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サガン好きの女子に聞いてみたいこと

サガンを読むたびに思うのが「サガンを読む女子の知り合いがいればなあ」、、だ。
というのも、僕から見るとサガンは恋愛をものすごいリアルに書くなあと思うのだけど、これは女子目線で見てもリアルな恋愛なのか、「いや、こんな女子、現実でいないから」とバッサリいかれるのか、分からないからである。サガンが書く女性像は正しいのか?あるあるなのか?・・・ということだ、僕が言いたいのは。

ただ、知り合いくらいの女性に「サガン良いですよ」とは言いにくい。文字は辞書並みに小さいし、文章は4行5行が一塊で長ったらしいし、俗に言う純文学だからだ。


フランソワーズ・サガン



なぜサガンの恋愛がリアルに見えるのか?サガンの描く主人公が、多分サガンの性格そのままだからだろう。美人で、頭が切れて、マセている。現恋人は優しいけど退屈。そこに「顔は普通だけど渋い年上」か、「年下だけどものすごい美青年」かの浮気候補が現れる。こういうと「どの本も浮気やないか」と言われそうだが、主人公(つまりサガンの生き写し)からは好意を見せないのがポイント。そのうち相手の方から「サガン、サガン」と寄ってきて、サガンはそれにがっかりする。そう、今までに読んだ3冊はこんな感じだった。こう書くと、こういう女性は確かにいそうだ。

今回の「ある微笑」は、ちょっと違っていた。ミステリアスな年上の男が出てきて、ちょくちょく会っているうちにサガン側が恋をしてしまうのだ。これまではサガンはいつも「優位」に立っていた。相手の男子の心をいつも先読みして、誘惑するわけでもなくつき放すわけでもなく、ただ友達として接するのみ。今回はサガンがぞっこんになってしまって、片思いの心理をサガンの文体でブワーーーと書いてある。サガンは文章の全てですっとぼけないと気が済まないので、片思いの辛い時期すらもわざわざ4重否定くらいまわりくどく書くのが、滑稽で面白い(それが狙いなのだろう)。
サガンはこの本で自分を「悲しいインテリジェンス」と呼んでいた。浮気相手の奥さんは素直で、明るくて、つまり普通の女性である。サガンみたいな面倒くさい女子とは正反対である。サガンはこの本でそれを書きたかったんだろう。「悲しいインテリジェンス」はいつも二番手。結局本気の恋愛になると「普通の女性」に負けてしまう。

サガンの本で一貫しているのは「浮気相手はミステリアスな男」であることだ。発言にキレがあって、何を考えているのか分からなくて、現恋人と比べて面白い。この点はどうだろう?
ミステリアスな男はちょっと話す分には面白そうだけど、それこそ付き合うとかなると面倒臭そうである。サガンがこういう手の男ばかりに惹かれるのはサガン自身が変わっているからなのか、それとも世の中のあるあるなのか。これもまた、本を読んでいただかないと。サガンの心理描写をここで全ては紹介できない。サガンの文章は急にめちゃくちゃ感心させられる一行が出てくることがある。それを見つけた時、サガンのファンが生まれるのだ。

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