今日、また1つお席が空きました。
いつも目が合うとにっこり笑い会釈をして下さるご婦人。
昼間の数時間しか働いていない私はご婦人との関わりはほんのわずかでした。
コロナ禍でナースが不在となった4回の夜勤や日勤を代わったとき、そしてご婦人が体調不良時の対応をしたくらいです。
その数回で「あなた好きだわ」と言われ、行くたびに好意を向けて下さるのを嬉しく思っていました。
関わりがほぼなくなった後も私がせかせかとフロアを行ったり来たりすると何度も目が合うので、会釈を繰り返すのが癒しの時間でした。
普段は居室で過ごされるご婦人は決まって昼食はフロアで召し上がられます。
お話好きで人懐っこいご婦人の周りには同じようなご婦人が集まり楽しそうにしてます。
私は昼食時もせわしなく仕事をしているため、皆さんがフロアで食事をしているのを横目に見るのが楽しみなんですよね。
あっちこっちからむせる音に耳を澄ませながら、ただ一生懸命食事に向かう高齢者の皆さんが愛おしいのです。
大丈夫かな?ゆっくり食べてるかな?おいしいかな?って。
…でもですね。
このお席はメンバーチェンジがやってきます。
今日はそのご婦人のお席が空いたのです。
数日前に病院に搬送されそのまま帰らぬ人になりました。
私がせかせかフロアを移動しているのは居室で寝たきりの方の胃ろうの食事をしているから。
何度も誤嚥性肺炎を繰り返し生死をさまよわれたり医療的ケアが多く必要な方がいる一方、つい数日前まで元気に歩き食事をしていたご婦人が先に逝ってしまうという現実。
順番なんてないのは重々承知の上ですが、これは私にも言えること。
日々を過ごしていると明日が来るのが当たり前に思ってしまう自分が時々怖くなります。
当たり前に胡坐をかいて時間を無駄にしてるんじゃないかって。
フロアの食事風景を見ているといろんな方がいらっしゃいます。
食事を待ちわびている人、食事に対してケチを付ける人、美味しく頂く人、食べたくない人。
そんないろんな感情が渦巻く中でメンバーチェンジは突然にやってきます。
最期のときまで人生を美味しく頂きたい私は、目の前の食事に感謝したり、例え少量しか食べられなくなっても味わえたり、自分らしく生きるって一つ一つとどう向き合うかなんだな思います。
元気な今だからこそ、もしもの病気に備えて、必ずくる最期を見据えて今日も自分が満たされる感情を大事に過ごしていきたいな思いました。
ご婦人がどのような人生を歩んでこられたかはわかりませんが、ただただ最期が穏やかであったことを願っています。