忽那の雫第301話 投げ釣りに狂った頃の残像を追いかけて
先日、ワタシが投げ釣りに狂っていた頃の仲間から連絡をもらった。
現在は、当時いたクラブの会長をされている彼に、ワタシが活動をしていた時期を教えてほしいと頼んでいたからだ。←もうすっかり記憶に無い(°▽°)
年のせいだとは言いたくないが、あんなに狂ったように投げ釣りをしていた頃の、時期が少し曖昧になってきているのである。
身体が自由自在に動くということは、ただそれだけで幸せだ!
ということを、今は痛いくらいにわかるのだが、あの頃はあたりまえに、ただ過ごしていた。^o^
楽しくてしかたなかった頃のことを写真に残してアルバムにしまっておくように、ワタシの釣りの記憶は、メールマガジンを発行してたくさん残した。
一年ほどメルマガに書いた記事は、小冊子に残して、アルバムをめくるように当時の残像を追いかけてみたりする。^ - ^
この表紙の画像、コレが狂っていた最盛期のワタシだ。←狂った証拠写真?( ̄▽ ̄)
確か高知県の奈半利とかいう所にある一文字波止へ行ったときのものだが、この時もやはり現在のクラブの会長W君に誘われて、連れてってもらった。
長く釣りをやってきたが、今周りを見渡すと、あの世に旅立った仲間がたくさんいて驚く!
もうそんな年になったのか?
なんて、呑気なことを言うのだが、まだまだ元気に釣りを続けている中の貴重な一人がこのW君で、今もテレビで元気な姿を見れてワタシは安心な気持ちになる。^ - ^
そう、愛媛の釣り界では有名な、チョーさんの番組にちょいチョイ現れるのだ。←現れるって失礼な!ヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3
先日連絡して、久しぶりにまた話そうと約束をした。^ - ^
この彼も、ワタシ同様に狂っているのである。( ・∇・)
ワタシの狂いっぷりを少し振り返ると、まずあの荷物!
総重量いったいどれくらいになるだろう?←知らんがな!^o^
ロッドケースに竿を5本、(実際に出すのは少ない)釣り具を入れるバッグには、30号のナマリを30ケは入れていたから、それだけでも3〜4キロにもなる。
現在はこんな軽いナマリをちょっポリ持ってまだ出かけている。
バッグの中にはデッカい投げ釣り用のスピニングリールが3個と予備。
ソレら全部に予備のスプールまで糸を巻いて持っていた。
一個のリールで、遠投・近投どのような釣りにも対応できるように持って釣り場に出かけていた。^ - ^
極めつけは仕掛けだ^o^
当時、10ヶ入る仕掛け入れに、中に仕切りを一枚入れて20ヶ入るようにしていた。
コレに仕掛けを満タン入れるとパンパンになるが、この満タンになった仕掛け入れを50冊、コンビニの買い物カゴに満タン詰め込んで車にいつも積んでいた。←人が見たら必ず狂ってるねと言われた( ̄▽ ̄)←想像ができんがな(°▽°)
何でそんなにいるのか?
ただのお調子者なだけじゃないのか?
と思われるかもしれないが、いるのである。^o^
例えば、エサの重さによって投げる距離がかわるから、絶対に絡まないように、ハリスの長さや太さを変えたものを持っている。
それから、狙う魚に応じてハリは変えているし、魚の大きさでも変える。
そして、同じものを狙うにしても、根掛かりの多い場所やそうでもない場所もあるから、同じ仕掛けの一本バリ仕掛けと二本バリ仕掛けを持っている。^ - ^
さらには、引き釣り用と置き竿用でまたちがう。^o^
そんな風に考えてたら、いつの間にかこうなっていたのだ。←これを病気と言う( ・∇・)
20ヶ入りの仕掛け入れを50冊だから、1000個の仕掛けだ。←馬鹿じゃねーの?ε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘
そして狂ったワタシの釣りが変わったのが、9年前に起きた脳梗塞。( ̄▽ ̄)
そのときは、ついに釣り狂いもコレまでか!
と、あきらめムードだったが、釣りと同じくらい懸命のリハビリによって、また釣り場にたてるようになった。(o^^o)
だから現在も、持ってく道具は軽く少なくなったが、なんとかあの頃の残像を追いかけて、やれることをしていると言うわけだ。
仕掛け入れも2冊あればじゅうぶんで、奥さんと二人で使っても不足はない。^ - ^
むかし20キロ以上ある道具をかついで、道無き道を掻き分け歩いた興居島の獣道だが、今は裏にも護岸が出来て、楽に行けるようになった。
まだまだ、おそらく死ぬまでやめない気がする。(o^^o)
魚釣り、この素晴らしい趣味に出会ったことに感謝しかない。(^◇^)