友達がいなかった幼少期と、嫌われていた中学生時代の話【生い立ち】

つい最近、母と車に乗っていた時の事。
小さな公園の横を通った時、母が言った。
「この公園、昔いっしょによく来たよね~。覚えてる?」
僕はピンと来なかった。
母が続ける。
「人見知りで、他の子が来ると嫌がってさぁ。公園をいくつもまわって、誰もいない公園を探したのよ~。大変だったわ~。」

小さい頃、僕は公園で母とふたりきりで遊んでいた。
僕は、他の子が来るのをとにかく嫌がったらしい。

人が増え、公園内に母とふたりだけで居られるスペースがなくなると
別の公園に移動し、また母とふたりで遊んでいた。

公園だけでなく、公民館などのキッズスペースでも
他の子と交流することを一切拒否。
絶対に母とふたりきり。

父と母は離婚しており、僕はいつも母とふたりだった。

この頃の記憶はほとんどない。



保育園に入った。

保育園に着くと、
朝、全員が登園できるまで、しばらく自由時間。

みんなが何をしていたか覚えていないが、
レゴのまがいもの(ブロックがレゴより大きいやつ)、おままごとなど
仲の良い子同士で楽しそうに遊んでいた。

僕はクラスの誰とも馴染めていない。

ままごとをしているグループにも、
ブロックで遊んでいるグループにも入れなかった。

そんな僕の過ごし方は、主に以下の3つ。

①教室の端から端までをひたすら行ったり来たりしながら、考え事をする
②好きな子がいたので、その子を尾行する
③先生達だけで行われる朝礼に、先生に混ざって参加する

考え事をしながら教室を歩いていただけの日が一番多かったと思う。
僕は当時、電車が好きな男の子だったので
週末にお母さんと乗った電車のことを思い出したり、
テレビで観たあの電車にお母さんと乗りたいなぁ、、なんて思ったり
考え事をして過ごしていた。

ボーっと立っているわけでなく、
教室の端と端をひたすら往復しながら考えていた。


でも、流石に他の子と遊んだりもしたいなと思ったのだろう。
可愛いな~と思った女の子にとりあえず付いていってみた。

その子が教室の本棚から本を取り出し、座り、読むという行程に
ずっと付いていった時のことをなんとなく覚えている。

その子が「なんでついてくるの~?」と言っていたのも覚えている。

当時の僕はたぶん何も答えなかったと思う。
答えていたとしたら、「別に意味ないよ」とかかな。言いそう。


僕は毎日のように、その子に付いていった。
「なんでいつもついてくるの~?」などと聞かれていた気がする。

その時は毎回うまく答えられなかったが、
今の僕が思うに、
友達がいなくて、幼少期から公園でも公民館でも
どこに行っても母としか遊んでこなかったから
クラスメイトとの距離の縮め方がわからなかったのだろう。
それで、とりあえず気になる子に付いていってみたのだ。
「そのおもちゃ、貸して」と言ってみるとか、
何かしらの役を演じてままごとに乱入してみるとか、
そういう発想がなかったのだろう。


そして③の 先生たちの朝礼に参加する、に関しては、
何故こうなったのかわからない。

僕はある時、急に「保育園に行きたくない!」と毎朝泣くようになった。
そして保育園に着くと、先生に連れられて
先生達だけがいる部屋に行き、朝礼に意味も分からず参加していた。

先生といっしょにいると泣き止んだのだろうか。
僕には朝礼に行くと泣き止む習性があったのだろうか。
詳しくは覚えていない。

いずれにしても、
なぜ「この子を朝礼に参加させよう」となったのかは不明だ。


朝礼が終わり、
みんなが登園し終わり、しばらく時間が経つと
先生から指示が出て、
工作をしたり、粘土をこねたり、絵を描いたり。

僕はこの時間が楽しかった。

やることを指示してもらえて、
それ通り作業をしていれば良いからだ。

朝の自由時間は、あまりにも自由すぎる。
友達がうまく作れなかった僕は、
座席、遊び相手、遊び道具を全て指定してほしかった。

作業の時間が終わり、昼食をとり、昼寝をすると、
午後は外遊びの時間だった。

これがまた、困る。

砂場、滑り台、ブランコ、、、
様々な娯楽がある。

みんな、友達同士でキャッキャしている。

鬼ごっこをしている子たちもいる。

ボールで遊んでる子たちもいる。

僕は、何もできなかった。

何にも参加できなかった。

僕は、朝「なんでついてくるの~?」と聞かれたあの子に
また付いていく。
その子の日課は、
砂場→滑り台→???
だった。

まず、その子は砂場で四角い容器に砂を満タンに詰め、ひっくり返して全部捨てる。
それを何回か繰り返す。
何が楽しいのかわからないが、保育園児にとっては面白かったのだろう。

僕は、こういう単純作業をしていると、作業をしながら考え事をしてしまう。
何か考えながら砂を詰めては捨ててを繰り返していると、
気づくとあの子の姿が無い。


気づくとあの子は砂場の横の滑り台を滑っている。

僕は考え事をしていて気づかなかった。

毎日同じように砂場で遊び、
同じように僕だけいつの間にか考え事をしていて、
同じように「あ!もう砂の時間終わってるじゃん!」と急いで滑り台へ。

滑り台を何回か楽しむ。

その後、あの子がいつもどうしていたのか記憶が無い。

今度は滑り台を滑りながら考え事をしていて、
あの子がどこかへ行ったのに気づいていなかったのだろうか。

僕は、滑り台を何度か滑った後は、
いつもひとりで過ごしていた。

何をしていたのかというと、
保育園のグラウンドの土に、足で線を引いていた。

簡易でドッジボール用のコートの線を引きたいとき、
靴の底を引きずって土に線を書いた経験がある人もいるだろう。

あの感じで、ひたすら足を引きずって線を引いて歩いた。
何の意味もなく。
はやく時間がたってくれ、
はやくお母さんが迎えに来る時間になってくれと願いながら。


僕は保育園では、毎日こんな過ごし方だった。

毎日こんな感じだったせいで、
保育園の卒業アルバム、
「好きな外遊びは?」の項目に「せんひき」と書いていた。
線引きを外遊びとみなしていた。
線引き。
普通の子からすれば、ドッジボールなどの遊びの前に準備段階としてやることである。

せめて、砂場とか滑り台のこと書けばよかったのに。
なぜか線引きをチョイス。


そして、小学校に入る。
小学校でも、案の定友達はいない。

休み時間はひとりで退屈だった。

基本的には、自分の机で座って
ただ時間が過ぎるのを待っていた。
たまに教科書を開いたり閉じたりした。

図書室で本を読むこともあった。


長時間の休みは外に出る子が多かった。
授業が終わり 休み時間に入ると、
「ドッジやろうぜ」「鬼ごっこしよう」
などと言う声が飛び交い、みんな勢いよくグラウンドに飛び出していった。

僕は、
「これだけ催し物があるんだから、どれかには奇跡的に参加できるかも!」と
なんとなく外に出たことが何度かある。

しかし、
「いれて」と言う勇気が無い。

「この人たちと特に仲良くないし、急に入れてくれって頼んでもなぁ。。」と思い、
どこにも入ることができず、
運動場をなんとなく1周歩いて、教室に戻る。

保育園でも外遊びの時間に何にも参加できなかったのだから、
小学校でも参加できなくて当然である。

歩いていたら、
鬼ごっこで全速力で走っていた上級生が僕に激突。
僕は転び、結構な怪我をした。
その跡が、今でも膝小僧に残っている。
家に帰ったらおばあちゃんが怪我を見て「コレは一生もんだよ。一生残る」と言っていて
「さすがにそんなわけないだろ。絶対治るよ」と思っていたのだが、
本当に一生もんだった。
こっちは遊んでもいないのに、一生残る怪我をして、とんだ災難だ。


友達と呼べるような人はいなくても、
グループワークや、給食の時間など
それなりにクラスメイトと喋る時間があり、
なんとなく仲良くなった子もいた。
だが、なかなか放課後に遊ぶ約束ができず、
どれだけ仲良くなっても
基本的には学校の中で喋るだけ。
学校外で土日に遊ぶほどの友達はできなかった。

僕は、みんなの共通の話題についていけなかった。
妖怪ウォッチやポケモンなど、
いろいろとアニメ・漫画が流行っていた。
僕は、アニメに関しては
アンパンマン→ドラえもん→クレヨンしんちゃん
と、順調に子供が辿るルートを辿って行ったのだが、
なぜかその後僕はアニメを見なくなった。

そして、漫画に関しては、1冊も読んだことがなかった。
ちなみに、20歳になった今でも
1冊も読んだことが無い。

幼少期に母親が漫画を1冊与えてくれたのだが、
僕はどのコマから読んでいいかわからなくて、読むのを諦めた。
4コマ漫画なら上から下に辿っていけばいいが、
普通の漫画本は、コマのサイズも各コマごとに違ったりして、
どのように読み進めたら良いのかわからない。

漫画・アニメに一切ハマっていないし、
大してテレビも見ないし
ゲームもあまりしていなかった。

クラスメイトと共通でハマっているゲームソフトのひとつでもあれば
放課後にいっしょに遊ぶこともできたが、
僕は妖怪ウォッチもモンハンも何も知らなかった。

だから休日に遊ぶ友達ができなかったのだ。


あるとき、僕はいじめを受けた。

きっかけなど特に覚えていない。

僕をいじめてきたのは、
いじめられっ子だった。

僕はいじめられっ子より下の立場の人間だったので、
いじめられっ子が、
いじめられた腹いせに、
より下の立場の僕をいじめてきた。

普通に殴られた。
「技をかけさせろ」と言われ、
その子オリジナルの謎の攻撃を食らった。

いじめられていることを担任の先生に相談した。
先生と仲良くなった。

先生に結構気にかけてもらっていた。

小6のとき、クラスメイトの女子に
「しゅんき、先生に気に入られてるでしょ。」と言われた。
何故その女子がこう思ったかと言うと、
授業中挙手すると僕が結構優先的に当てられたり、
先生が「しゅんきくんは授業中頷いたり、わかんないなぁって顔してくれるから、先生は授業がやりやすい」と言ったりしたから
とのこと。

確かに小6のときは結構先生に気に入ってもらえてた気がする。

先生だけでなく、同級生にも近づいて仲良くすることができればよかったのだが。。


特に深く仲良くなる友達がいないまま、
中学に入った。

中学では、僕は結構嫌われ者だった。


まず、給食当番だったときに
配膳の仕方が雑すぎるという理由で嫌われた。
「もっと丁寧に置いてよ!!」と女子からクレームが入る。

「いや、こぼしてないし、スピードも速いんだから、問題ない!味も変わらないよ!」と反論した。
こぼさず、テンポ良くできているので問題ないと思っていた。

コロッケを1皿に1つずつ置いていくという作業をしていたのだが、
速さを追い求めるあまり、
コロッケをお皿に置いているというより、
お皿に叩きつけていた。

当時の僕は、「コロッケが皿から落ちなければOK」という認識だった。

僕は全く謝罪しなかったし、引き続きコロッケを皿に叩きつけた。


給食の時だけでなく、体育の時にも嫌われた。

ソフトボールのルールが全く覚えられなかった。
瞬発力がないから、ボールが飛んでくると
「こういうときは、どうするんだ?この位置だから、あの人より僕が取りに行ったほうが良いな…」と判断し、走り出すと
もう遅い。

頭の中で理解したルールを参照して行動にうつすまでに時間がかかりすぎる。

あと、シンプルに足が遅かったり、ボールのコントロールが全くできなかった。

ルールもろくにわかっていないし運動音痴すぎてチームメイトに迷惑
という理由で男の子たちに嫌われた。

僕は考えた。

なぜこんなに運動ができないのだろう。

学校からの帰り道や、休み時間などを使い長時間ひとりで考え、
僕が運動できないのは、
・運動部ではない
・外遊びをしない
・数学や英語と違って予習や復習をしない
というのが理由だ!と結論付けた。


僕は次の日、
さっそくクラスメイトに説明した。

「おい!!!何回言ったらわかるんだよ!!!!」
などと、僕はクラスメイトに怒られた。
また、ボールをうまく取れなかったからだ。
僕は説明した。
「あのね、僕考えたのよ。なんで運動できないのか。
あのね、あなた達、部活やってるでしょ?それに、公園で外で遊んだりとかするでしょ?僕、しないのよ。そりゃ、急に体育でこんなこと(ソフトテニスとか)やれって言われても、そんなの無理よ。しょうがない。」

クラスメイトの顔を見ると、
めっちゃキレてる。
何も納得してない。


ある時、体育で
何の種目だったか忘れたが、
5人1チームくらいでミニゲームをした。

そのとき、僕だけルールを一向に理解できなかった。

そのとき、チームメイトのひとりが言った。
「しゅんき、もっと頭良いかと思ってた。」

僕は確かに、定期テストの点数はそれなりに良かった。
それゆえ、クラスメイトは僕が頭の良い生徒だと思ってくれていた。
僕は言った。
「あのね、数学とか理科はね、予習復習するから出来るのよ。でもね、体育のためにわざわざ予習復習する?公園とかで練習する?そんなことしてたら、数学とかやる時間なくなるよ。だからね、しないの。だから出来なくて当然当然。体育は、このくらいできていれば上等だよ。それに、勝ち負けじゃない。体育の授業だからね。スポーツ大会じゃないからね。勝ち負けにこだわらず、楽しくやろうよ」

僕はどんどんクラスメイトに嫌われていった。

そりゃ、嫌われる。

今ならわかる。


僕は、
とにかくひとりで考える。

ひとりで考えて、結論を出す。

ひとりで考えるから、
自分が正しくて相手が誤っているという結論になる。

自分の行動がきっかけで相手を怒らせる。
なぜ怒られているのかひとりで考える。
自分の行動というのは、
自分が、その行動をすることが正しいと思っているから行動している。
だから、自分ひとりで考えると
「俺が合ってる!相手が間違っている!俺の行動はこういう理由があるからだ!」と
自分が正しいのだと結論付けてしまう。

そして、それを相手に力説する。

嫌われる。


自分のなかでは、
この行動が正しい、なぜならこう思うからだ!
という論理が成立しているが、

相手のなかでは
しゅんきのあの行動はおかしい、なぜならこう思うからだ!
という別の論理が成立している。


それぞれに考えがある。

僕の考えが普通とは限らないし、
相手の考えのほうが一般的かもしれない。

そのことを無視し、
「自分がこう思うから、それが正しくて、それを相手に伝えてわからせなきゃ!!」と思ってずっと生きてきた。

でも、相手にも相手の考えがあり、

相手の考えのほうが一般的に常識かもしれない。
そこはうまく折り合いをつけていかねばならない。


僕は、配膳のスピードがはやければ
コロッケをお皿に叩きつけても良いと思っていたが、
クラスの女子からすれば
ゆっくりでもいいから丁寧に配膳するのが正しいのだ。


それで、価値観、考え方の違いが生じたときは
特に自分が悪いと思わなくても
謝罪の一言くらい必要なのだ。


僕は、自分が正しいとずっと思っていたので
ひとことも謝らなかった。
説明して、相手に理解させようとし続けただけだった。


そのことを、20歳になって、
いろいろあって、
いま生い立ちを振り返って、
やっと気づいた。


これから出会う人達とは、
良い関係を築けますように。

ひとりで良いから、
素敵な友達ができますように。

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しゅんき
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