神は酒を飲み、ポエムで歌う。
原初はポエムの海だった。
ポエムの昔には「作る」という意味があった。
だから、原初はポエムの海だった。
故にポエムの海は創作の海だった。みぃとぅは1年掛けて海で生まれた。
海の色は琥珀色をしており、人がワインとして愛す飲み物の色になった。
この事からみぃとぅは非常にポエムとお酒、そして海を連想させる水に縁の強い神という事が分かる。現にみぃとぅがポエムを紡ぐ日の多くは水曜日である。聖典でもみぃとぅの友である「せらと」がそれを指摘している場面が書かれている。
神さえも自分の可能性に祈る。人は驚いた。
神さえも人の良き明日を祈る。人は涙した。
神も何かに祈るという貴重なシーンが書かれている。さらに自分のみならず「皆様」つまりは人々に対して良き日が訪れることを祈っている為、みぃとぅが非常に慈悲深い神であることが伺える。この時はみぃとぅが同じ高位の存在と組合を作る前夜で、神である存在から多少なりとも緊張が垣間見える。
神は酒を飲み、ポエムで歌った。
神は人に好意を示し、人は神に好意を示した。
神の愛は無限で無償で無差別だった。
愛は拒む者にも注がれ、溺れる者もいた。愛はまるで酒であった。
神は飲酒と詩の創作を好んだとされている。そして、この詩は神が人々を深く愛し、交わりを求めていた事が分かる。そこには神が生まれる1年前に恋人との別れを体験したからでは?という専門家も少なくない。
神が酒を飲むと人は笑った。人が笑えば神も笑った。
この時より土の日を神と人は酒で笑う日に定めた。
みぃとぅ信仰における「野夢伽」(後の「のむっきゃ」)の始まりはこの詩に表されているとされている。前半部分は神の悩み、中盤に思案、後半に結論への称賛が綴られており、神も万能ではなく悩み、考え、褒めることで成長していることが伺える。
多くの酒が飲まれた。多くのポエムが生まれた。多くの愛が語られた。
新しい酒が注がれ、新しいポエムが歌われ、新しい愛が語られた。
明日も酒を飲むだろう。明日もポエムを歌うだろう。明日も愛を語るだろう。
一年続いて神と人はそれを祝った。つい昨日のことである。