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想像力と経験、どちらを重視するべきなのか?

今回は#想像力と経験 というテーマでnoteを書いていこうと思います。

若者と年長者のように、想像力と経験は対比の形で使われる場面をみることもあると思います。あらゆる出来事に対して、若者は先入観があまりないことから意外性のある対応をとり、年長者はこれまでの経験から最適解を選択するといったような形式です。物事に対して、想像力をもとに新しいことにチャレンジをするべきなのか、経験をもとに既存の対応をするべきなのか、人生の選択でいうと、チャレンジングなことに挑戦する道を選ぶのか、先行きがみえやすい安定した道を選ぶのか、などなど。私の考えを書いていきたいと思います。


① 「想像力」のための「経験」

まず、「想像力」について、以前本を読んでいて、しっくりときていた考えを紹介したいと思います。

想像とは、現実に存在しないもの、あるいは現実の存在とは違ったものを心に思い浮かべることです。それは、過去の経験そのまま思い浮かべる記憶とは異なり、過去の経験を解体し、再び新しい関係、イメージをつくりだすのが想像力です

構想力の方法論という本からの引用です。


想像力を発揮するときは、まったく新しいことを想像したつもりになっていても、実際は過去の経験に基づいていることが多いということです。つまり、想像力を働かせるためには、「経験」の側面が重要ともいえます。

このように考えると、留学から帰ってきた人が賢そうにみえるのにも納得できる気がします。海外での経験をもとに、今の生活を見返すことで、今までは見えなかったものもみえるようになり、想像力が広がるのでしょうか。

スポーツや将棋なども同様だとは思いますが、「経験」、つまりセオリーや定跡があるからこそ、そこから離れたプレーは想像力のあるプレーといえると思います。「守・破・離」ですね。

ビジネスにおいても同様(のはず)で、何も知識がない状態で、想像力だけで価値を産み出せるようなものではないと思います。どのような課題があるのか、どのようなものが理想的なのかを思い浮かべるために想像力を使うと思いますが、実際に課題を解決するための手段を考えるときには、経験も必要になってくるのではないでしょうか。

想像とは、現実に存在しないもの、あるいは現実の存在とは違ったものを心に思い浮かべることです。それは、過去の経験そのまま思い浮かべる記憶とは異なり、過去の経験を解体し、再び新しい関係、イメージをつくりだすのが想像力です

「想像力」を駆使するためには、周りの人や自分自身の「経験」という側面も重要になると思います。


② 「経験」のための「想像力」

もう一つ、これも以前読んだ本の引用となりますが、印象に残った言葉を紹介します。

頭が悪いってことと無知ってことは違う。知らないことは知るときが来れば、その人は無知ではなくなる。

ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルーからの引用です。(この本めっちゃ好きです)


人は自分の持っている知識が世の中の当たり前、誰でも持ち合わせているものだとつい思ってしまうものだと思います。大学の同級生のように、所属している環境や年代が近い場合は、お互いが持っている知識は似通ってくると思いますが、地元の中学校の同級生と久々に話すと、驚かされるときがあるように、自分と違う環境にいる人の知識や価値観等の解離度は大きく感じるのではないでしょうか。さらに最近は、YoutubeやTwitterなどの特性上、自分の好みの情報だけを収集しやすい環境ができ、ますます他人との解離度の差に気がつきにくい環境になっていると思います。

このような環境のなかで、自分の「経験」から他人のことを理解できないのはすごく当たり前のはずですが、理解できないないのは、他人の理解力が足りないから、他人がバカだからと思ってしまうこともあるのではないでしょうか。それを公にしてしまうことで誹謗中傷などの問題につながってしまいます。

今の世の中はVUCAなどといったりもしますが、時代がどんどんと進んでいき、自分の「経験」だけでは理解することができないことがたくさん存在していると思います。そんな時代だからこそ、今までの経験にとらわれない「想像力」が求められていると思います。


またまた僕はイエローでホワイトでちょっとブルーからの引用なのですが、

「多様性っていいことなんでしょ?じゃあどうして、多様性があるとややこしくなるの?」
「多様性ってやつは物事をややこしくするし、喧嘩や衝突が絶えないし、そりゃない方が楽よ。」
「楽じゃないものが、どうしていいの?」
「楽ばっかりしていると、無知になるから」


周りの人の「経験」の力を借りるためには、「想像力」を駆使して周りの人と協力していく必要があると思います。


頭が悪いってことと無知ってことは違う。知らないことは知るときが来れば、その人は無知ではなくなる。



③成人式には行かないで

今回のテーマ設定はこの記事からきているそうですので、この感想についても触れたいと思います。

この記事は想像するために必要な材料を示してくれているところが良かったと思っています。岩田さんは感染症を専門にするお医者さんとのことで、日々医療現場には新型コロナウイルス感染者の患者さんがたくさん運ばれてくる現状を語ってくれています。医療関係者でもない私含めた多くの人たちにとって、感染者たちがどのような症状がでるのか、どのような治療を受けているのかを想像することは難しいし、想像しようと思う機会も少ないはずです。きっと私のように、想像するための知識を持ち合わせていない人も多いはずです。そのような人たちに、「想像してみなさい」や「考えてみろ」と伝えることに意味はないと思っています。

想像する・考えるためには、そのための材料を準備する必要があると思っています。コーチングも一緒だと思っていて、選手に、考えてプレーしろや頭を使えとだけ伝えるのは怠慢で、プレーを切り取ってあげ、そのプレーにおいて他にどういう選択肢があったのかなどを伝えてあげてはじめて、想像する・考えるという段階に進むと思います。

だから、想像するためには経験も必要だよなっていう視点で書き始めました。そして、書いていて気がついたのは、経験を伝えるためには、想像力も必要だよなってことです。職人は弟子に教えるのが下手というイメージがあると思いますが、自分が既に取得している能力について、持っていない状況を想定するのはすごく難しいと思います。例えば私は、自転車に乗れなかった頃は思い出せません。だから、自転車に乗り方をおしえることになったら、相手がどうして乗れないのかを想像できないと思います。乗り方を伝えるためには、相手が何に困っているのか、どうしたら乗れるようになるのかを想像することが大切だと思います。


そういう経緯があり、どっちも大切だよねっていうまとめ方にしちゃいました。一応まとめはしましたが、まだまだ考え甲斐があるテーマであると思うので、このnoteを読んで、自分はこう思うという意見がある方は、ぜひ#想像力と経験 でnoteを書いてくれたらなと思います。多様性は大事!なので。


以上、ここまで読んでいただきありがとうございました。

何卒。

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