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見えていたって難しい

メインの移動手段が「徒歩」から「車」になってからずいぶん経つ。
免許取りたての頃は生まれて間もない小鹿の様に震えながら運転していたものだが、今はすぐ近くへ出かけるにも車に乗り込むのが当然になった。
自分の身一つで町を歩いていた頃の、飲食店から漂う香りや人々の話し声に囲まれる時間はそこでしか味わえない特別なものだったように感じている。だからか、旅先でうろうろしていると、気が付くと歩数記録アプリのグラフが普段の20倍くらいになっていたり。日頃の記録がお粗末なのも相まって、ちゃんと運動したように見えてお得だ。
でもやっぱり、たまには歩いてみないとわからないことってあると思う。

学生の頃使っていた駅の近くに、変則的な横断歩道があった。歩道から小島のようなスペースへ、そして更にもう一つ横断歩道を渡って向こう岸へ辿り着く、二段階歩道というやつだ。
付近の車道と歩道の間は鎖で区切られているにも関わらず、その障害物を越えて適当なところを横断する人は少なくないし、私もそんな輩の一人だった。横断歩道も鎖も全て見慣れて、いつもの景色と化していた。

その日、横断歩道で私が見たのは杖を差し出して道を探る男性だった。目にしたことはなかったが、すぐに理解した。視覚が不自由な人が持つ「白杖」だ。
それと分かったところで困っているとは限らない。しかし、様子を見ていたら横断歩道手前の鎖に引っかかって進行方向を見失っていることは明白だった。他に声をかけそうな人はいない。自分よりちょっと高い肩を叩くのは緊張した。
「こんにちは、良かったらお手伝いしてもいいですか?」
振り返った彼は破顔した。
「ああ、ありがとうございます。お願いします」
こちらがほっとさせられてしまった。

腕に掴まってもらい、歩調を気にしながら人を避けていく。景色だったはずの周囲の様子がこんなにも気になる。
彼は柔和な雰囲気に似合う穏やかな話し方で、時々来る場所ではあるものの、この交差点だけは変則的ゆえに道がどう続いているのかいまいち認識できなかったと言っていた。同じ境遇なら誰でも迷って当然だ。私だって同じ形をした交差点を他に知らない。どんな形をしているのか口頭で説明すると、興味深そうに頷いていた。
駅の地下階段まで200m程度の距離。私は妙に張り詰めた顔をしていただろう。ここまでで大丈夫、と言う彼と階段の入り口で別れ、ようやく大きく息を吐いた。

あまり迷わずに声をかけられたのは、ちょっとだけ予習があったからだ。
小説「青空の卵(坂木司)」で、主人公が同じように白杖を持った青年を手助けしていたのを真似した形だ。颯爽と声をかけ、明るく話しながら青年を導く主人公と同じようにとはいかなかったが、まごつきながらも実行に移したことには今でも誇りを持っている。
もう一生会うことは無くても、自分のことが忘れられても、彼にとって不安な場所が減ったんだとしたら良いと思っている。

ある日、車で通りがかった道端に白杖を持った人が佇んでいるのに気付いた。横断歩道もない場所で、もしかしたら渡りたいのかと近くの駐車場に入って改めて様子を見てみる。
バス停でバスを待っているだけだったっぽい。

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