スコーンって焼き菓子界の中でかなりモテる存在だと思うんだ。
去年あたりから、スコーンに取り憑かれている。
もともとパンや焼き菓子などの小麦系のものが好きだったのだが、最近はその中でもスコーンが群を抜いて好きだと感じる。
ここで一度スコーンについて調べてみた。
遥か昔から親しまれていたスコーン。
日本に伝わってきたことに感謝の気持ちが溢れる。どなたか分からないですが、ありがとうございます。
材料のシンプルさから、その時のシーンによって食事にもおやつにも軽食にもなることができる。そんなオールマイティさも好きな理由だ。
また、アレンジも自由自在で、生地自体に味を付けたり、練り込んだり、はたまた食べる前に何かを付けたり…。
こちらの工夫次第で楽しませてくれる臨機応変さも持ち合わせている。
「ザイオンス効果」で気づいたら恋に落ちていた。
私はなぜスコーンを好きになったのだろうか?
初めて食べたスコーンの味なんて覚えていないし、もはやスコーンをいつ食べたのかなんて分からない。ということは、一目惚れをした訳ではないということが分かる。
私の中でこれかな?と思う理由は、
「よく見かけるようになったから」
だと思っている。説明していこう。
パン屋さんに行くと、大体5割以上の確率で、
焼き菓子やスコーンも売られていないだろうか。
クッキーやラスクなどさまざまなものが売られているが、レギュラーメンバーのようにスコーンもいる。なんなら最近、パンの隣に何食わぬ顔で
陳列しているお店も見つける。
菓子パン惣菜パン…突然の、スコーン。
もともとパン屋さん巡りが好きな私。
そうなると買わなくてもスコーンが目に入る。
スコーンの存在を、嫌でも認識してしまう。
とうとうパン屋に行くと、「スコーンはいないのかしら…」と探すまでになってしまっていた。
ひどい時は、「あ、ここのパン屋さん、スコーン売ってそうな雰囲気だな。入ってみるか」なんて言う日もあるくらい。パン達に思わせぶりな態度をとって、いつかバチが当たるぞ。(何の?)
そう。そうやって目に触れる頻度が増え、いつしか気になる存在になってしまっていたのだ。
これ、完全に私、落ちてますよね?
気にもかけていなかったのに、何度も接触したり、目にすると好きになってしまう心理効果を
「ザイオンス効果」または「単純接触効果」というらしい。
これ、恋と一緒だな、と思った。
そして、私って単純だな、とも思った。
あれ、完全にスコーンに踊らされてる。
そういえば、過去記事を遡ったら、スコーンについて書いた記事ありましたわ。
もうこの時から恋に落ちてたのかは分からないが、パン屋さんで買ったスコーンって書いてる。
やっぱりパン屋さんでスコーン買ってるやないかい。
スコーンってクラスにいたらぜったいモテるよね?
そして、もう一つ私はスコーンの策士にハマっていることに気づく。それは、手に届きやすい存在だということ。
そこまで大きくない程よいサイズ感。
これくらいなら食事に影響しなさそう…みたいに思っちゃってついつい買ってしまう。
専門店に行かなくても、気軽に買えるのである。
パン屋さんや、カフェのレジ横、最近は雑貨屋さんなんかにもひっそり佇んでることもある。
危なかったらありゃしない。気を抜くと、つい手を伸ばしてしまう。
高嶺の花より、親しみやすい同じクラスの男子、みたいなポジションをとっているスコーン。
それを計算しているのかしていないのかは分からないが…。(いや絶対してないだろ)
恐るべし!スコーンの魅力!
あなたって、意外とオシャレじゃん?
そんなこんなで、いつもつい買わされてしまうチョロい私。
家に帰ってコーヒーと一緒に楽しもうかな、と買ったスコーンを手に取りお皿に乗せる。
そこでまた新たな魅力に気づいてしまうのだ…
「え?めっちゃオシャレじゃん」
そう。その大雑把でかっちりしすぎない絶妙なフォルム。程よい焼き加減の綺麗な小麦色の肌。
そして彩にアクセントを加えるフィリングたち…
たちまちお皿に乗せてコーヒーカップと並べると、そこの空間は一気にカフェになる。
脳内でジャズが流れ始める。
素材が良いから、外見を整えたらそりゃあもう
映えるに決まっている。それに味も良いときた!やられた。これは完敗だ。
こんなに素敵な存在、好きになるに決まっている。
スコーンと出会えて良かった!
だから私はスコーンが好きだ。
気づいたら恋に落ちて、今はあなたの虜です。
気付くとあなたのことを考えて、
街に行くとあなたの姿を探してしまうのです。
スコーンのことを考えたら、なんだかドラマチックな展開になってしまった。正直これを書いていて自分に引いている。
私も数年後は自分でスコーンを作ったりしているのだろうか。それとも他の好きなものを見つけて、スコーンには見向きもしなくなっているのだろうか。
未来はどうなるか分からないが、今はスコーンが私に届けてくれる「幸福感」をしっかりと噛み締めて、ありがたくいただくとする。