トラウマはイメージであって、事実ではない。
イメージと事実は違う。最近読んだ本の中に書いていたんよ。
(文章量は少なく30分もあれば読める内容になっている。)ボクは納得した。イメージと事実がごちゃごちゃになってしまっていることがある。気づかないうちに、イメージだけで物事を捉えてしまって、なんらかの感情がそこに入り、より大きなイメージをもってしまうことがある。その結果、よく現実はイメージほど大きな問題になっていないことが多いな。まさに被害妄想だ。元来、石橋を叩いて渡らないタイプで、モノの見事なまでに優柔不断なことも手伝って、被害妄想が広がるばかり。よく周りから注意される自分のだめなところだ。は、事実で捉えればどうなるのか。事実は不変である。事実で捉えるにはどうしたらいいんだろ。数字?数字じゃないかな。数字、例えば人数・例えば時間・例えばお金・例えば なんだろ。数字。考えてしまうとき、数字を合わせて考えるようにしよう。イメージで抱え込むんじゃなくて、数字で整理・把握する=事実で捉えるように。 もしかしたら、ボクのすさまじい被害妄想もぷりも少しは減るのかな。
ちなみに、「イメージ」にはいいこともあるんよ。
イメージは事実ではなくても良いよね。だから、空想できる。どこまでも。ワクワクすることができる。ドキドキすることができる。イメージをもつぼんやりと。ぼんやりと。ありえないことでも、イメージ出来ることが大切。手塚治虫は、火の鳥を産んだ。だけど、全部さ、イメージよ。ありえないこと。だけど、アニメという形でありえないことが事実になった。どうしてアニメを描けたのか。たぶんだけど、ワクワクしたんだと思うよ。いいイメージは持ちたいね。ワクワクが一番大切。^^
言葉って便利
言葉とはやはり、便利なもので言葉を定義付することで明確に意味分けまですることができるね。この「イメージ」という言葉と「事実」って言葉。ちゃんと自分の中で定義付させれば、これからタグみたく働いてくれるようになるんだ。言葉って思考の整理の為に大切。今ここでnote書いてるのも同じ理由かもしれないね。
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