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ある日の日記
pixivと日本SF作家クラブ共催の「日本SF作家クラブの小さな小説コンテスト」に一つ作品を応募したところで一区切りついたのか、また何を書いたらいいやらさっぱり分からなくなってしまった。
審査されるN部門はもう出してしまったから、今年から併設されたフリー部門にでも出してみればいいだろうか。と過去のお題を見たけれどいまいちピンとこず、仕方ないので部屋の片づけに着手する。
結論から言うと使いかけのネタ帳ノートが十冊以上出てきた。作品になったものから「成ら」なかったもの、更には現在エタらせている作品の設定資料などが十冊のノートにバラバラのパズルのようなありさまで展開されていて、どれを処分するにもデータをまとめる必要がある。要するに(ノートを捨ててしまうのならば)作品ごとに手作業でアーカイブ化して保存する必要があるかもしれない。いつ使うかわからないので……。
「そんな元気があったらとっくにやっているわ」という感じで大の字になってそれ以上をあきらめた私は、四本出てきた折りたたみ傘のうち日傘も兼用しているものだけを残して捨てることと、五つ出てきた眼鏡のうち一番新しいものを予備として残してやはり捨てることだけを決めて断捨離を断念した。
断捨離を断念する、なんだかあんまりよくない字面だ。
そのあとは出てきた日傘を活用して歩きで出かけ、優雅に昼食をとってコーヒーを飲み、予定をこなしてから帰宅した。ネットの知り合い(友人といってもいいのかな)と作業通話という雑談をし、頃合いになったら一度眠った。つかれていた。用事を二個も三個も四個もこなすことは私の生活の中ではイレギュラーなことだ。仕事して原稿して食べて寝る、というルーティンで生きているものぐさ紫陽にとっては今日という日はあまりに多忙すぎた。
そんなわけでちょっと具合が悪い。
具合が悪いことを察知した私はまず、お風呂のときの洗髪の行程を一つ増やした。ダメージケアのトリートメントをすり込む作業だ。そして能書きのとおり五分間項垂れた。その間とりとめもないくだらない、そのうえ暗くてじめじめした石の裏のナメクジみたいな思考にとらわれた。
まあ熱いシャワーで流してやったが。
ほかにも身体を丁寧に洗い、丁寧に拭き上げ、丁寧に髪の毛の水分を取って、とっときのフェイスパックを顔に当てた。そのあいだ米津玄師の「さよーならまたいつか!」を流していた。ニベアで肌を整えたあと、ふと「ボディミルクってどうなんだろうな」と考え、仲間内のディスコードに「ボディミルクのおすすめ」をたずねてみるなどする。
聞き流していた「さよーならまたいつか!」の歌詞をまじまじと見たらなんだか泣けてきてしまった。実は話題になっていたのは知っていたのだけど全然マークしていなかったのである。
生まれた日からわたしでいたんだ 知らなかっただろ
気を取り直して積んでいる本を読むか、積んでいる乙女ゲームを進めようと思う。石の裏のなめくじになっている場合じゃないのだ。