだ愛しい子である。将軍・源実朝の御台所を迎えるため、先月に京都に向かい、11月3日に京都へ着いたのであるが、途中で病気になり、遂に大事に及んだ。父母の悲歎は比べるものが無かったという。)
■『吾妻鏡』「元久元年(1204年)11月20日」条
元久元年十一月大廿日戊寅。故遠江左馬助僮僕等、自京都歸着。去六日、葬東山邊云々。
(元久元年(1204年)11月20日。故・北条政範の下僕たちが京都から鎌倉に帰ってきた。11日6日、東山のあたり(鳥辺野)に葬ったという。)
※「『鎌倉北条九代記』に見る北条政範の死 」
https://note.com/sz2020/n/ne9de004ad576
★今回の対比①「理想の結婚」
・北条義時と伊賀のえ
・源実朝と坊門千世
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・北条泰時と初
・和田義盛と巴御前
★今回の対比②「覗き見」
・八田知家の覗き見(どうしても結婚したい相手の前での伊賀のえ)
・北条泰時の覗き見(侍女の前でゆるんだ素顔の伊賀のえ)
よく「私にばれないようにやってくれれば、浮気も風俗遊びもいい」という女性がいるが、悪女・伊賀のえは、TPOに応じてそつなくこなせる人であるので、裏の顔を知らなければ、いい女房かと。
「喧嘩するほど仲が良い」「夫婦喧嘩は犬も食わない」という。互いに裏の顔まで見せて、和田義盛と巴御前のようになる方が、裏表を使いこなすよりも、疲れなくていいとは思うが。ちなみに、現在の女性が結婚相手に選ぶ男性は、YSK(優しさ、自然体でいられる、価値観の一致)の人だという。
※「『鎌倉殿の13人』34「理想の結婚」」
https://note.com/sz2020/n/n34f20aec123c
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▲北条時政の子(『鎌倉殿の13人』の設定)
北条四郎時政┬長男・三郎宗時 (片岡愛之助) :母・伊東祐親の娘
(坂東彌十郎) ├長女・政子=源頼朝室 (小池栄子) :母・伊東祐親の娘
├次男・江間小四郎義時 (小栗旬) :母・伊東祐親の娘
├次女・実衣=阿野全成室(宮澤エマ) :母・伊東祐親の娘
├三女・ちえ=畠山重忠室(福田愛依) :母・?
├四女・あき=稲毛重成室(尾碕真花) :母・?
├三男・五郎時連→時房 (瀬戸康史) :母・?
├?女・きく=平賀朝雅室(八木莉可子) :母・りく
├?女・?=滋野井実宣妻(?) :母・りく=牧宗親の妹
├?女・?=宇都宮頼綱室(?) :母・りく=牧宗親の妹
├四男・遠江左馬助政範 (中川翼):母・りく=牧宗親の妹
├?女・?=坊門忠清(坊門信清の子)室(?):母・不明
├?女・?=河野通信室(?):母・不明
└?女・?=大岡時親(牧宗親の子)室(?):母・不明
▲北条義時の子(『鎌倉殿の13人』の設定)
北条義時──┬長男・金剛→頼時→泰時(坂口健太郎):母・伊東祐親の娘
(小栗旬) ├次男・朝時(髙橋悠悟):母・比奈=比企朝宗の娘
├三男・重時(加藤斗真):母・比奈=比企朝宗の娘
├長女・竹殿=大江親広室(?):母・比奈=比企朝宗の娘
├四男・有時(?):母・?=伊佐朝政の娘
├五男・政村(?):母・のえ=伊賀朝光の娘
├六男・実泰(?):母・のえ=伊賀朝光の娘
├七男・時尚(?):母・のえ=伊賀朝光の娘
├次女・?=一条実雅室(?):母・のえ=伊賀朝光の娘
├?女・?=一条実有室(?):母・不明
├?女・?=中原季時室(?):母・不明
├?女・?=一条能基室(?):母・不明
├?女・?=戸次重秀室(?):母・不明
└?女・?=佐々木信綱室(?):母・不明
▲源頼朝の子(『鎌倉殿の13人』の設定)
源頼朝──┬千鶴 (太田恵晴) :母・八重=伊東祐親の娘
(大泉洋) ├長女・一幡(大姫)(南沙良) :母・政子=北条時政の娘
├長男・万寿→頼家 (金子大地) :母・政子=北条時政の娘
├能寛→貞暁 (?) :母・?=常陸念西の娘
├次女・三幡(乙姫)(太田結乃) :母・政子=北条時政の娘
└次男・千幡→実朝 (柿澤勇人) :母・政子=北条時政の娘
▲源頼家の子(『鎌倉殿の13人』の設定)
源頼家───┬長男・一幡 (相澤壮太):母・せつ =比企能員の娘
(金子大地) ├次男・善哉→公暁 (寛一郎) :母・つつじ=賀茂重長の娘
├三男・千寿丸→栄実(?) :母・?=一品房昌寛の娘
├長女・竹御所 (?) :母・?=源義仲の娘
└四男・?→禅暁 (?) :母・?=一品房昌寛の娘
▲NHK公式サイト『鎌倉殿の13人』
https://www.nhk.or.jp/kamakura13/
▲参考記事
・サライ 「鎌倉殿の13人に関する記事」
https://serai.jp/thirteen
・呉座勇一「歴史家が見る『鎌倉殿の13人』」
https://gendai.ismedia.jp/list/books/gendai-shinsho/9784065261057
・富士市 「ある担当者のつぶやき」
https://www.city.fuji.shizuoka.jp/fujijikan/kamakuradono-fuji.html
・渡邊大門「深読み「鎌倉殿の13人」」
https://news.yahoo.co.jp/byline/watanabedaimon
・大迫秀樹「「鎌倉幕府の謎」源頼朝と北条義時たち13人の時代」
https://gentosha-go.com/category/t966_1・Yusuke Santama Yamanaka 「『鎌倉殿の13人』の捌き方」
https://note.com/santama0202/m/md4e0f1a32d37
・刀猫 「史料で見る鎌倉殿の13人」
https://note.com/k_neko_al/m/m0f7e5011a2ac
▲参考文献
・安田元久 『人物叢書 北条義時』 (吉川弘文館) 1986/ 3/ 1
・元木泰雄 『源頼朝』 (中公新書) 2019/ 1/18
・岡田清一 『日本評伝選 北条義時』(ミネルヴァ書房)2019/ 4/11
・濱田浩一郎『北条義時』 (星海社新書) 2021/ 6/25
・坂井孝一 『鎌倉殿と執権北条氏』 (NHK出版新書) 2021/ 9/10
・呉座勇一 『頼朝と義時』 (講談社現代新書)2021/11/17
・岩田慎平 『北条義時』 (中公新書) 2021/12/21
・大迫秀樹 『「鎌倉殿」登場!』 (日本能率協会) 2021/12/22
・山本みなみ『史伝 北条義時』 (小学館) 2021/12/23
・山本みなみ『史伝 北条政子』 (NHK出版新書) 2022/ 5/10
・坂井孝一 『鎌倉殿をめぐる人びと』(NHK出版新書) 2022/ 7/10
・毛利豊史「源実朝試論」
https://core.ac.uk/download/pdf/80536497.pdf