おばあちゃんと認知症

僕のおばあちゃんは、認知症だ。
数年前から施設で暮らしている。

施設に入りたての頃はちょうどコロナ禍の初期で、面会ができず、
なかなか会うことができなかった。

しばらくして、面会の代わりに電話をさせてもらえた。
電話してみると、おばあちゃんは泣いていた。
いきなり泣いている声が聞こえたので
「どうしたの!?何かあった!?」と聞くと
「寂しかった…」と。
おばあちゃんは、家族や友達に会えなくてとても寂しかったのだそう。
「ずっとひとりで、誰もおらんから…」と言っていた。
施設には入居者も職員もたくさんいるので、
誰もおらんはずがないのだが、
おばあちゃんが会いたいのは、僕たち家族や昔からの友達。
他の入居者など、誰もおらんに等しい。
認知症で忘れてしまうことも多いなか、
僕たちのことを忘れずにいてくれるのはとても嬉しいことだ。

そして、おばあちゃんは泣きながら僕に言った。
「顔…忘れた…。」

僕の顔を忘れてしまったらしい。
少しショックだったが、
電話できるだけで泣いてしまうほどには僕のことを覚えてくれているわけだし、
また思い出してもらえばいい。
最近撮った自分の写真を印刷して持って行くことにした。


おばあちゃんとは、電話で5分くらい話をした。
おばあちゃんは相槌を打ったり簡単な受け答えしかできず、あまり喋らなかった。
でも、日本語が支離滅裂とかそういうことはなかったし、
一応会話は成立した。
昔の思い出話も少しだけ覚えてくれていた。
僕が「最近、高校の修学旅行で長崎のハウステンボス行ったんだよ。昔、いっしょにハウステンボス行ったよね」と言うと
「あ~~。あっこは、、きれいかったね~~」
(あそこは綺麗だったね の意)と言ってくれた。
声は弱弱しいし、喋る速さも少し遅いけれど、
おばあちゃんのいつもの喋り方だ。
久しぶりに聞けて嬉しかった。

他にもいろんな思い出話をしてみたけれど、
残念ながら覚えていないみたいだった。
でも、僕の存在を覚えてくれていただけでじゅうぶんだ。


さらに数ヵ月経って、
おばあちゃんが施設から病院に移動することになった。
移動するときは家族が一度引き取らなければならなかったので、
そのとき久しぶりに会うことができた。

久しぶりに会うおばあちゃんは、痩せ細っていて、元気がない。
壁や手すりを使いつつ、ゆっくりゆっくり歩いている。
そして、何も話せなくなっていた。
会話が成り立たない。

何を聞いても「うん」しか言わない。
「今日お昼何食べた?」と聞くと「食べてない」と答えたが、
それ以外は基本的に「うん」しか言わなかった。(施設の職員によると、お昼ご飯は食べたらしい)

時々喋るが、日本語になっていない。
何と言っているか全く聞き取れない。
やっと会えて、久しぶりに顔を見て喋れると思ったのに。

「僕のこと、わかる?しゅんき。しゅんきだよ」と言ってみると
「うん」と言ったが、
本当に覚えているのかはわからない。
でも、喋っていると、
一瞬だけおばあちゃんが僕の顔をじっと見て、涙目になった。
「あっ!コイツ、孫だ!」みたいな顔をした。
かすかに覚えているのか?
頭のどこかでは覚えている?
言葉に表すことができないけれど、認識はできている?


それから2か月くらい経った頃、
入院中のおばあちゃんに再び会うことになった。

病院には時々、床屋さんがやってくる。
おばあちゃんが散髪してもらっている間、前に座って話をすることができる。
じっと座っていることができず、暴れ出してしまう可能性があるから
前に誰かが座って喋って、おばあちゃんの注意を引いておかなければならない。注意を引く役割を、家族がするのだ。

面会に行くのは楽しみだったが、
同時に少し怖かった。
姿が変わり果てていたらどうしよう。
いっしょに喋ってるときに突然暴れ出したら怖いな。

当日。
お母さんといっしょに病院に向かった。
待合室でドキドキしながら待っていると、
看護師といっしょにおばあちゃんがやって来た。
車椅子に座っていた。
2か月前は施設から病院まで歩いて移動できていたのに、
もう、歩けないらしい。
そして、さらに痩せている気がする。
足がめちゃくちゃ細い。

相変わらず会話はできない。
名前を呼ばれると「はい」と返事するが、
それ以外は、日本語になっていない、謎の言葉を発する。
僕は「そうだよね~」「そっか~」と
なんとなくで相槌を打った。

あと、
「今日お昼何食べた?」と聞くと
「食べてない」と答えてくれた。(施設の職員によると、お昼ご飯は食べたらしい)

おばあちゃんは、痩せているが食欲は旺盛らしい。
どれくらい食欲旺盛かというと、
自分の服も噛んでしまったり、
おしぼりをちぎって水の入ったコップに入れて新しい飲み物を考案してしまうほどだ。

でも、髪を切っている間、大人しかった。
暴れ出すことは無かった。
だいたい、自力で立つこともできないのに、
暴れることなんてあるのか?


あとでお母さんに聞くと、事情を説明してくれた。

おばあちゃんは施設から病院に移動してすぐコロナに罹ってしまい、
隔離されて寝たきりだったらしい。
そして、1週間後、隔離が終わった時、もう立てなくなっていたのだそう。

お母さんは怒っていた。
帰りの車の中で僕に思いをぶちまける。
「おかしくない?一週間で立てなくなるなんてこと、ある??入院するときまで歩いてたじゃんねぇ!」

「立てなくなってたなら、立てるようにリハビリとかさ、歩く練習させるのが病院の仕事じゃないの??あの人たち、歩かせて転んで怪我とかした時に責任取るのが嫌だから車椅子に座らせてるんだよ!!」

「髪切るとき別に大人しかったじゃん!私と喋ってるとき、全然暴れたりなんかしなかったよね。いつも暴れるのは、看護師が雑に扱ってるからだよね。」

「病院来るときまでは歩けてたのにさ、こんな痩せ細ってさ、歩けなくなってさ、看護師は何とも思わないのかな」

お母さんの気持ちはとてもよくわかる。
でも、おばあちゃんもかなり弱っているので1週間で立てなくなる可能性もあるような気もするし、
看護師も大変な仕事だし。

何と返せばいいかわからなかった。

「そうだね」としか言えなかった。



そしてつい先日、またおばあちゃんに会えた。
床屋の時だ。

おばあちゃんは、ついに座ることも出来ず寝たきりになってしまった。
看護師にベッドごと運ばれてきた。
おばあちゃんは、苦しそうにしている。
ベッドにある目に見えない何かが邪魔なのか、
何かをどけようと必死に手を動かしていた。
そして、おばあちゃん、目が開いていない。
「目開かないの?」と聞くと
「うん。こっち側が、、、」とだけ言った。

右目も左目も開いていないし、どっち側の話かわからなかったが、
とにかく苦しそう。
両目、全く開かない。

前は、喋れなくても
僕の顔を見て一瞬思い出したりできていたのに。
もう、それもできない。

ずっと、ベッドで苦しそうに手を動かして
何かと戦っている。


「今日お昼何食べた?」と聞くと、
「ん~~…」とだけ言って、
苦しそうにベッドの何かと格闘し続けた。

おばあちゃんとできる唯一の会話が、できなくなった。


すぐに髪を切る順番が回ってきた。
看護師がおばあちゃんの名前を呼んだ。
すると、おばあちゃんは突然怒り出した。
「もう、置いときゃいいが!!!」

僕は「そうだね。置いといてもらおうか。」と言った。

何を置いておくのかわからないが、
僕はとにかくおばあちゃんの話に合わせて返答するようにした。


おばあちゃん、何か覚えてくれてないかな。
目も見えてないし、話も聞いてるのか聞いてないのかよくわからないけれど、
僕は昔の思い出話をした。
僕が小学生だった頃、毎日家に帰るとおばあちゃんといっしょに漢字ドリルをして、ふたりでテストし合って、変な書き間違いに笑って、おやつ食べて、
毎週日曜日は、おばあちゃんの車でお気に入りのラーメン屋さんにふたりで行って、
人気店だから開店20分前くらいについて並んで、
いつもパートのおばちゃんに「今日もお早いですね~」と言われたりして、
食べ終わったらスーパーに行って、1週間分のおやつを選んで買って帰って…。
うちは母子家庭で、お母さんは仕事だから、毎日おばあちゃんとふたりで居る時間が多かった。
いっしょに旅行も行った。
長野の温泉旅館、良いところだった。
富山で乗ったトロッコ列車。ローカル線の旅。
ハウステンボス、あっこはきれいかったよね…

何かは、何かひとつくらいは覚えてるんじゃない?
思い出はたくさんある。

おばあちゃんはベッドで格闘しつつ、
時折「うん」と言いながら、
僕の思い出話を聞いてくれているようだった。


そして、おばあちゃんは最後にひとこと言った。
「可哀相ね~」


僕のおばあちゃんは、もういない。
この人は、おばあちゃんによく似てるけど、違う人だ。

おばあちゃん、どこに行ったんだろう。

僕は、床屋が終わる前に帰った。


毎週おばあちゃんと行っていたラーメン屋に向かった。

「いらっしゃいませ~」と言いながら僕の元にやって来たのは、
あの頃と同じパートのおばちゃんだった。

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しゅんき
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