くまちゃん?

くまちゃん?

最近の記事

過去を生きる

未だに過去に縛られている人はいますか? 何も変わらない日常を寂しく感じる事はありますか? 時間が止まることは決してありません。 あっという間に1日が過ぎ、そして1年が過ぎ‥ 気が付いたら ある時から気持ちが前に進んでいない。 苦しい中にずっと沈んだままの自分が嫌でも、投げ出したくなっても、逃げたくなっても。 過去に戻る術も無くて ただ時間だけが過ぎていく。 苦しみに向き合う事が難しい人もいます。 過去に生きる事の何が悪いの? 開き直って 自分が選択している

    • 意思表示

      自分の気持ちがわからない。 日常生活でこういった相談を聞く機会がたまにあります。 今まで他人主体で自分主体の生活や考え方をしてこなかった。 そういう経験が積み重なり、気が付いた時には自分は何を思っていたのか又はどうしたいのかさえもわからなくなっていたと迷走されているのです。 ですが、自分の気持ちに正直にそして周りに 「私はこういう人間です。」 と言える人は一体どれだけ存在するのでしょう? 私はほんの一握りだと思っています。 誰もが自分の本当の気持ちがわからない。 そう

      • 人生の宿題

        そう言えば私、noteさんには誰にも話した事が無いことを書いているなぁ‥ なんてふと気付きました。 子供の頃から聞き役、大人になっても聞き役の多いお仕事に携わっている私。 自分の気持ちや思っていた等の私的な事はほとんど話す事がなかったのですが、 このnoteさん。 以前にも投稿したのですが、 とっても有難い存在です。 会ったことも無い方に読んで貰える、 共感して(スキ)貰える、 誰かに聞いて貰っている感覚に陥ります。 私にとってのオアシスみたいな。 最近はこの場を

        • 百害あって一利なし

          私は過去病気で長年寝込んだ経験があります。 その間に思っていた事といえば 「周りにご迷惑をかけてばかりで申し訳ない」という気持ちでいっぱいでした。 もちろん、他人には面と向かって迷惑だとは言われません。 そんな事を言う人は居ないのですが、でも時に人は口に出す言葉と心の中で思う事は必ずしも一致するとは限らないと思っていたからです。 「申し訳ない」 というこの気持ち。 これは要りません。 その何年か後に気が付いたのです。 その「申し訳ないと」いう思いが病気の回復を遅

          瞬き

          瞬きの回数を数えた事がありますか? 記憶には無いけれど、もしかしたら幼少期にあるかもしれません。 瞬きをする時間が勿体無いくらいに熱中するものがあった(ある) そう言える人は幸せですよね。 つい最近、ある子供が一生懸命動画に見入っていました。紙粘土で人気のあるポケモンを作っている様子が流れるもの。 瞬きするのも勿体無い、 その子言わく「目が離せない」と本当にただただじっとその画面に集中していたのです。 集中力の凄さにも感服しますが、目を離せないと思わせる"何か"が

          心の窓

          空気を入れ替えるの時、窓は広めに開けますか? 隙間だけにしますか? 私は窓は少しだけ開けて風通しを良くします。 気持ちも同じなのですよね。 ほんの少しだけ本音を言うところ。 初対面の人に対して全てをさらけだすことにまったく抵抗感のない、そういう行為を普通に出来る人に出会うと、 「この人って凄い」 と未だに羨ましく思ってしまいます。 過去の私は 用心深く、なるべく窓は締め切り 何かあった途端に鍵を閉める。 そんな事を繰り返してきたと思います。 自分の弱さや情けな

          「スキ」というとってもシンプルですんごくステキな言葉

          「好き」 だなんて一生のうちに何回言葉にするのでしょうね? すごくシンプルな言葉ですが、でも簡単に言葉にするにはあまりに難しい日本文化。 恥ずかしいなどと年代によっては日常では使い慣れていないかもしれません。 私は女性ではありますが、会話の中に "可愛い!" や "いいよね〜" はあっても、「好き」はさほど出て来ません。 何故なのでしょう。 時と場面によりますが、この世の中に「好き」と言われて気分を害する人はどれだけいるのでしょうか。 初めてnoteデビューした時

          「スキ」というとってもシンプルですんごくステキな言葉

          円滑なコミュニケーションとは

          コミュニケーションが苦手 そういう人にとって人の輪を見ただけで 不安や恐怖を感じる 私も経験があります。 ヒソヒソと話す姿を見ると今では何も感じませんが、 当時の私はただとにかく「怖い」という感情に支配されていました。 何も出来ない自分に対しての嫌悪感 そして出来る人に対しての後ろめたさ を感じていたから。 能力云々より出来ない現実がある。 でも出来る、もしくは出来なくても努力する人もいる。 そういうものに ひどく負い目を感じて日常過ごしていました。 ですが

          円滑なコミュニケーションとは

          財産

          この世に自ら言わずとも気持ちを察してもらえる人間は周りにどれだけいるのでしょうか。 ある人が 「お金を持ち、物をあげている時は人が群がっていたが、お金が無くなった途端にさっと音をたてて居なくなった。今では当時の人間は誰も居ない。」 そんな話をしてくれました。 「お金が全てだよ、それに群がるのが人間だ。」 けして綺麗ごとではない、それが人間関係だとご自身の身をもって体験したこととして語られたのです。 「お金も財産も。何も持たない人間に価値はない」 はたして本当にそう

          心の渇き

          心の渇きを潤す方法は? あるとしたら教えて欲しい 特効薬があるとしたなら処方して貰いたい 心の傷は大きく深く どこまでいっても底無し沼のように渇きが癒えない 「日薬」 という言葉の意味は本当にあたっていると思います。 いつの日か心の渇きが癒える時がくるはず そう願いつつ 今日という1日を大切に生きたい

          風景

          見る人によっていくらでも変わる 「風景」 同じ人間でも日が変わるだけで、もしくは気持ちのもちようでは全く違うようにも見える。 心を和ませる風景 励まされる風景 フィードバックに陥る風景 良い意味でも悪い意味でも 風景はその人の心になんらかの意味を持たせる事ができる。 断片でもいい 誰かの心に残る そんな風景の一部になりたい

          甘い

          あまい。 と聞いて1番初めに何を思い浮かべるのでしょうか。 甘いという言葉は 「詰めが甘い」 という、心がぎゅっと引き締まりそうな慣用句もあります。 私が思い浮かべる言葉は 「酸いも甘いも噛み分ける」 意味 : 人生経験を積むことで、世の中の表と裏を知り尽くしていること。そこから人情に通じどのような状況でも上手に対応ができること。 まだ噛み分ける技術を会得してはいないのですが、いつしかそうなれたらいいな。 あと甘いは匂いの表現にも使われますよね。 「うっとり

          子供は嘘をつかない

          「天真爛漫」 まさしくその言葉がぴったりの子供達 楽しい時間の時はいくらでも遊んでいられる 汗だくでも、喉の渇きもわすれて 一転、自分が辛いと感じる勉強(宿題)の時間に対しては 嫌だ!という意思表示をはっきりと言葉や態度で表す その事については遠慮は一切なし。 見たまま、思ったまま、心のままを表現するのに長けています。 「素直でいいなぁ」 羨ましいと思える時があります。 大人になったらわがままというわがままは言えない 大人げないと言われるし なにより自分自身の

          子供は嘘をつかない

          私が私であるために

          この世の中に自分をちゃんと理解している人はいったいどれほどいるのだろう 自分自身を「私はこういう人間です」 なんて自信をもって言える事は 大切な場面で役立つ時もあります。 子供の頃と全く同じ人格でそのまま成長し、大人になったという人もいるでしょう。 成長の段階でなんらかの人生の岐路を度々経験し、幾度も転機を迎えた 「あの時あの選択は正しかったのだろうか」 「もし違う選択をしていたら今の状況とは全く別の人生を歩んでいたかもしれない」 後悔もあるかもしれない。 私

          私が私であるために

          読心術

          人の心を読めたらいいのに。 子供の頃そう思った事があります。 そんな事が出来たら神だ なんて当たり前(?)なのですが、人生で本当に久しぶりの 今何を考えているのだろう? あの時のあの表情は何を思っていたのだろう? を体験しました。 読心術は色々あると思います。 でもそれで100%正しいとは言いきれません。 なんだかんだでやっぱり、こうに違いないという予想でしかないと思っています。 また本人に聞いたところで本音を話すとは限らない。 胸の内にある、今浮かんだその感情

          気持ちの整理整頓

          気持ちを整理する方法の1つに 紙に書き出してみる という手法があります。 そう言われて、 「はい、わかりました」 とばかりにすぐに気持ちを書き出せるという行為は今までの私の人生ではありませんでした。 試験勉強を紙に書いて覚えるという暗記方法で育ってきた私には、なんとなくですが文字に書いたらかえって忘れらないのでは?という頭のどこかにそんな誤った認識があったのです。 負の感情を文字にして書くという行為そのものにもなんだか気が引けたから。 でもこうして直接紙に文字を書かな

          気持ちの整理整頓