「当時、私はディズニーで被災した。」2023/3/11
3.11からもう12年か。長いようで短いとか書きたかったけど、普通に長いよ12年は。でも全然思い出せる、全部じゃないけど。
いつでも思い出せるコレを今更日記に書くのは日記らしくもないと思うが、今日思い出すのが筋っぽいし、いいだろう。我ながら弱い。本来こういうテキトーな日記なら思い出したことなんていつ何を思い出してもいいはずなのに、ちゃんとイベントごとにそのイベントにまつわる出来事を思い出している。クリスマスに震災の記憶を思い出して、そのことを書いても「僕の日記」的には何も問題がないはずだ。インターネットに公開する者としてはどうかと問われることもあるだろう。まぁどうかと問う人もいないが。
2011.3.11。当時5歳、僕は東京ディズニーランドのホテルん中にいた。ディズニーシーかもしれない。東京ディズニーリゾートっていうのだろうか?あんまり詳しくない。千葉県民なのに詳しくない。震災をディズニーで受けてなんらかの補償かなんかでチケットもらって、再度2回くらい行ったが、もう何年も行ってない。あの時の記憶なんてホテルの中の記憶でしかなく、幸いにもPTSDにはなっていないのに、なんとなく情報として「あぁ、ここで被災したんだなぁ」って思うとなんとなく行く気にはならない。というかPCカタカタ鳴らしてるヲタクにディズニーはキラキラすぎる。
ホテルん中で母、弟といる時、突然揺れ出した。5歳にもなってれば、地震大国日本のことだ、いくつかの地震はもう体験してる。だから揺れ始めた最初は普通に「あ、揺れた。地震だ…」って思った。だが、わずか数秒後、突然ギアが変わったようのバコバコ揺れた。5歳児の体の体験だ、重力が次々変動するみたいに、床が・地面が次々変わる。立ってられずに座り込む。変な物好き・楽しいもの好きの僕はキャッキャしてたんじゃないだろうか。ぶっちゃけ怖さはあんまり無かったように感じる。唯一の怖さは弟が大丈夫だろうかというくらいで、他は今までない揺れに対する焦りと大きな楽しさ。揺れでトイレの水がバシャバシャ言ってる。ずっと水が流れてる。
さて、数分経った頃だろうか。窓の外を見ると地面があったところに水が迫ってる。ディズニーランドは埋立地の上に建てられた夢の国だ。液状化。ホテルのn階から見ると東京湾が見える。問題は東京湾の方から水がホテルの方にじわじわ広がってきていることだ。じわじわというには早すぎる速度だったか。
ホテルにいるのは私、母、弟。父は5分前にファストパスを買いに行くと言って繰り出していった。ぶっちゃけた話、死んだかと思った。今になってそのことを話すと父は笑って「勝手に殺すなよw」とか言ってるけど、当時はマジで死んだかと思った。
遠くには東京湾沿いの市川の石油化学コンビナートが燃えている。炎が遠くでチラついている。隣の従兄弟の部屋に避難した。
あとのことは覚えてない。どうやって帰ったのか、帰る時にどこに寄ったのか。五歳児のことだ。自分の意思で帰るんじゃない、親に連れられて帰る、親に連れられてどこかに寄る。だから覚えてなくても不思議じゃない。別にストレスとかで忘れてるわけじゃないと思う。多分、子供のディズニーランドに行った記憶が震災の怖い記憶にならないようにだろう、帰りに浅草に寄ってくれたらしい。覚えてはないが。
父親はちゃんと生きてた。
震災の記憶を忘れまいと、宮城福島あたりの記録を見て涙を流す。家や人が流される。物語が強制終了される、自分よりも酷い目に遭ってる人がいる。原発事故の記録を見る。それも重畳。ただ、今の中学生以上は誰しも震災を体験している。流石に1〜2歳の時の記憶はないだろうが、それでも体験自体はしているのだ。身内を失わず、家を失わず、家財を失わなくても実際にした体験はちゃんとある。
少なくとも、液状化によって迫ってくる水も、遠くに見えるコンビナートの炎の記憶も被災した記憶と言っていいと思う。だめかな
最後にアンサイクロペディアから一言引用して。
今日の日記を忘れてた。ずっと12年前の話ばっかり。
スギ花粉がひどかった。
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