『なぜカルトに惹かれるのか』瓜生崇 書評
大谷派僧侶瓜生崇さんの著書『なぜカルトに惹かれるのか』を読み氏の広島の真宗学寮(本願寺派)での講演を聞いて感じたことを述べたい。基本的には書評。
まずはなにがカルトかを見た目の異様さや教義のおかしさで判断してはいけないこと。重大な人権侵害があってはじめてカルトと言えること。カルト問題は基本的に人権問題であるということ。
またカルトからの脱会支援については「安易な世俗の社会の側での価値観で、カルト信者を見ないこと。かれらは世俗の価値観では解決しない真実への希求があってカルトに入ったのだから。相手の価値観を認めこちらの価値観を疑いゆらぎながら脱会を支援する」というようなメッセージを受け取った。一般家庭から僧侶になって、奇異の目で見続けられてきた私にとっては深くうなずくところであった。杓子定規の解説書ではなく、ご自身の体験を通して自ら思索されているところには好感をもった。
しかし、宗教体験についての理解は浅いと言わざるを得ない。宗教体験を「まばゆい光や何か温かいものに包まれる恍惚感」「意識が肉体を離れていくような視点の獲得」などと神秘体験に矮小化している。
そして『それは宗教体験が仮に真実であったとしても、それが正しく宗教的な救済の結果であるかどうかという点については、自分が判断して「そう思っているにすぎない」という信仰を超えることができない。つまり神秘体験はそれだけでは信仰の真実性の証にはならない。』(上掲書144頁)と述べておられる。
体験だけでは救済の証拠が得られないのでますます教義や師に依存すると述べて、その証左として禅やヨーガなどの瞑想的な宗教が師との関係を重視することをあげている。
しかしながら仏教という宗教を考えれば「さとり」「信心」という宗教体験をめざすのは当然であり、そこへ導く指導者がいなければならないのは自明のことである。弟子を魔境にとどまらせず正しい智慧の獲得に導くのが良師である。師との関係を重視しない仏教などあるわけがない。真宗も面授口決や善知識を重視している。<浄土系の人間なら法然が師資相承を受けていないと批判されたことは忘れてはならない>
宗教体験や神秘体験が教義や師との依存を深め、自分が絶対的な教祖になる危険があるからといって、宗教体験の安易な相対化や、迷い続けることなどで解決するものではない。良師につき指導を受け、信頼できる経典に自分の体験が合致するか、またサンガの中で自分の体験はどうかということを問い続けることでしか解決はしない。最終的には自分が生死を超えたかという問いに帰着するだろう。
瓜生氏がグルになる危険性があるとする小池龍之介氏も「近いうちに解脱するかもしれない」と言っているだけで、「解脱した」と嘘をついたわけではない。そして解脱できなかったとネットなどで謝罪するなど誠実な人に見える。仏教では悟っていないのに悟ったということは罪になる。逆にいえば悟った人は悟ったといってもいいのである。それは驕慢ではない。
カルト化や教祖の絶対化を警戒するあまり、高森顕轍的なものを敵視しすぎているように感じた。回心というのは宗教にとってきわめて重要なものであり、それが精神の内奥でおこるのであるから、神秘体験や恍惚感や幻視などが伴うこともある。しかし、仏教でいえばその本質が無常、無我を観察し、自我を解体していく方向にあることが大事なのである。私は真宗の念仏者であるが、一般家庭出身で本当に死の問題の解決となるものを求め(カルト信者の方とおなじように)、またさまざまな方向から徹底的に疑うような疑い深い性格だったせいか、疑いが晴れる過程でさまざまな神秘体験を経験した。私のような愚かな者が浄土や仏などについて語っていることが不思議に思え、暗闇のような中に沈んでまさに死ぬという体験もしたし、心の底から光があふれてくる体験もした。しかし、そのような神秘体験は瓜生氏のいうように消えていった。しかし、私が流転輪廻を繰り返し助かる縁てがかりのにないものだということと、それを救う南無阿弥陀仏だという仏語の真実性を信じる心は消えない。自分の心がちょっとしたもので狂ってしまうものだということも知らされた。臨終にはすべてがふっとんで死んでしまうだろう。でも、お念仏の法は決して消えることはない。一切の体験の相対化を行うのが私の場合は信心である。
すべてが光に満ちあふれているビジョン、すべてが腐敗し腐りきって苦しみの声をあげているビジョンその両方を合わせたのが悟りではないかと想像したりする。私は仏願の生起本末(弥陀の本願)を通してわずかに感得するのみである。日常の意識と神秘体験との境界もまた揺らぐものである。どちらが真実なのか。
真宗の教義と回心に関するさまざまな問題は修士論文に書かせていただいた。印仏や真宗学会などで発表した内容も含んでいる。宗教体験に関する問題を考える一助となればと思い、後日、全文を公開したい。