見出し画像

 悲しみが、癒えきらない。どれだけ心を癒やそうと、暗い記憶の底から惨めな感情が流れてきて仕方がない。私はこわい、日々生きていくことも、この先つづいていくことも。それは傲慢で、贅沢で、平和呆けした生温い自傷でしかなくて、それでも息がきれてしまう。もう傷つきたくない、揺れ動く感情に翻弄されて消耗したくない。だから、もっと深い場所まで心を沈める。誰にも触れられないところに、痛みを知らない場所まで。

 誰かを失ったわけでもなく、貧しいわけでもなく、不運なわけでもない。私は自分を不幸だと思ったことは一度もない。ただ、じりじりと神経を磨り減らして、顔色を伺い、"ふつう"の振る舞いをして生きていくことが辛かった。私が私であっていいと思えない。いつも傷ついていた、途方もなく苦しかった。色彩をかんじるときと歌うときだけが痛みがやわらいで、癒えていくのを実感できた。あとは何もかもが退屈で、苦痛だった。学校は粗暴な子どもたちを閉じ込める監獄にしか思えなかった。他に安らぎはなかった。

 いじめ、虐待、差別や偏見、罵声、ヒエラルキー、優劣、順位づけ、様々な強制。何もかも弱者の私には暴力だった。弱いままで生きられないなら殺してほしかった。私には私を守れるだけの気力がなかった。価値なんてなかったから、痛みを受け入れて、耐える技術だけが伸びていく。感情の行き場は、悲しみを昇華する言葉となって散った。

 傷ついて、ぼろぼろになった子どもの私は、簡単には救われてくれなくて、私はそれが何より悲しい。だから、私は先生になろうと思った。傷ついたやわらかい心に気付けるように、幼い頃の私が欲したやさしさを与えられるように、それは祈りだった。そして光だった。他に何もないけれど、傷ついた分だけやさしくしたい、誰でもない大切な私のために、私だった人のために。

いいなと思ったら応援しよう!