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私という人間
仏教と出会う前の私を一言で表現すると、自分探しマニア。
今でも自己啓発本が好きです。
自分探し・・それより、もっと良い言い方も出来ます。
自己探求・自己研鑽型人間
とにかく、いつもいつも、本当の自分が知りたいと思っていました。
哲学的な「自分とは何か?」
そんな重くもなく、ふと考える程度ですが。
私は基本的に、何かがしたくて仕方がない性格です。
そして、するからには最短で極めたい。
だから、物事に取りかかる前、必ずする事が1つの質問です。
私と言う道具を、今回どう使いこなすか?
この問いが、大事だと思っていました。
ですから、頭で突き詰めて、追い求めて。
そんな時に出遇ったのが、高野山真言宗でした。
真言宗では『大日経』と言う、本当の名前は『大毘廬遮那成仏神変加持経』ですが。そのお経を、根本の一つにしています。
このお経の中に、
「覚りとは何ですか?」
と言う問いがあり、答えが書かれています。
答えは「実の如く自心を知る」です。
自分のことが良く分かっていない私。
自分探しオタクの私にぴったりのお経です。
しかし、よくよく考えると、いえ、考えなくても、
現実の、今ここにいる、そのままの私の心を知ること?
覚ったら、自分のことが解るって。
でも、今までに覚った人って、お釈迦さましかいません。
お釈迦さん以外にいないと言うことは、
覚りを得るって、むちゃ難しいことで、
大多数は、自分のことが分からないまま?
そうなんだ、分かりっこないんだ。
でも、落胆はしていません。
だって、気付いた時には、お坊さんの道を歩んでいましたから。
もう、引き返せません。
お釈迦さまは、車を指さして聞かれました。
「車は何で出来てる?」
車を分解してみます。
車輪を外し、荷台を開けて、タンクも取る。
ハンドルを取って、ブレーキを外す。
一つ一つ、パーツに分けてゆきます。
部品を全部ばらして見て・・
「車」という部品がないことに気が付きます。
当然です。
パーツを組み上げてできた物が「車」です。
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車の役目は、
人を乗せ、荷物を積み、走って移動する。
役割に応じた車種を選びます。
けが人を搬送するのに救急車。
団体客を乗せて旅行するのにバス。
近くのコンビニへ買い物する車と、サーキット場を瞬足で走る車。
車の使用目的が違うので、性能やスタイルが違います。
私という車は、どんな車?
私のパーツ一つ一つから、想像してみる。
眼・耳・鼻・舌・身の5つのパーツ。
感性のパーツもあります。
それらを組み上げて、私が行動をする。
得意な行動、それが私。
今の役割は、眼耳鼻舌身のパーツをどう使っているかです。
本当の自分・・
車に車というパーツがないのと一緒。
「本当の」というパーツは私にはない。
備わっているパーツを、フルに活用する。
それが、私。
お釈迦さまの教えから導く答えは、
簡単だったようです。
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