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279.自己紹介がつくれない

ごきげんよう。
タイトルは「エアーマンが倒せない」のもじりです(ネタが古い)

以前から投稿を追ってくれていた方がいたら、思われるかもしれませんね。

「まだ自己紹介のネタを引きずるのかよ」
って。

そ う で す 。

(なお、そんな前回の投稿はこちら)


noteを書く理由

そもそもなんで自己紹介にこだわるの?
という話ですが。

ひとつは、僕がnoteを書き始めた(そして今もどうにかこうにか継続している)理由に関係します。

考えていることや思いをまとめ、残す

これについては、このnoteの1記事めにて、こう綴っています。

先日ふと、放置してた過去のブログを
読んでみたところ、思ったのです。
「あー、あのときオレこんなこと考えてたっけ!」
と。
かなり恥ずかしかったり痛々しかったりすることを覚悟して読んだのですが、あにはからんや。
当時、自分なりに考えていたことや、今につながる初期衝動を思い出すことができて、意外と新鮮な体験でした。

そこで気づいたのですが
やってきたことは残りますが、
思ったことや考えてきたことって
消えちゃうん
ですね。

だから
いま、思うこと、考えること、
それらを記事として形に残すことで
いつかまた未来の自分が読み返したときに
立ち帰られるよう、
タイムカプセル的に自分の「今」を記していきたいな、
と思ったわけです。

「自分は何者なのか」を整理し、表明する

もう一つ、これはnoteを書き始めてから、特にここ数年、だんだんと強く感じるようになった動機がこれです。

冒頭でも擦った前回記事などは、こちらの理由に直結していますね。

「いや、そんな大層な」
と、思うかたもいるかも知れません。

しかし、です。

10年前ならいざ知らず、いまや老若男女誰もが自身のSNSアカウントを持ち、個人が発信を行う時代。

数年前には「一億総SNS時代」なんてフレーズを冠した書籍も出たくらいです。

別に殊更「何者か」になる必要はなくとも、自分がどういう人かを、自分で発信していくことは、これから将来、意味を増していくのではないかと思っています。

「ええかっこしい」なんじゃない?

「いや、そこまで思ってるなら書けよ」
と言われたら、まったくもってその通りなのですが……

現実として、これがなっかなか筆が進まない。

当たり障りの無い話題ならそれなりにすらすら書けるのにね。

これはどういうことなんだろうと考えてみたのですが、つまるところ「自分をどう見せるか」ということを気にしてるからなんだと思います。

関西弁で言うと「ええかっこしい」。

脱・「傑作症候群」

まあ、でも、いいんですよ。
極論、自分を良く見せるためにやってるんですし。

虚飾をする気はありませんが、「本当のこと」の範疇で、最大限いい感じに自己発信ができたらいいとは、そりゃ思ってます。

ただ、「いいものを投稿しよう」と思うあまり、それに縛られて筆が止まっているのではないか、という自覚はあります。

これは自己紹介に限らず、いままで何度も体験してきたことでもあり、
僕は個人的にこれを「傑作症候群」と呼んでいます。

これに縛られちゃうと足踏みしちゃう上に、停滞した事実がそのまま重荷となってより足を鈍らせるという悪循環に陥るので、さっさと突破したいところです。

経験上、打開策は「なんでもいいから、まず書く(まずやる)」こと!

というわけで、手をつけられるところからやっていこうと思います。

おまけ

傑作症候群って言葉がすでに世にないかとググったところ、北方謙三先生が対談で、ドンピシャの発言をしている記事を見つけたので、最後に引用します。

特に賞をとったりして仕事の依頼が急に増えてくると、忙しくて目をつむらないと書けなくなる時期が出てくる。もちろん、目をつむっていても自分の頭の中ではきちんと書いていて、そこには覚悟のようなものもあるんだけどね。ところが、そういう時期になぜかみんな傑作を書こうとする。傑作なんて、書こうと思って書けるものじゃなくて、無数に書いてるうちに生まれてくるものだろう。

 だから若手の作家は、ある時期になったら目をつむらないといけない。傑作を書こうとする瞬間に手が動かなくなって書けなくなってしまう。なんで書かないんだって訊くと、自分が納得できるものが書けませんって。自分が納得する、しないじゃなくて、読者が納得すりゃいいんだよっていうんだけどね。

北方謙三×今村翔吾 特別対談(集英社 文芸ステーション)

まず書け!ってことですね!

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