281.自己概念が高いとか低いとか
ごきげんよう。
昨夜つぶやきで予告した話です。
自己概念/自己肯定感
自己概念とか、自己肯定感ということば、
近年になって、やたらとよく耳目に触れるようになった気がします。
自己概念が高いとか低いとか、
自己肯定感が高いとか低いとか。
他人についても、自分についても、およそその人について語る際に、この「自己概念」という概念はよく使われるようになりました。
まあ、他人についての話の時はいいでしょう。
自分てどうなん?
問題は自分自身について語るときです。
これは僕だけかも知れないですが、なんか、自分について自己概念がどうこうというの、ちょっとヤじゃないですか?
嫌というか、気恥ずかしいというか。
あとそもそも、自分についての話でいうと、正直よくわからないというのもありました。
自己概念高いねーと言われることも、低いねーと言われることもどちらもあり、
また自分自身でも、高いような気もするし、低いと感じるときもあるし、
それも、テンションの高低とか調子の良し悪しと連動してるという感じでもあまりなく。
「どっちなんだろう」というか、「ようわからんな」という感覚でした。
ギャップ!そういうことか!
ところが、昨夜、ちょっと真面目な話を知人としていたときに、ハッとなる気づきがありまして。
「たつみさんって、『本当はこうでありたいのに』みたいな理想があって、現状の自分とのギャップに悩んでる感じしますね」
↑おおよそ、このようなことを言われたんですね。
そのとき。
「そういうことかぁ!」と、はたと気づいたのです。
現状(現実)じゃなくて、理想の方の自己概念が高かったのか。
もっというと、「こうでありたいのに」という像が高いが故に、
「そうでない今(や過去)」のことを下げがちなのかもな、
ということに気がつきました。
だから、高いも低いも両方当たってて、
「心がふたつある~~~」
という状態だったわけですね。
受け入れて、前に進もう
あんまり自分で自分にいうことでもないですが、
「こうであったらいいのに/本当はこうでありたい」という像があることは、いいことだと思います。
ただそのことで今や過去の自分を貶めるのではなく、
それも受け入れて、ギャップを埋める努力をしていこうと思ったのでした。
おまけ
今回の記事のサムネイルにしたのは、以前も一度記事のネタにした、
「自己肯定感の高そうなSuicaのペンギン」の写真です。
今回自己肯定感の話ということで、ふたたび出てきてもらいました。(笑)
今はもう実物を見ることはできませんが、かわいらしくて見るとちょっと元気が出る写真です。