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調子よくないな

 もはや読まれようとする努力も投げ捨てたので、単刀直入かつどうしようもないタイトルになってしまうことを最初にお詫びしたい。これは日記だ。

 ともあれ調子が良くないのだ。何がと言われても答えられない。漫然とだるくて、つらくて、涙は出ないが眠くて仕方がない。現実が辛すぎるから寝て過ごしてそのまま寿命を終えてしまいたい、みたいな勢いで眠たい。春だから?
 ちなみに配偶者に打ち明けたところ「頑張れ」と言われた。「逆にどうして欲しい?」とも聞かれた。そうなのである。他人にはどうともならない領域で私は呻き続けている。原因も分からない漫然とした不調はなんとなく季節と黄砂と花粉のせいにしておけばいいのかもしれない。これが五月に差し掛かったら五月病になるだけだ。
 何かのせいにしていかないとやっていかれない。ポイズン。

 昨日は「書くこと」すらままならなくて、読まれるためのタグを探している間に具合が悪くなり、パソコンの電源も落とさずに眠ってしまった。
 だから今しがた労働より帰ってきた私が見たのは、バッテリ切れかけのノートパソコン、終わりかけの相棒である。慌ててコンセントを差し込んだ。ノートの編集画面は昨日のままだったので、私は昨日書きかけていた七文字を消してからこの文章を書いている。

 その七文字と言うのが「#眠れない夜に」。書けるんじゃないかなと思ったのだけど眠れない夜にふさわしい何かを練成する体力も気力も残ってはいなかった。眠れない夜に読むような読み物は自分で見繕うほうがいい。私は小川洋子「博士の愛した数式」を読もうとして眠れなくなった。そんなものである。

 さて。

 小川洋子「博士の愛した数式」の本当の意図するところをこのいい年になってから気づくというのは皮肉なものだなと思う。私がこの単行本を読んだのは十代のころで、読了後の感想は「切ないなあ」とこの五文字っきりだったのだが、今、三十路を控えた今読んでみると、あの時の私は何も見えていないし何も読めていなかったことがはっきりわかる。何も読んじゃいなかった。それくらい読み味が違った。

 家政婦の「私」には父親がいない。そして、息子の「ルート」にも父親がいない。つまり主人公・シングルマザーの「私」は、男性的存在と家族になることを未経験のまま、子供を授かったということになる。父親が居ない。夫が居ない。そんな彼女が、「博士」の家で家政婦をやることになる。
 深く考えなくても分かることだ。この物語において「博士」は「私」の父で夫なのだ。そして、「ルート」の父親がわりなのだ。そしてその「博士」は、脳に負った重篤な障害のために、八十分しか記憶が持たない。父親との関係の再構築は、八十分おきに行われ、そしてその営みはルーティン化していく。これは、家族でない者が家族になる物語で、家族を知る物語なのだ。
 これほど示唆的な物語をなんの発見もなく読み過ごしてしまうあたりが若くてアホだったなと思う。
 気づいてから二度とページを捲れないんじゃないかと思うくらい指が重くなって本を閉じてしまった。話の運びも結末もうっすらと覚えているのに、「博士の愛した数式」を反復することを私は拒んだ。
 調子が悪いのだ、たぶん。

 切り替えるように坂崎かおる『嘘つき姫』を読む。私は「あーちゃんはかあいそうでかあいい」を『零合』に寄せているのを読んだ時から坂崎さんのおっかけをやっていたから、この度の単行本化は非常に嬉しく、発売日にいそいそと買いに行った。「博士の愛した数式」から脳みそを切り替えるために選んだのが、この中に収録されている「リトル・アーカイブス」だった。
 この文字数で世界を五十倍くらい広げていくのが坂崎かおるという書き手のような気がしてならない。長い長い旅をしたのに、ふっとページ数をみてみると思ったほど読み進んでいない。実際に読んでいた時間以上の時間が私の頭の後ろを流れて行く。
 物語に時間を盗まれるとはこのことだと思う。その点において坂崎かおるは怪盗だ。何も盗まない。代わりに物語でもって、頭の中の時間をそっとかすめとっていく。

 『嘘つき姫』所収のなかでは「リトル・アーカイブス」が一番好みだった。こんな形で人と人を繋ぐことのできる才能に嫉妬する以前に羨望を覚えてしまう。多分嫉妬する資格もないし、嫉妬しようとも思わない。ただひたすら見上げ、「すごいなぁ」と思うばかりだ。
 「博士の愛した数式」もそうだが、市場に並ぶ本と言うのはたいてい、私のちいさな頭では到底及びもつかない領域で物語を紡ぐ猛者たちばかりだ。ネット発の書籍化作家の実力などたかが知れている。
 だけど、『嘘つき姫』の発売が発表されたとき、――坂崎さんを初めてみつけ、「あーちゃんはかあいそうでかあいい」を読んで、「この人は絶対推さないとだめだ」と思った――あの時感じた自分の直感のことを少しだけ愛せる気がした。

 もっとうまくなりたい。うまくなりたいが、どうやったらうまくなるんだろうね? そう自分に尋ねてみる。何を書きたいのか書くべきなのか迷子で、それでいて明日の自分のことすら分からず今カレンダーを見た。明日は休みだ。しかも新年度が始まるという。だからなんなんだという話だ。私には関係のないところで世間は節目を迎えようとしている。
 私の節目はいつ来るんだろう。というか、来るんだろうか?

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