藤原定子の没後、本当に清少納言は零落したのか? ─史実と伝説、そして『光る君へ』─
1.『古事談』のエピソード
(1)「零落したる清少納言秀句の事」(第2臣節56)
【書き下し文】 清少納言、零落の後、若(わか)殿上人あまた同車し、かの宅の前を渡る間、宅の体(てい)、破壊(はえ)したるをみて、「少納言、無下にこそ成りにけれ」と、車中に云ふを聞きて、本(もと)より桟敷(さじき)に立ちたりけるが、簾(すだれ)を搔き揚げ、鬼形(きぎょう)の如き女法師、顔を指し出して云はく「駿馬の骨をば買はずやありし」と云々。〔燕王、馬を好み骨を買ふ事なり。〕
【現代語訳】 清少納言がすっかり落ちぶれた後、若い殿上人たちがたくさん車に乗り合わせて、清少納言の家の前を通りかかったところ、家が壊れてしまっているのを見て、
「少納言は落ちぶれたなあ」
と車の中で言うのを、もともと桟敷に出て立っていた清少納言が聞くと、簾を搔き上げ、鬼のような尼の姿で顔を出して、
「駿馬の骨は買わなかったのかな?」(私を雇おうと集まったのかな?)
と言ったそうだ。〔出典は、燕王が名馬の骨を買ったという故事である。〕
※燕王:中国戦国時代の燕の王・昭王(在位前311〜前279)のこと。賢者を燕に招く方法を郭隗(かくかい。燕の学者)に尋ねたところ、「天下の名馬を集めたいなら、『燕王は、名馬が好きで、名馬のものであれば骨でも買う』と評判を立てるとよい。同じように、賢者を集めたいなら、まずは、隗より始めよ(この郭隗を優遇しなさい)。私のような愚人が優遇されることを知れば、全国から優れた武人や政治家が集まってくるでしょう」と進言したという(『史記』(巻34)「燕召公世家」)。
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