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怪奇幻想迷走珍道中

 望郷の念に囚われながら椎名林檎「正しい街」の歌詞をなぞる。

都会では冬の匂いも正しくない

椎名林檎「正しい街」

 義姉が買ってきた「福島土産」の「いかにんじん」が、祖父母の作ってくれたあのいかとにんじんの和物とそっくり同じだということに気づいてから、長期の休みをとって実家に帰省したくなっている。
 無論あの忌々しい家にではなく、あのわたしにとって極めて正しかった街に、である。

 先生がたはお元気でいらっしゃるだろうか。わたしのことなどとうにお忘れだろう。
 「手作りのものについて考えを述べなさい」という、模擬テストの200字作文で、あなたを驚嘆させたあの少女です。
 「この絵から物語を創作しなさい」という課題に、原稿用紙33枚を使ったあの生徒です。

 いまが正しくないわけではない。ただ、わたしの正しさはあの街で育まれたものだと知る。


 陽気なクリスマスの音楽がそうさせるのか、気分はひどく落ち込んでいるし、コーヒーも泥のような気がしてくる。タリーズのコーヒーにハズレはないが、わたしの気分にはムラがあるというわけだ。
 買ったばかりの井上雅彦編「異形コレクション 蠱惑の本」を読む。執筆陣に斜線堂有紀が居たから、というのもあったけれど、怪奇とか異形といった暗黒の門の前で、「本」というモチーフが極めて広い入り口に見えたからである。

 そんなわけで本を読みながらコーヒーを喫しているわけだが、実のところをいうと迷走してどん詰まりにいる。

 前々から、泉鏡花や江戸川乱歩といった「怪奇幻想」を令和に甦らせたらどんな具合になるだろうというようなことを考えていて、それは現実を取り込んだSFになるのではなかろうか、いやSFとは違う、などとしきりに考えた結果、さまざまの「怪奇幻想」に関わる書物を取り寄せて読んだのだが、これがわたしの性質とテキメンに合わない。

 怪奇幻想ものの多くが過去の伝説や事物を「参照」するのに対して、わたしはともかく想像したり創造することが好きであるので、そのあり方自体に相容れなさを感じている。(もちろん、取り寄せた本の傾向がそうであるというだけであって、そうでない創作物もある、かもしれないということは念頭におくとして)

 そして怪奇幻想のジャンルはホラーやミステリを内包する。どこかでもいったが私はホラーの勘所がわからない。怖がり方も面白がり方もイマイチよくわかっていない。こんな書き手が手探りでホラーを描いたところで、何になろうか。ミステリについても同じくらいサッパリ、という具合で、「最初から勉強しないと何もわからない」という状態に陥っている。向いてないのかもしれない。

 振り出しに戻ってしまった。何をやりたいのかがサッパリ見えてこない。

 であるにもかかわらず某所に「公募用PN」のアカウントを作成している。気になる方はお知らせください。

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