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漫画『約束のネバーランド』最終話感想(再掲+追記)【約ネバ】

最終話の感想について再掲します。
ジャンプ本誌掲載当時ふせったーにあげたものです。
翌日の追記もあわせて再掲し、最後に現時点でのまとめも書き下ろしています。

ノマエマ結婚に向けた草の根活動の一環であることをご理解ください。






・2020/6/15最終話当日感想



2020/6/15 14:35
約ネバ最終話感想。「好きだからエマには笑っていてほしいんだ」ーこの作品はノーマンの限りない愛で始まり果てしない愛で終わるノマエマの物語だった。「一緒に生きよう」ーノーマンが笑ったから、私も笑った…。最後まで、何でも許せる方向け。


もうもうもうもうもう、

ノーマンの愛が、無限大すぎて…!!!!!!!!!!!!!

この感動は、どんな言葉を尽くしても言い表すことなどできない。

ノーマンがいかにエマのことを思っているか、約ネバは、そのためのストーリーだったとも言えるのでは?????????

「一緒に生きよう」は、ノマエマのサビ。

出荷を前にエマがノーマンにかけた
「一緒に生きよう?ノーマン」
も、再会後の演説でノーマンが語った
「今度こそ一緒に生きたいんだ」
も、どちらの時もノーマンは内心叶えることはできないと思っていたんですよね。

それが、臆病回で本心をさらしたノーマンにエマがかけた
「一緒に生きよう!ノーマン!!今度こそ!!」
までまさか、エマの方で叶えることができないことを知っていた言葉だったなんて。

エマからノーマンに、ノーマンからエマに、エマからノーマンに、交互にかけていった「一緒に生きよう」は、どれも確実にふたりの偽らざる切実なる願いなのに、実際はなんと偽りに満ちた言葉だったんだろう。
その時々のふたりの本心を思うと、切なくて苦しくて胸が引きちぎられそうになる。

それが、この、最後の最後で、

「だから…もう一度、いや、何度でも、一緒に生きよう」

の言葉に結実するのが、そしてノーマンのその言葉を受けてのエマの

「うん!」

が、なんて途方もないカタルシスなんだろう。

この長い物語のラストのページが、

ノーマン「一緒に生きよう」
エマ「うん!」

ですよ…エマとノーマンの言葉を借りるなら、「最高」です。

エマの両手をとるノーマンの両手に重ねたレイの片手、
見つめ合うノマエマを見守るレイ、
そんな三人を見届ける家族達。

少年誌がどこまで描くのかまだいまいちよくわかってない私ですが、これまで積み重ねてきた約ネバの物語としては、これ以上ないほどに美しい完璧な締めくくり方だったのではないでしょうか。

何よりノーマンのエマへの愛が途方もなさすぎて、でもそれが約ネバにはまるきっかけだったので、最後の最後に特大級の愛を見せつけられて、もうまったく敵いません…ノーマンに、この作品に完璧に敗北です…平伏します…蹲います…

エマは代償を受け入れているエマだったんですよね。
この話のテーマである「諦めるな」「考えろ」「戦略だ」や、ストーリーのどんでん返しの多さからして、すんなり受け入れるエマはあり得ないのかなあと思ってたんですが、この作品の終着点はそこじゃなかった。

「神様になんかならなくていいんだよ」
でノーマンに殺戮させたくない、自分も鬼を絶滅させたくないエマが、
「そのくらい自分で背負って確かめてくるよ」
と覚悟を示したあの時から、エマにとってそれは「ケジメ」だったんだ。

前々回のノーマンのモノローグ
「僕には『背負うな』って言っておいて」
の反応は正しすぎたわけですよね。
脱獄編でエマを欺いた自己犠牲ノーマンは、成長し再会したエマに負けたということ。
天才的頭脳の理論では超えられない、論理を超越したところにある七つの壁に行けるのは、エマだけだったのだから。

フルスコアの関係性は、他の二人を出し抜いた者こそが、自己犠牲のカードを切って他の二人を救う権利を得ることができるようになってたんですよね。
脱獄編でレイはノマエマに完敗し、もう勝負の土俵にはあがらず、ひたすら二人をサポートする側に徹してたんだと思います。
元々レイは、糸電話や写真や、「ノマエマの二人」を等しく大事にしてたので、さもありなんな流れ。

つまり最終章はノマエマの勝負で、エマが勝ったというわけ。
でも勝った方を救うのは、負けた方なのです。
脱獄編でエマに勝ったノーマンを再会したエマが救い、最終章でノーマンに勝ったエマを救うのは、やはりノーマンだったのです。

圧倒的主人公力を誇るエマだったから、みんなの助けは借りつつもスタンドプレイでしめくくる結末もあるのかなという予想もしてました。

だけど、違った。

エマを救ったのは、ノーマンの無上の愛だった。

「そりゃ見つからねぇよ…」と俯くレイや、「ふざけるな!!」と憤るドンや、「覚えてるわよね!?」と迫るギルダや、衝撃に固まるフィルや、無力ぶりに悔しがるトーマは、みんなみんな、エマを思えばこその、普通の共感し得る反応ですよね。

エマがいなかったことで愕然とし、小さい子達に心配されたノーマンですよ。
どんなにショックを受けただろう、ある意味ノーマンのかわりに全部エマが背負ったことは事実なので、前々回のように「ひどいよ」となじる権利もあるといえばある(実際負けた身では無力ですが)。

でも、ノーマンだけは違った。

「よかった…」と泣くノーマンに、

「記憶がなくても
君が生きていてよかった
ちゃんとごはんを食べて健康で…
ケガもなくて笑って…
幸せそうで…
独りではなさそうで…
こうして会えて
本当によかった」

と優しすぎる横顔で涙を流すノーマンに、

自分史上いちばん泣いた。

ノーマンは、いつだって、エマに笑っていてほしいんだ。
思えばいつだってそうだった。

出荷前の別れの時の
「ケガ……増やさないでね
無茶のしすぎも
ちゃんと食べてね」
から何も変わってないんだよ。

ノーマンがエマに望むことは、エマ自身の幸福なので。

そんなノーマンの愛が、戸惑うばかりのエマの心に響かないなんてことがある???

ないよ…

嗚咽してるよ…(私が)

近況報告もよかった…

皆で学校に通う未来は、約ネバを知った当初からの私の個人的な願望だったので(よかったらpixivの拙作『大切な恋は戦略的に』『君の心を待つ日々は』をどうぞ!宣伝!)、年少組のランドセル姿も感慨深い…

量産児達が手厚く保護されて未来が生まれてるという報告、何よりそれをノーマンが憂いなく語ってることがありがたかった。
「僕がここまで何をしてきたか二人は何も知らない」
と拒絶したノーマンを「知ってる」「遅いなんてことない。全部一緒に何とかしよう!!」と受け入れたエマのおかげで、ノーマンは救われたんだろうと思う。

私にとってこのエピソードは、ノーマンがエマに救われたという事実が重要なので、読者個人の倫理観でノーマンを裁くという解釈は元々ありませんでしたね。
それは量産児の問題に限らないです。
そういう意味では、作品のスタンスが一貫していて本当に解釈一致だった。
重ねてきた罪が重く汚れているとノーマンが罪悪感に苦しむほどに、ノマエマの関係性が美しく尊くなるんですよ(逆に酷い可能性)。

結局アイシェに鬼語で伝えたことは何だったのか明かされなかったけど、少なくとも彼女から殺されてもおかしくないと認識してるということは、アイシェの父を殺したことは事実で、それをあの時鬼語で認めて謝ったか何かということなのかな?

アイシェとムジカ探索関係は有耶無耶なまま終わっちゃったな。
冷徹で非情な手段を取るノーマンで全然いいし、全部エマの笑顔のために無理してた、そんなノーマンはむしろ萌えるんだけど、戦略的には完璧なままでいてほしい願望が個人的に強かったんですよね。

でももう、そんな妄信者のこだわりは些末なことになりました。

クリスが目覚めたのもよかったけど、結局何のためにクリスは目覚めなかったんだ?
という謎も残りますが、それはきっと、ラムダ組の治療と同じく、人間の世界で高度な医療を受けることが必要だった、エマの判断が正しかった、ということを描きたかったのかな?
だからこそ、ノーマンがこうして皆の前でエマに向けて述べ連ねてる報告事項のひとつなんだろうなと。

このへん読みながら、またノーマンがメタ的に読者に解説してくれてるんだな、やっぱり最終話つめつめじゃん、ほらいわんこっちゃない(?)、もっと連載のばしてくれてもよかったんだよ、と内心忸怩たる思いも抱いちゃったりしてたんですが、もう、それすらも作者様の手のひらの上でしたね。

ノーマンが言いたかったこと。

「人間の世界に来れて本当によかった。
僕ら今幸せだよ。
大丈夫…君が願った通り君の選択の結果は最高だった。
全部君がくれたんだ、君が君の記憶と引き換えに」

ですよ…!

それを伝えるために、ノーマンは言葉を尽くしたんですね。
他ならぬエマに、そこにいるみんなに、メタ的にはやはり読者にも、伝えたかったんでしょう。

エマへの全肯定を。

エマが選択したことを、認容し、称賛し、感謝したのです。

エマがあの方に答えた
「ありがとう、最高の未来だよ!」
を、直接聞いたはずもないノーマンが、
「君の選択の結果は最高だった」
と断定するの、あまりにも、あまりにも、唯一無二の二人じゃないですか…??

ノマエマの二人が「最高」と通じあうなんて、それこそ最高のノマエマなんじゃないんですか…??

内通者疑惑の時に
「エマならそう言うよね!」
と笑ったノーマンが、
「ああなりたいんだ」
とエマに憧れ続けたノーマンが、
「エマならきっと、全食用児を救う道を望むって」
とラムダの檻でエマのことを考え続けたノーマンが、

それらは全部、自他共に認める天才児であるノーマンが、エマには敵わなかったことだったわけですけど(家族が死ぬより自分が死ぬのが怖かった、内通者は置いて行くつもりだった、全食用児は救うけど鬼は絶滅させるつもりだった)、

でもそんなノーマンだからこそ、エマに憧れ考え続けたノーマンだからこそ、誰よりもエマの理解者たりえたんですよ。

ノーマンのこの理解を愛と呼ばずして何と呼ぶのでしょう。

記憶のないエマに語っても無意味だなんて、誰が嗤うことができるのでしょう。

エマの心の琴線に触れるのは、無意識の領域に働きかけることができるのは、ノーマンの無上の愛だけ。

思い出せないのに、それでも、エマの涙を引き出したのは、
「ずっとあなた達に会いたかった気がするの」
を引き出したのは、ノーマンだからこそ。

実際、ノーマンがエマのことを認め、誉める、というのは、エマにとってもとても重要なことでした。

邂逅回で再会したエマが、泣きながらノーマンに向かって駆けて行く時の、

「私、頑張ったよ。
諦めないで、頑張っこれたよ、ノーマン」

が今更に胸に迫る。

エマはみんなのリーダーとして、耐えて耐えて、尋常じゃない努力と精神力で頑張ってきたのです。
それを他の誰にも認めてほしいなんてモノローグなかったけど、ノーマンにだけはそう訴えかけたのです。

この台詞、モノローグなところがもどかしくもあり奥ゆかしくもあり切ないところだったのですが、ここへきて、最終話の記憶のないエマに対してダイレクトに伝えるノーマンの破壊力よ。

とうとう他ならぬノーマンに認容され、称賛され、感謝されたんですよ。
記憶の戻ったエマにも聞かせてあげたい。
どんなに報われるだろう。
どんなに救われるだろう。

そしてここへきての、更なるノーマン様。

「忘れてしまったっていいんだ
思い出せなくったって
今の君がかつての君と違ったっていい」

~~~~~~~~~~!!!!!!!!

すでに泣きすぎてぐしゃぐしゃなのに、これ以上泣かせにきてどうするの~!!!!!!!!?????????

ノーマン、すごい…

すごすぎる…

どんなエマでも全肯定ですよ。

またこの台詞の時のノーマンの顔が最高に優しくて最高に愛に溢れてる。

むしろこのノーマンの台詞のために、エマは記憶を失ったのでは???

ノーマンの無尽蔵な別次元レベルの愛を示すために、記憶をなくす展開にしたのでは?????

そう穿って見てもおかしくないくらいにノーマンがこちらの想像のはるか上にノーマンすぎて、もう無理、無理すぎる…最後の最後にまた特大の恋に落ちてしまった…

前回、おじいさんといい関係を築いていくエマに寂しさを覚えていた私なんかミジンコですよ、視認されないレベルですよ。
それに比べてノーマンの愛の宇宙レベルなことよ。

いや、もちろん、ノーマンならどんなエマでも愛してるというのは、偉大なる宇宙の真理としてわかってたつもりだったし、記憶のないエマでも普通に愛してるノーマンというのは何度も妄想してきたんですけど、この文脈でこの流れでこうもはっきり言い切るノーマンに、完敗しました…。

「それでも僕は君といたかった」

そんな当たり前の願いが届いたのも、

「何度でも、一緒に生きよう」



「うん!」

の明るい返事で締めくくられたのも、

全部ノーマンの深い愛ゆえなのでは…

運命を変えるのは、愛という結論なのでは…

「恋と革命」はノーマンの愛がなしたといえるのでは…

ーノーマンが笑ったから、私も笑った…

エマの両手を両手で取るノーマンに、お互いを真っ直ぐ向き合うノマエマに、結婚の概念がつまってる。
二人がつなぐ両手に片手を差し出す神父のレイと、二人を祝福する家族達。
自由の象徴で舞う鳥達は、結婚式の暗喩という意味も含まれてるのでは??????

ノマエマは実質結婚しましたね。

おめでとう、おめでとう。

号泣のあまり視界がぼやけてるせいか、最後のページに花が舞いハートがとんでいるように見えるんですが、これって幻覚ですか…?
なんかいいにおいもするし鐘の音が聴こえる気がする。
ちょっと帰ってこれない。

ところで過ぎた年月は2年だったんですね。
前回から十年後とかだったらどうしよう、と不安だったんですが、せめて2年でよかった…
というか、前回ラストはすでに2年過ぎたところだったんですね?

ノマエマももう15、6歳なんだな。

記憶のないエマちゃんがおじいさんとの二人暮らしで完全に幼い仕上りになってるの、切なくもあったんだけど、やっぱり愛おしいよ~~~~~

禁域という閉じられた場で過ごした世間知らずのエマに、ニューヨークで最先端に触れてきたノーマンが色々教えてあげちゃうのかな??
これからは一緒にいろんな経験ができるね??
キリンも見ちゃうよね??

ひ~~たまらん~~~

禁域と行っても、ギルダがバスの時間を気にしてるぐらいだから、七つの壁の入り口探しの時と違って泊まり込みとかじゃなく、日帰りで来てるっぽい??
アメリカよくわからないんですが、ニューヨークの近くにそんな雪深いところがあるのかな?

でももしそれなら、エマがもしノーマン達と暮らすことになっても、おじいさんにもすぐ会いに行けるね??
おじいさんは今更引っ越したりしないだろうしなあ。
なのでできれば近場であってほしいという願望。
はじめのうちはノーマンがエマのところに会いに来てもいいしね。
おじいさんに、お嬢さんと結婚させてくださいイベント発生する可能性出てきましたよ?ひゅーひゅー!

あ、まずはもちろん一緒に学校通ってほしいです!!
学校通い設定が公式で来てくれてうれしすぎる。
ノマエマでアメリカンスクールライフとか滾りすぎて身体中の血が鼻血となって噴出した。
苦しんできた分、当たり前の学校生活を楽しんでほしい。
できれば少女漫画的展開も楽しんでほしい。

エマは記憶を取り戻すのかどうか?

そこは読者の手に委ねられたんでしょうか?

ファンブックや小説や画集のおまけでその後が描かれたりするのかな?
小説版第3弾はフルスコア以外のキャラが描かれそうなので、ファンブック内に小説番外編が来るといいなーとか思います。
もちろん、39人目の女の子からの贈り物の続編ですよ!
ノーマンがとうとうエマに思いを伝える話ですよ、全部回収しちゃってください!!
結婚式が楽しみですね!!!!!

いや、普通に番外漫画で結婚式や新婚生活を見せてくれていいんですよ。
お母さんになったエマの隣には、妻を優しく見つめる夫のノーマンが必至です。

実際どっちパターンなんでしょうね?
記憶は戻るのか戻らないのか。

あのエマの朧気なイメージ像や消せない感情からして、やがて思い出すのではないかとも思うんですけど、関係性を一から築いていくのもそれはそれで愛しいし、とにかく肝心のノーマンがあんな感じなので、どっちのパターンでも幸せになる未来しかないですね。

今後は両パターンで妄想していこうと思います。

たーのしー!!フーッ!!

ところで、レイの背中を引いたのがコニーで、背後を見守るのがユウゴとイザベラって、あまりのエモさに心臓飛び出ましたよね。
きょうだい達を見殺しにしてきた罪悪感に苦しんできたであろうレイが、その象徴であるコニーに許されたと感じられる瞬間。
もちろんコニーに許すも許さないもなくレイを慕ってるわけなので、すべては救いの概念です。

ムジカのペンダントは、そういうちょっとしたファンタジー効果だったんですね。
気付いてくれたのがおじいさんっていうのも素晴らしい役どころ。
「お前さんの家族も捜してやれたらよかったんだが…」
を叶えてあげることができて、それもまたおじいさんの救いになるのでは。

ムジカのペンダント、いわれも効果もよくはわからなかったけど、結局は、人が人を思う気持ちは奇跡を呼ぶ的なそういうファンタジーの根源的なあれだったんだろうか。

運命なんて、変えるためにあるんだ。

変えようよ、世界。

絶望から始まったこの物語は、
「これ以上家族が死ぬのは嫌だ」と泣くエマに
「無理じゃない。大丈夫、みんなで一緒にここから逃げよう」
と笑ったノーマンから始まったこの物語は、
ハウスから、鬼の世界から、最終的には運命からさえも、逃げて抗って打ち勝つことができたんですね。

脱獄編でノーマンに救われたエマが最終章でノーマンを救い、最後の最後にノーマンに救われるの、自分の期待以上にノマエマ相手固定左右固定で完璧だった。

エマがノーマンに勝てたことがなかった鬼ごっこは、最後のかくれんぼも結局ノーマンの勝ちだった。
物理的に見つけたのはもちろんみんなの力のおかげだけど、エマの閉じこめられた心を見つけるのは、やっぱりノーマンだった。

エマが取り戻したノーマンが、エマを見つけて救い出したんです。

再会ハグの時も、神様ハグの時も、臆病ハグの時も、これ以上のノマエマはない、と思ってきたけど、最後の最後にまたこれ以上ないノマエマが来てくれました。

約ネバはノマエマのための物語だった。

ノマエマ過激派による結論。

ありがとうございます…
信じてきてよかった…
全てが報われる…

過去のトラウマも浄化される気がする…(固定派の闇)

これからがまた楽しみですね!
記憶をなくしたエマちゃんとノーマンは、どんな風に距離を縮めていくのでしょう。

あんなに全力で愛されて、何も感じないはずがない。
そもそもエマは無意識にせよノーマンのことを特別に思っていた派に属してるので。
家族バイアスのない15歳エマが、どんな風にノーマンへの思いをはぐくんでいくのか、妄想はとどまることを知りませんね。

個人的には、幼いエマが成長するのをいつまでも優しく待っている、愛が無限大のノーマン、というのが妄想の基本スタンスだったので、今後もその方向でいこうと思います。

最終話のノマエマはまさにそんな感じだった。
わりと私の妄想の中のノマエマそのまんまだった。

いやもちろん、今後のノマエマちゃんを公式でも見たいけども。
見せていただきたいけども。
番外続編や画集やファンブックや小説に超期待してるけども。
最終章までアニメ化してくれたら、結婚まで描いてくれるんじゃないかななんて!

アニメも最高だった。
監督さんには信頼しかない。
ノマエマをよりノマエマに描いてくれると信じてる。
今後も張り切ってお布施しますね。

劇場版は、16歳から始まるとなると、このラストを20歳頃迎えるということなので、まあ完全に一大ラブロマンス恋愛ストーリーですね()。
ノマエマ完全固定で他の恋愛感情捏造がなければ、個人的には全然許しますけども。
海外ドラマもそこだけはどうかお願いします。

最後まで、レイにもフィルにもオリバーにも、他の誰にも、恋愛感情描写はなかったと思います。
少なくとも私はその世界線で生きてる。
そう解釈してる。

エマに恋してるのは、ノーマンだけ。
そしてそんなノーマンだけが、エマを取り戻すことができたのです。

あ~~~~~!!!!!!
もう信じられないくらいノマエマだ~~~~~~!!!!!!!!!

ありがとう、ありがとう、ありがとうございます…!!!!!!!!!!

一生好き。
人生の全て。


119話「邂逅」以降、一年半こうして欠かさず感想らしきものを綴ってきました。
感想というか妄想で幻覚でした。
たぶんまた劇場版や何やかやでふせったー使うことはあると思いますが、とりあえず一段落ですね。

固定過激派で地雷過多の妄想過多ゆえ、何でも許せる方しか無理な内容ばかりだったかと思います。
なのに読んでくださった方は、地上に舞い降りた天使としか思えません。
反応いただくのは、すごく救いでした。
私の妄信に共感してくださる方が一人でもいらっしゃることが、泣きたくなるくらいうれしかった。

2219463194の感謝をあなた様に捧げます。

ノマエマとあなた様がずっと幸福でありますように。

今まで本当にほんとうに、ありがとうございました…!!

今後もひっそりノマエマのことを考えて生きていきます。







・2020/6/16最終話翌日追記





2020/6/16 10:44
【追加】約ネバ最終話感想の続きを書きました。エマの記憶は戻るのか、戻らないまま終わらせたのはなぜなのか、自分なりに妄想しました。きっと記憶は戻るし、理由もいつものように「ノマエマだから」という結論です。何でも許せる方向け。


ごほうびの代償としてあの方が言ったことを整理すると、

・きみはかぞくとおわかれだ
・きみはもうにどとかぞくにはあえない
・これまでのきおくもこのさきのつながりもなにもかも、きみのせかいからきみのかぞくをもらう

の3点で、このうち1点目は実際おわかれしたので履行されたわけですけど、2点目は完全に覆ったんですよね。

にどとあえないはずが、会えたのです。

皆の力を合わせて場所にあたりをつけ、先立った者達(媒介としてレイ)やムジカのペンダントの力を借り、おじいさんの気付きもあって、再会が叶った。

このお話の集大成とも言うべき凝縮された濃密な要素達。
家族達みんなも、レイも、コニーの魂やユウゴ、イザベラも、ムジカも、ムジカに象徴される新しい鬼の世界も、禁域に住む孤独なおじいさんも、実はみんな、エマが救ってきた人達そして鬼達なんですよね。
(コニーはきっかけなわけですが、エマが悼んだことで魂は救われてると思う)

エマが先頭に立って引っ張って成し遂げたことが、全部エマに返ってきてる。

家族全員を、食用児全員を、ママ達を、ラートリー家を、鬼の世界すら、すべてを生かす道を選んで、困難でも突き進んだエマの選択は、なにひとつ無駄じゃなかったのです。

エマが「これ以上家族が死ぬのは嫌だ」と泣かなければ、ノーマンは全員で逃げるためにその頭脳を使わなかったし、レイの目論見通り、ノマエマだけが鬼の世界に放り出されていたかもしれない。

それでは世界は変えられなかったんですよね。

最終話でその筋をこんなに綺麗にまとめて示すのって、すごく興奮する。

すごくカタルシス。

神のような高次元の存在であるあの方との約束、それは千年もの間、食用児やラートリー家を縛ってきた、絶対的な世界そのもの。

そんな存在の示した代償すら、エマはなかば覆したということ。

3点目の「これまでのきおくもこのさきのつながりもなにもかも、きみのせかいからきみのかぞくをもらう」にしても、「このさきのつながり」については覆し、「これまでのきおく」のみが返らない状態で本編は終了しました。

「このさきのつながり」は、真打ちの我らがノーマンが取り戻したと言っても過言ではないのではないでしょうか。

ノーマンが真摯に語りかけなければ、ノーマンのあの無限大の愛が示されなければ、エマの心は閉ざされたままだったかもしれない。
こうして会えたとしても、「きみのせかいからきみのかぞくをうばう」状態は覆らなかったおそれがあります。

ノーマンのエマへの思いが引き金となって、エマは心の奥底にある感情を取り戻した。
涙を流して、「会いたかった」という感情を取り戻した。
だからこそ、ノーマンの「一緒に生きよう」に「うん!」と答えることができたわけです。

再会したはじめは敬語でしたよね?
それがノーマンの言葉で、最後は「うん!」ですよ。

もう圧倒的ノマエマに今日もまた泣きながら悶えながら萌えころがってる。

記憶と未来なら、未来を失ったままの方が圧倒的に絶望だと思うんですよね。

個人的には、転生物も好きですし(ただし何度生まれ変わってもお互いとだけ結婚するという固定神話としての転生物)、ノーマンの結論「今の君がかつての君と違ったっていい」はパーフェクトマーベラスフルスコアでした。

しかも「何度でも」ですよ。

あの方の力は未知数です。
今回無事に再会できたけど、いつ何時、どんな超常的力が働いて、また引き裂かれるかもわからない。

でも、あの方だけじゃないんですよね。
おじいさんが家族を奪われたように、いつ何時、理不尽な何が起こるかもわからない。
リアルな昨今の情勢を鑑みてもわかるように、あの方も、自然も、人間も、すべては脅威なのです。

でも、ノーマンは言いました。

「何度でも」

何度でもエマを取り戻して、何度でも一緒に生きていくという約束。

あの方をはじめ、あらゆる理不尽な絶望的な運命に抗う力こそが、ノマエマを結びつけるのです。

「一緒に生きよう」
「うん!」

は、永遠の約束。

約束のネバーランドですよ。

ノマエマが約束のネバーランドですよ。

スマホ打ちながら泣いてますよ(イタいですよ)。

まあなので、最悪記憶を取り戻せないパターンが仮にあったとしても、個人的にはそれも含めて超絶ハッピーエンドだったのです。
そもそも、愛がブラックホールより重すぎるあんなノーマン()をエマが受け入れた時点で、ノマエマの関係性は完全に取り戻すかつ完璧に恋に落ちるかつ完全無欠に結婚する未来しか見えませんでしたし。

でもノーマンの方はエマの全部を受け入れていても、エマの方では思い出したくても思い出せないことがつらいのであれば、やっぱりエマの幸せ第一主義のノーマンとしては、大事な彼女をフォローしていかないといけませんよね。

ノーマンの愛の力で、この先の未来までは取り戻した。
そんなわけで、この調子でいけば、いずれ、遠からず記憶も取り戻す可能性は高いと思います。
上記述べた通り、「記憶」以外の重要な代償のほとんどを覆したわけですから。

エマが記憶を取り戻すのは、ノーマンの献身的な愛がきっかけに決まってますよ。
今日はずっとそんな妄想ばかりしてました。

ハグでも、糸電話でも、珊瑚色のドレスでも、レイが改めて撮ってくれるノーマンとのツーショットの時のカメラのフラッシュでも、何でもいいです。

ノマエマ的何かで記憶を取り戻しますね、間違いない。

脱線しますが、ノーマンはハグしませんでしたね。
ノーマンの至高の愛にトランス状態だったため、個人的には物足りなくはなかったですし、あの状態のエマにハグしないのはさすがノーマンだなと解釈一致。
案の定、ギルダ達は怯えられてしまいます。

エマのことをよく見てる。
笑っていたこと、元気そうなこと、おじいさんといい関係を築いていること、そして自分達を見た時のエマの反応にも気付いたんでしょう。

エマの嫌がるようなことはしません。

なので私の妄想の中のノーマンは基本エマの気持ちを待ってるノーマンなのです。
初キスもきっと、エマの望むベストのタイミングでしてくれると信じてる。

そして嫌がることはしないけど、嫌がらないことは見極めて多少攻めてくのもノーマンだと思ってます。

ほんと、いつのまに両手握ってたんですか。

この自然な距離の縮め方、ノーマンじゃなければ許されませんよ!?(好き)
激重い愛を語ってかき口説きながら手を握るなんて、ノーマンみたいに一途とわかってる男子じゃなければ、間違いなく熟練の詐欺師なので気をつけてください!!

その調子でハグも時間の問題ですね。
20巻の表紙はそんなノマエマのハピエンハグが来るんじゃないですかね。
4ヶ月もあれば軽いもんですよ。

それか、続編漫画ででも、改めて丁寧に再ハグに至るもだもだの軌跡でも描かれるんじゃないですか。
別マで10巻はいけると思います。
ハグにいたるまでの二人の心情描写に10巻、キスにいたるまでのドラマチックラブに更に20巻はかけられますね。
楽しみだなあ!

それはともかく。

では、なぜこの物語は、記憶をなくしたままのエンドで締めくくったのか。
記憶を取り戻すところまで描いたっていいのに。
何ならはっきりリアルにノマエマ結婚式まで描いたっていいのに。
そこは作者様と編集部のみが知ることだと思うので、以下は勝手な憶測です。

・ノーマンの無限大の愛を示すため。

・どんなエマでも愛するノーマンを描くため。

・ノマエマの愛は、記憶の有無をはじめ、どんな運命もものともしない、というのが約ネバの結論であるため。

・「俺達の旅はこれからだ」の俺達の旅にあたるのが、約ネバでは「抗え、この運命に」なので、覆すべき運命(当然俺達の旅や戦いと同じで最終的に勝つことは決まっている)が一つは残っていないといけないため。→(私の勝手なイメージによる)少年誌の定番

・ファンブックにはその後の続編漫画を掲載(「はたしてエマの記憶は…?」のアオリ)、画集には新規描きおろしでその後のみんなの姿を掲載(「ノマエマの結婚式絵もあるらしい」とネット上を飛び交う噂)、「アニメ最終章は原作とは違う終わり方にする予定です。新しい約ネバにご期待ください!」(「ノーマンの思いが報われるような結末にしたい」という監督インタに再度萌えあがる界隈)などなど、約ネバというコンテンツを極限まで引っ張るため。→大人の事情(当然お布施します♡)

今のところ思い付くのはこのくらいですかね。

もう随分、一年ぐらい?、ひとさまの感想や作品やツイートを拝見しておらず、自分のなかのノマエマだけを信じて妄想を壁打ちしてきました。
地雷憎んで人を憎まずの精神でありたかったのです…そんな過激派の自分に共感のご感想くださる方には、感謝してもしつくせません。

ノーマンに全肯定されたエマの震える気持ちがわかる。(台無し発言)

この世界は神ばかり。

そんな神々に、どうも記憶をなくしたままのエンドにもやっとしてる方もいらっしゃるようだ…?
と、昨日あげた感想をリツイートくださった方々の反応を拝見してはじめて気付き、自分なりにちょっと整理して考えてみました。

結果ノマエマの結婚という当たり前の結論に至ったので、やっぱり私は大丈夫です??
最後までいつもの幻覚ですね!!

あ、でも私ももちろん、普通にわかりやすくノマエマ結婚の図がほしいです。
昨日はノーマンのあまりの途方もない愛に魂奪われてしまったのでそこまで気にならなかったんですが、やっぱり見たいものは見たいですね。

あと少年誌くわしくないので、ラストに結婚の図は禁じ手なのかなとかいうのも考えてました。
でもそういう終わりの作品もあるんですかね。あるなら尚更ノマエマでこそ見たいですね。

昨日の感想ふせったーにお別れの挨拶みたいなこと書いといて、舌の根も乾かぬうちにまたふせったー出してしまいすみません。

神々がお健やかに過ごされますように。

ノマエマが幸せになりますように。

それを願うばかりなのでありました。






・2024/8/30追記書き下ろし



本誌掲載後、2020年12月に出たファンブックに、原作者と担当編集氏によるエマの記憶に関しての答え合わせが載ってます。

白井 運命は、頑張ったら覆せるかもしれないし、覆せなくても、自分の未来をよりよく導くことができるかもしれない。
杉田 エマの記憶が消えてしまったという運命にも、抗っていける。今からでも友達になれば、エマから自分達を奪わせることにはならないですから。
白井 新しく家族になることはできるし、記憶もひょっとしたら戻るかもしれない。戻らなくても、何とかなるかもしれない。
杉田 (鬼の頂点のあの方)の運命も、ねじ曲げたんですね。

そんなわけで当時の私の感想は、作り手の意図するものとだいたい合ってた!と思います!

記憶があってもなくてもエマはエマだし、どんなエマでも無限に愛するノーマンもノーマンオブノーマンでしたね。

その後、約ネバ展で公開された番外編で、記憶がないことを「さびしい」と感じているエマが描かれたので、記憶が戻らなくても「最高の未来」ではあるけど、記憶を戻したいと強く願えば記憶は戻るだろう、というルートについても改めて示してくださったように思えました。

それこそ読者の解釈や好みに委ねられているのかな、と。
フィクションでキャラクターのなしたことへの報いなどの落とし所については、読み手の倫理観によって温度差があることは否めないと思います。

ご都合主義でも納得出来るのか?
理由があればどんなことをしたとしても幸福になれるのか?
その理由も万人に受け入れられるようなものなのか?

エマの途方もない願いが叶ったことへの落とし所として、記憶というのが妥当かどうか、それは各人にとって様々だと思います。
それくらい引き換えにしないと納得できない、という人もいるだろうし、何も奪われない完全無欠のハッピーエンドじゃなきゃ落ち着かない、という人もいるでしょう。
最終話は、どちらのタイプの人にとっても、どちらの道もあり得るという、ある意味優しい結末だったといえるのではないでしょうか。

すなわち、今後のエマ達の物語について、好きに解釈し、想像してよいという作者様からの最大級の愛のメッセージだと私は受け取りましたね。勝手に。
なので、記憶をなくしたままのエマをありのまま丸ごと受け入れたノーマンの愛で締められた最終話は最高の結末だと思ってますし、そのうえでいずれエマの記憶は戻ると個人的には確信しています。
「最高の未来」について、何パターンも妄想できるなんて幸せですね。

それはそれとして、公式でのノマエマ結婚についても全く諦めていませんが!

この最終話感想の再掲も、ノマエマのお互いへの愛の深さと唯一無二の関係について、補足したくて引っ張りだしてきたのです。
すべてはノマエマ結婚プロジェクト草の根運動の一環です。

とはいえ、先のnoteで述べたように、ノマエマ結婚の最大の障害は作画の先生ではないかと踏んではいるのですが、エマの記憶が戻るかどうかという点でも、公式本編で解釈を規定してしまうことを避けている可能性はあるかもしれないですね。

ノマエマ結婚の前には、こうしてあらゆる困難な運命が立ちはだかっています。
既に実質結婚しているというのに。

しかし、運命なんてクソ食らえ、ですよ。

お約ネバや公式小説のように、限りなく公式に近い媒体からノマエマ結婚が実現することにより、いずれ公式本編の世界線でも、結婚という未来につなかっていく。

そう信じ、今日もノマエマ結婚のために声をあげていきます。


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