中学時代の部活の思い出

僕の通っていた中学では、必ず何かの部活に入部しなければならなかった。
僕は運動音痴だし、大変そうだから運動部には絶対に入りたくなかった。
しかし、うちの中学は文化部が数少なく、
美術部、合唱部、吹奏楽部、囲碁将棋部の4つくらいしかなかったと思う。

絵が絶望的に下手なので、美術部には入れない。
小学校時代、絵が下手すぎて、図画工作の成績が△だった。
(うちの小学校の成績表は◎、○、△の三段階評価で、まじめにやっていれば△が付くことはそうそうない。まじめに取り組んだのに、出来が悪すぎて△をつけられた。)
ちなみに、うちの父親は絵が上手で、
小学校時代、校舎の絵を描く写生大会で校長先生に表彰されていた。
写生大会の時、父親は真剣な顔をして、校舎をよく眺めながら、
荒波に揺れる舟の絵を描いた。
校舎の絵を描くという写生大会なので まったく趣旨に合っていないが、
うますぎて表彰されたらしい。
趣旨に合わない絵でも表彰してくれるなんて良い先生だなと思うが、
頑張って校舎の絵を描いた他の生徒の気持ちを考えると、あまり良くないのかなとも思う。

話が逸れたが、
とにかく僕は絵が下手なので美術部には入れない。

歌も歌えないので合唱部にも入れない。

吹奏楽部ならギリギリ入れるかなと思ったが、
どうやら楽器を演奏するには相当な体力が必要で
筋トレなどもしなければならないと聞き、
入部はやめた。

そして、将棋も囲碁もルールなど一切わからないが
囲碁将棋部に入部した。
他に手頃な部活がないので仕方がない。

僕は、将棋をあまり好きになれなかった。
あまりにも難しすぎる。
相手陣地への攻め方とか、自分の駒を守る囲いのつくりかたとか、
ネットで調べればいろいろ出てくるけれど、
多すぎて訳が分からない。
先輩に聞けば多少教えてくれたりもするけれど、
手順が多すぎてメモするのも難しいし、
「こういう時はこの戦法使えるけど、ああいうときは使えない」とか言われて、訳が分からない。

相手の使っている戦法などを見て臨機応変に対応を変えなければならないのだが、
それが全くわからない。

攻め方も守り方も戦法がたくさんありすぎる。
いくつも覚えて使い分けるなんて、僕にはできない!!!
使い分けるのは無理だから、1個だけ覚えて、
どんな状況でも同じ1個の戦法を毎回使っちゃえ!!
そう思って僕は、攻め方と守り方を1つずつ覚えることにした。

攻め方は、「棒銀」と呼ばれる戦法。
守り方は、「左美濃(ひだりみの)」と呼ばれる戦法。

僕は、これだけを覚えた。

まずはこの戦法を覚えた、とかではない。
僕は、
「将棋部3年間、棒銀と左美濃だけでやり通す!!」
という覚悟でいた。

覚えて最初のうちは、何回か勝てた。
すでに棒銀や左美濃を使いこなせる、弱点も知っているという先輩にはすぐに負けてしまうが、
まだ初心者の同級生になら勝てる。

しかし、日が経ち、
何度も同じ相手と戦っていると、
「しゅんきは棒銀しか使わないな…」ということがバレ始める。

「アイツは棒銀で攻めて、左美濃で守るぞ!」というのが
部活中であっという間に広まってしまい、
なかなか勝てなくなってしまった。

ごく稀にしか部活に来ない幽霊部員のような生徒にだけ勝てた。

それでも、僕は頑なに棒銀と左美濃だけで押し通した。

僕のやり方を知っている連中には勝てないが、
将棋の大会では、初対面の知らない学校の生徒と対決するので
意外と勝てたりする。

土日に時々、将棋の大会に出場することができる。
部活の中で上位の人だけ、とかではなく
部員全員に大会の出場権がある。
しかし、行きたがらない人が多かった。
みんな、休日が1日将棋の大会で潰れるのが嫌なのだ。
でも、僕は積極的に参加した。
僕は休日特にやることがない。
いっしょに遊ぶ友達もいないし、
ひとりで何かやりたいことがあるわけでもない。
YouTube観て寝るだけ。

休日の予定はすっからかんなので、
出られる大会はほとんど出場した。

参加するのは大体、部員5,6人程度。
参加するメンバーは大体いつも同じ顔ぶれ。
みんなで電車に乗って、大会が開かれる会場に向かう。

友達と遊びに行く経験がない僕にとって、
将棋の大会に行くのは
友達みんなで遊びに行く感覚で、楽しかった。
将棋部の部員たちとは、部活中はそれなりに喋る。
学校では休み時間に喋る相手もいないし
休日はひとりで過ごす僕にとって、
部活が唯一の他人とコミュニケーションをとる場だった。
将棋を指した後にお互いアドバイスしあったり、
休憩にどうでもいい雑談をしたりするのが楽しかった。

ある日、大会に行った時のこと。

その日の大会のルールは、
1回負けたら即終了のシステム。
勝てば何試合もできるが、初戦で負けたら1試合しかできずに帰ることになる。
ちなみに、将棋は1試合に何時間もかかるイメージがあるかもしれないが、中学生の大会は制限時間が短めに設けられており、1試合40分以内に終わるようになっている。

その日は他の部員たちは1回か2回で負けてしまったが、
奇跡的に僕だけ何回か勝った。
負けた他の部員に見守られながら将棋を指し、
4回くらい勝って、次の試合まで待機していると、
顧問の先生が僕に言った。
「もし次もしゅんき君が勝ったら、先にみんなで帰って良い?別にひとりでも、帰ってこれるでしょ?」

顧問の先生は、負けた部員を連れて先に帰ろうとしていた。
一応、もう1試合だけ見てくれるらしいケド。

顧問の先生は、将棋のルールを知らない。
きっと、退屈だったのだろう。
他の部員たちも、別に僕が将棋をしているところなんて見たくないのだ。
自分が負けたら早く帰りたい。
先生や部員の気持ちはよくわかる。

帰りの電車でひとりになるのは寂しいけれど、
僕は「全然いいですよ!ひとりで帰れます!」と言った。

みんなに見守られながらもう1試合した。

結果、負けた。

みんなで電車で帰った。

あの場面は飛車をこういうふうに動かしたほうが良かった、などと
応援してくれていた部員たちからアドバイスを貰ったり、
どうでもいい話をしたり、楽しかった。

将棋で負けたのは悔しかったけど、
みんなで帰ってこれたから、それはそれで良かった。そう思えた。



いまこうして中学時代の部活について書いてみると、
意外と覚えているものだ。
長くなるから特に書かなかったが、
他にもちょっとしたエピソードはいくつか覚えているので
もし機会があればまた書こうと思う。

最近、幼少期の頃の記事をnoteに書いた時も
「幼少期の頃の記憶がこんなにあるの、すごい!」
と言ってくださる方が何人かいらっしゃった。

これは、僕の記憶力が凄いわけではない。

人と関わった経験の総数が少ないから、
ひとつひとつの出来事をよく覚えているのだ。

これは、成人式に行った時に気付いた。

みんな、
いろんな人と喋って
「うわ!?え!?誰だっけ!?あ~~、なんだっけ…ごめん!」
「わ~~!○○君じゃん!!!!すげえ記憶よみがえってきた!」
などと久々に再会した人を
思い出せたり思い出せなかったりしている。

でも僕は、
成人式の日に喋りかけてくれた人全員のことを覚えていた。
ある人にそれを自慢した。
「僕は、今のところ声かけてくれた人全員の名前、忘れてなかったよ。」
すると、こう返された。
「いや、分母が小さいから。喋った人数が少ないからだよ」

僕は、自分が記憶力が良いのだと思っていた。
違った。
ただ単に、喋ったことのある人数が少ないだけなのだ。

ほとんど人と喋る機会が無いから、
喋ってくれたのが嬉しくて嬉しくて、よく覚えているのだ。

そうなんだ。

保育園も小学校も中学校の頃も、
思い出が少ないから、
覚えているだけなんだ。


これからは、
「いろいろありすぎて何にも覚えてない!」
といえるくらい、
いろんな人といろんな思い出、
つくってみたいな。

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しゅんき
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