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野毛はなぜ飲酒レジャーの街になったのか
「休日の野毛は、酒場めぐりをレジャーとして楽しむ人が非常に増えた」
サントリー傘下の飲食部門を担当する株式会社ダイナックの秋山武史社長が、「大衆すし酒場 スシマヅメ」 オープン時に話した言葉です。
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野毛だけでなく、赤羽や立石、大阪の京橋、天満も、酒場の聖地と呼ばれるようになり、休日は若い世代を中心に、お昼から梯子酒を楽しむために遠方からもどっと押し寄せるようになりました。
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すっかり観光地です。
もともと街の飲み屋さんは文字通り「大衆の酒場」で、仕事帰りに一杯ひっかけていく日常の居場所だったはず。だから、いまも新橋の飲み屋街は"サラリーマン"の聖地と呼ばれていますし、川崎や堺、北九州のような重工業地帯には隣接した巨大飲み屋街が存在しています。
野毛だって、もともとは現みなとみらい21地区にあった三菱重工の造船等で働く人が飲みに行く街だったわけです。製鉄と室蘭やきとり、タクシードライバーと下町の朝飲み処、交通の一大拠点と大宮駅前いづみや他、海上防衛拠点と横須賀の老舗昼飲み酒場群など、どの街も産業と酒場の関連性がありました。また、前述のような特定の職場に限らず、日本全国、駅前に酒場があるのは帰宅前の飲酒需要を期待してのものです。
この記事を読んでいる方も、きっと職場と自宅の間に日常の延長にある酒場があるはずです。
今の酒場はなぜレジャーになったのでしょうか。最も顕著に変化が見られる場所である横浜市の野毛を軸にして解説していまきす。
野毛で見る、酒場が日常からレジャーへ変わるとき
引き続き野毛を例に話を進めます。
野毛の始まりは、ヤミ市から。いまでは考えられませんが、大岡川は水上生活者が暮らしていたそうです。なんでも揃うヤミ市はやがて飲み屋街へと姿を変えていきます。
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