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歴史地理学との出会いや、歴史学、地理学それぞれについての雑感や思い出をつづったマガジン。 歴史地理学にハマっている人=歴地リスト
教育観光ヌリ路(https://www.facebook.com/nuriroad/)にまつわるもろもろのお話。備忘録的に思いついた時に更新中。
北海道4 ということで、改めて北海道と出会い直したのは、仕事で札幌への出張が決まってから。 行きたい時にはなかなか行けないもの。久しぶりに訪れた北海道では、学生当時と違い、仲間がいて、出会う人達がいる。新しい人との出会いを通して、やはり印象とは変わるものだ。 また、私の意識も変わっている。北海道、この地がどのように開拓され、どんな歴史を辿ってきたのか興味が尽きない。 とはいえ、久方ぶりの北海道との出会いはまずは観光から。積丹岬や神威岬、羊蹄山といった自然をまずは味わい
北海道3 北海道の『開拓』の歴史。もちろん、すべての土地が開拓の結果であることは疑いようもない。ここでは近代になって、明確に開拓の歴史を知ることができるという意味である。 明治になり、蝦夷地から北海道と名が改まり、土地の所有という概念の無かった土地に所有者が生まれていく時代。 先住民の生き方が否定され、近代の生き方によって塗り替えられざるを得なかった時代。 そして、そんな時代に故郷を離れ、遥か北方の地に命を懸けて渡ってきた人達がいた時代。 生きるということが何なのか
本日午後に韓国テグより札幌へ移動。週末のヌリ路前に、以前まとめてほっといていた北海道との出会いを少々(笑) 北海道2 東北出身の私にとっては、気候的にも近く、安心する北海道。中学時代の修学旅行で初めて訪れ、札幌〜大沼公園〜函館と巡った。 その時の記憶としては、北海道大学を歩いて、こんな環境なら勉強したいかも。と思い(ちなみに、高校2年まで第一希望は北海道大学だった)、函館山の夜景はとても寒かったという印象。 なにせ、自分たちで回るという意志がないままに出会っているのだ
明日から札幌出張。今回は9月1日と2日に北海道ヌリ路があります。 5月に初めて開催した洞爺湖コースもあります。前回は桜がまだ残る洞爺湖でしたが、今回はどんな姿を見せてくれてるかな? イベントについてのFBページはこちら https://www.facebook.com/events/261643404568404/
7/16-20の4泊5日。月〜金と平日に台湾出張。 前回はじめての訪台が6月の梅雨時だったため、湿気と雨に覚悟しながら2回目の台湾へ。 予想と期待は裏切られるもの。だからこそ面白いが、見事なまでの晴天。そして、夜には風が通り抜け心地よい。 「住んでもいいかも」と考えがよぎる。旅人気質は相変わらず。移り気な自分が嫌いではない(笑) もちろん、食べ物も重要だ。帰りの飛行機の機内誌(タイガー・エア)の特集は麺だった。日本・韓国・台湾の麺の違いと由来について説明されていた。
北海道。北の果てのこの大地は、実は私のルーツの1つである。 母方の祖母は、根室のさらに先にある花咲の出身だという。祖母からは北海道の話を聞いたことはなかったけど、ある時母から話を聞いた。 僅か二世代の差だが、時代の違いを感じるストーリー。 実は、祖母は北海道で結婚し、その旦那さんが戦争で戦死したそうである。お腹に子供も宿していた祖母は、迷ったあげく、冬の青函連絡船から見を投げようとし、そこに居合わせた人に見つかって止められる。 事情を聞いたその人は、それならばここで死
大分お久しぶりの投稿になってしまいました。 地図が好きだ。まとめ。 中学時代、世界地図と地球儀をぼんやり眺めていたら、ふとこんな考えが生まれた。 『あ、世界地図、完成しているんだ…』 どこに何があるのか。そこにはブラックボックスともいえる、『?』がもうないのだ。誰かが先陣を切ってこのチキユのあらゆるところを探索してしまったのだ。と。 我ながらなんとも変なことを考えたものだが、当時、ものすごく人生へのやる気を失ったことを覚えている(笑) しょせん、私は誰かが歩いた道を
山の頂上から見た景色と書いて、さらに思い出すことがある。 さかのぼること、小学生時代。 当時住んでいた市営住宅の3階の家のベランダから、右手方向に山が見える。 たたらやま、という名がつけられたその山の向こうが、やけに気になる時があった。 何があるんだろう。。。。? 親に質問すると、「手代森だよ。お祖母ちゃんの家に行く時に通るでしょ?」との返答。 ・・・・? 自分の頭の中で、つながらなくて、きょとんとしていたと思う。 すると、父親が 「よし、じゃあ今度登りに行こう!」と
地図が好きだ。世界地図も好きだ。行けるものならどこまででも行きたいと思う。今いる場所をもっと深く知りたいと願う。 そんな私が出来上がるのに、どんな事件があったのだろう? 大学時代より前になるとどうか?誕生してから岩手県盛岡市にて高校卒業するまでの間に、どんな事件があったのだろう? 中学2年の時に、岩手山登山の行事があった。それから高校卒業までに、なぜだか毎年岩手山に登っていた。山登りは嫌いじゃない。しんどいけど。 そして、記憶に残るのは頂上からの眺め。盛岡の街がなんだ
地図が好きだ。なんともいえず好きだ。googlemapは魔物だ。時間がどんどん過ぎていく。 なぜ地図が好きなのかといわれると、なんでなんだろうと思うが、やはりきっかけはあったと思う。今回は、地図と私の関係性を探ってみたい。 今でこそ、パソコンやスマホで地図を見ることは便利になったが、昔は紙媒体。しかも車に乗るから地図が必要。という必要性の部分が大きかったろうと思い返す。 大学時代、陸の孤島と言われる地域に住んだことで、親がさすがに不便に思い、実家の軽自動車(初代ミニカち
羽田にて。空の路を渡る前の一時。 今から福岡へ移動。 何度も行っている土地だからこそ、新たな出会いにワクワクしたいと願う。 九州、福岡、博多、糸島…。名前が持つイメージやアイデンティティ、それぞれが持つ歴史。 それらと出会いつつ、個性を解き、共通点を探していく旅のスタイルを意識している。 複雑多様な出会いを楽しむためには、シンプルであり、普遍的なものへの憧れが必要であると感じる。 シンプル=多様性という一見矛盾する2つを同時に楽しむ。さあ、今回はどんな出会いが待って
前回、先生との観ている世界が違うことを実感した私。 様々な観点を先生からは頂いたのだが、まずは自然環境的な違いを見る目を養い、続いて歴史を見る目を養うことになる。 なぜここに道があるのか?近年つくられた道は、人間が無理矢理にでも山を切り開き、橋をかけ、トンネルを掘って道を作ることができる。 だが、昔はそうは行かない。自然と対話しながら、人が通っていく路。それが、道となり、様々な出会いと変化を織りなしていくという歴史地理学的観点へと移っていく。 誰が、なんの目的で、何を運
ふだん、ただ単に通り過ぎている道路。ある日の授業で、そこに、こんな質問が飛んできた。 「大学の前にある学園線を西に進んでいくと、どんな風景が広がっていますか?」 頭の中で思い出してみる。まっすぐとした道路、そうそうしばらくいくと、石下のあたりで下り坂になるんだよな。で、そのあと国道294に出て。。。と考えていると。 「坂があるよね?下り坂?」という先生の声に、そうそうとうなずく。 「では、坂の上と、坂を下ったところでは、どんな違いがあるかな?」とさらに質問が続き、若干
もうちょっと地理(正確には歴史地理学)との出会いを綴っておくと、担当教授の石井英也先生は、もともと人文地理学の博士号をドイツの大学で取得し、その後歴史学を学ばれて歴史地理学を日本で確立するために尽力された先生であった。 その先生の歴史地理学概論にて語られていたのが、専門でもあった「景観地理学」。景観の形成から、その地域の特徴や変化を見ていくというものだった。ふーん。と思いながら、ぼーっと講義を受けていたのだが、1年生の夏に運転免許を取得し、両親から軽自動車(愛するミニカちゃ