島田雅彦「優しいサヨクのための嬉遊曲」
僕はこの本を読んで、誰でもいいから60年代の学生運動を経験した人の話を生で聞いてみたくなった。
まずこれを書いた島田雅彦は当時22歳で、当時の島田雅彦は自称とびっきりのイケメンだった(金原ひとみとの対談で言っていた)。表紙の裏に若かりし島田雅彦のモノクロ写真が載ってあるが、たしかにイケメンなのだが、先に自慢話を聞いてしまうと、なんだかなぁという気持ちで見てしまう。東京外国語大学ロシア語学部在籍中に書いたらしい。この本のいいところは作者が楽しんで書いていることが伝わってくることだ。「優しいサヨクのための嬉遊曲」は、その若さを存分に利用した筋の無い小説である。正直かなり腹立たしい感じの文体なのだが、それが癖なることも当時の島田雅彦は理解していたのだろう。実際22歳というのはとても若く、僕にとっても十分なほど過去なので、羨ましい。
内容は学生運動に憧れた政治的インテリ大学生のサークルの話。島田雅彦は団塊の世代のあとなので、学生運動のピークは経験していない。だから60年代生まれの、特に東京で大学生活を過ごした当時の若者なんかは、ゲバ棒とか機動隊とかにちょっとした憧れを持っていたのではないか。僕は大学生活をこれ以上にないくらい平和に過ごしたので、そういうのは確かに見てみたい気はする。このことについて書くには三田誠成の「僕って何」の記事で書くのが大正解だろう。ただこれも絶版なので、また図書館で借りなくちゃいけない。
こういう文体100パーセントの小説は読んでいるとすごい楽しいんだが、次の日になるともう内容を忘れている。ただ一つ、「左翼」とは、目立ちたがりの若者がただ逆張りする。突き詰めていけば結局そういう意味になるんじゃないかと思った。早い話、物心ついた頃ににチョイ悪な映画、音楽、本に出会い、大学生くらいになって周囲にうまく馴染めない陰気な大人になっていれば、それはこの本で言う「可愛らしい左翼」になるんじゃないか。
この本を読んでいて、なんでこういう作家がそこまでの数はいないのだろう、とも思った。多分こういう書き方をすれば大体は一次審査落ちの烙印を押されるんだろう。だとすれば島田雅彦はやっぱり、出色ということになるんだろうか。好感度は高いのだが、正直この人の底が見えるような小説でもあった。
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