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「邪馬台国」をどう読む?

邪馬台国は、
「やまたいこく」と読むのか、
「やまこく」と読むのか?

私の考えは、既にどなたが言ってると思うけど「やまとのくに」です。

こう言うと、
「あなたは、邪馬台国=大和国(畿内)説の支持者ですか?」
と聞かれるけど、問題はそう単純ではない。

◎「邪馬台国」「台与」の読み方
※邪馬台国=大和国(畿内)説の支持者は「やまとこく」「とよ」
※邪馬台国=九州説の支持者は「やまたいこく」「たいよ」

この記事では邪馬台国の「場所」ではなく、「読み方」に限定する。

 現存する『三国志』の版本には「邪󠄂馬壹國」(「壹」は「壱」の旧字体)とあり、九州王朝実在論者は「やまいちこく」と読んでいるが、多くの学者は、「台」の旧字体「臺」は、「壱」の旧字体「壹」と似ているため、晩唐以降の写本で誤写が生じたとしている。

「臺」でも、「壹」でも、どっちでもいい。万葉仮名と同じなんだから。

※万葉仮名(まんようがな):古代の日本で日本語を表記するために漢字(真名)の音を借用(仮借)して用いられた文字。たとえば、「あ」は「阿」「安」「愛」「惡」などと書く。この場合の漢字は表意文字「借訓表記」ではなく、表音文字「借音表記」である。たとえば、「あめつち」は、借訓表記では「天地」、借音表記では「阿女川千」となる。

「臺」でも、「壹」でも、どっちでもいい。読み方は同じなんだから。
晩唐以降の写本で誤写が生じたのではない!

「臺」の読み方は、音符が「到達」の「到」と同じで「至」であるから、「トウ」と読む。「壹」の読み方は、音符が「豆腐」の「豆」であるから、「トウ」と読む。
 中国の学者によれば、当時の読み方は、
───「邪󠄂馬臺」も「邪󠄂馬壹」も「ヤマトゥ」
とのこと。中国では、「臺(台)」には「朝廷」という立派な意味があるので、後世になって同じ読み方の「壹」に変えたという。

 では、日本人は何と読んで来たかといえば、先に書いたように「やまとのくに」である。

・山門(やまと):山と平野の境界。扇状地。
・水門(みと):川と海の境界。河口。港。

 『続日本後紀』(巻19)「嘉祥2年3月庚辰(849年3月26日)」条に長歌が載っている。
日本〈乃〉 野馬臺〈能〉國〈遠〉・・・」
ひのもとの やまとのくにを」である。「ひのもとの やまたいこくを」なら7音なのでよいが、「やまたいのくにを」であろうから、8音になってしまう。「やまと」を借音表記で「野馬臺」と書いたとしか思えない。つまり、日本人は「臺」を「と」と読んでいたのである。

 「台与」にしても、「とよ」と読めば「豊」「止与」かなと思うが、「たいよ」と読むと似た名前が思い浮かばない。

 「やまたい」を借音表記すれば漢字四文字、「たいよ」を借音表記すれば漢字三文字になる。「邪馬台」と三文字であったり、「台与」と二文字であるのはおかしい。

 中国の「邪󠄂馬臺」も「邪󠄂馬壹」も、日本の「野馬臺」も「ヤマト」と読むと思われる。江戸時代の学者・新井白石も「やまと」と読み、「邪馬台国は九州の筑後国山門(やまと)郡にあった」(『外国之事調書』)としていたが、通詞(通訳)・今村英生が、当時の中国語では「やまたいこく」だと言ったので、新井白石は信じて広めてしまい、今でも邪馬台国=九州論者は「やまたいこく」と読んでいる。「やまとのくに」と読んだら、邪馬台国=大和国(畿内)説が圧倒的に有利になってしまうからだ。同じ理由で、『宋書』を重視する邪馬台国=九州論者の中には、
・九州=倭人の国「倭国」
・畿内=東鯷人(とうていじん)の国「東鯷国」
と区別し、「邪馬台国は東鯷国内ではなく、倭国内にあった」と主張される方もおられる。
 「倭」は借音表記であり、借訓表記では「和」。東鯷国を吸収して「大和」が成立って感じ?

東鯷人(とうていじん)は、中国の史書に見える、中国から東シナ海で隔たった東側に住んでいた民族の名称。東鞮とも表記される。倭人との関連が指摘されている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

「やまたのおろち」が「八岐大蛇」ではなく、「ヤマトの大蛇」という話は面白かったです。八岐大蛇について、手を見ながらいつも思うのは、「股は4つなのに指は5本。しかし、八岐大蛇は頭が8個。なぜ9個(九頭竜)じゃないの?」ですが、「ヤマトの大蛇」なら納得です。


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