普通を逃げるための言い訳にしない
昨日noteを書こうと思ってたのですが、アマプラでジョンウィック3を視聴できることを発見してしまったため書けませんでした。いやぁ~おもしろかったですけど、次回作への布石感が強く、消化不良な面もありましたね。
ジョンウィックってけっこう有名な映画だと思うので、知ってる人も多いでしょう。ジョンウィックという殺し屋が主人公のアクション映画なのですが、感動要素や恋愛要素があるわけでなく、基本アクションシーンを楽しむものだと個人的には思っています。3まで続いているだけあって、けっこうおもしろい映画だと思います。戦う動機がめちゃくちゃだったり、個性的な脇役キャラだったりとアクション以外にも楽しめる要素はありますので、暇なときにでもみてください。
さて、今回のテーマは私とは何かということで書いていきます。
自分とは何かを考えると、「普通」という概念にぶつかると思います。
「普通」という多数派の考え方があり、その普通と離れていることはいい意味では「希少性」といわれ、良くない意味では「まともでない」といわれます。周りとの比較から自分をみつめるということです。
私は周りに比べ、長い期間サッカーをしてきました。サッカーをしてきた経験は一つの「希少性」といえます。
一方で、サッカーばかりに時間を費やしてきたこともあり(そのせいで)、恋愛や音楽活動など多くの人が経験しているであろうことに疎いです。
(もしかしたらサッカーは関係ないかもしれません、もしかしたら…)
みなさんにはどんな特徴がありますか。
ちょうど今日この映画をみてきました。
めちゃくちゃよきでしたね。あらすじとか映画の雰囲気は予告編で確認してほしいのですが、映画は、成田凌と清原果耶の会話はテンポ良くクスッと笑える感じが最高だし、「普通」について考えるきっかけになります。まあ設定とかはめちゃくちゃな感じはしますが、そういうのは置いといて観て欲しいですね。
ネタバレしたくないので内容については書かないのですが、教訓として覚えておきたいことを一つだけ書きます。
普通は~するや、普通は~しないという考え方はとても楽で便利なものです。普通に従っていれば、もし失敗したとしても責任が薄く感じますし、他にも普通を経験している人がいるので安心して行動できます。
だが、普通に従うことは思考停止になってしまう危険性をはらんでいます。
本来は自分がどうしたいか、どうなりたいかを考えて行動するべきですが、行動基準が普通か普通でないかに置き換わってしまう。
だから、普通という言葉を逃げるための言い訳にしないように気をつけて生きていきたいと強く思いました。自分はやりたいけど、普通はやらないからやめる。逆に、自分の価値観にあわないものを普通だからという理由で受け入れる。ということがないようにしたいです。
普通じゃなくてもいいんだ、まともじゃなくてもいいんだと前向きになれる映画ですので、こんなnoteを読むようなおそらくまともじゃない人には、きっと刺さると思うのでオススメです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
では、何卒。