今日は猫について書きます。
猫って不思議ですね。人と同じで1匹1匹反応がちがいます。ある猫は人が前を通るときにそれこそ三つ指をつくが如くピタッと前足を揃えてじっと座っています。かと思えば、どこの猫か知らないですが毎日顔を見るたびにみゃーおと同じ表情で鳴く猫がいます。
しかも、先ほどの三つ指をつく猫はときには見向きもせず、それもコチラにお尻を向けたままじっと目を閉じて横になっています。主義主張もないわけです。
猫にも時間は等しくあるようです。私は職場に着くと朝8時頃なのですが、職場の部屋の窓を開けます。そこは広い空き地になっていて2階にある私の職場からは端から端まで見渡すことができます。いつもそこに猫の姿はありません。
お昼12時換気を強めるため再び窓を広く開けます。その時に空き地を見るのですが猫はいません。すずめと巣作りに励むツバメがいるだけです。ただ、曇りのときには見かけることがたまにあります。
夕方、退社時刻となったとき窓を施錠して帰る時に再び空き地を見ます。この時です。職場の建物寄りに板材が2、3枚おいてあるのですが、その上で猫が寝っ転がっているのです。正しくは板材の上でない時もあります。雑草がふかふかとしている気候の良い時期にはその草の上で。
夏の暑い時期には空き地の隣のビルがつくるわずかな影のコンクリートの上に横たわっています。それも全部なら3匹います。住むような場所はないので日中過ごす場所として一日のスケジュールに入っているようです。
ここの猫うち1匹がさきほどいったように、コチラの顔を見ると同じ表情同じ調子で「みゃーお」と鳴くのです。
最初は警戒して泣いているのかと思いましたが、10m以上はなれていますしこちらは2回から見ていますのですぐに駆け寄ることもできません。第一この状態はおおかた2年になります。私の顔はともかく、この時間帯、この動作は覚えるだろうと思います。
飼い猫でもないかぎり、猫は人を見たら逃げますよね。とりあえず、そして角を曲がったところでこちらをじっと見ています。マニュアルにでも載っているかのようにみんな同じ反応です。これを習性っていうのかもしれませんが。
とするならば、人にも習性ってある気がします。特に日本に生息する人は人どうしが出会うとニコニコしたり、申し訳なさそうな顔をしながら、やたらと頭を上下に降ります。
これを猫はどう見ているのでしょうか。うーん、そもそも見てないですね。関心が無いような気がします。猫が関心あるのは空き地にいるすずめです。広い空き地で全然隠れるところがないにも関わらず、頭を低くしてそーっといっぽ、いっぽ、と近づいていきます。そして、案の定、何メートルも先から気づかれて逃げられてしまいます。でも、何回でも繰り返します。ひたむきに。
解剖学者の養老孟子先生は、人は人の世界に執着しすぎるといいます。世の中は人が全てではないと。他の動物、虫、木々などの自然があると。人は人の世界に固執するので「〇〇さんがこう言った」とか、「上司の〇〇は私を〇〇というように見ている」とかです。
「そんなことも当然あるでしょうけど外へ目を向けてごらんなさい」その一例が猫だそうです。猫は毎日のびのび自由に自然体でしっかりと生きています。そういう姿を見ると人が人のことであれこれ喜怒哀楽していることっていうのはちっぽけなことだなぁと感じるそうです。
恥ずかしながら私は養老先生のことは最近知ったのですが、以前から自然の中にでかけるのが好きです。これは知らず知らずのうちに自分をリセットする行動に出ていたのかも知れません。自然は偉大ですね。
ここまで読んで下さりありがどうございました。
遅まきながら、最近、養老先生にはまっております。
明日も書くことを続けます。