映画の感想:「パブリック 図書館の軌跡」
今回、図書館を舞台とした映画を観てとても感じるものが多かったので、文章にしてみました。
予告編はこちら ↓
前置き
僕は、図書館が好きだ。
本がたくさん並んでいるのを見るとワクワクするし、それらの本には著者の思いや知が詰まっていると思うと「本当にすごいなあ」と感じるし「もっと知りたい、何かに活かしたい」という気分にもなる。
そして、それらの本に簡単にアクセスできる図書館を、僕は便利に使っている。(様々な事情で使えない人がいることも忘れないようにしつつ、自分が使えていることはとてもラッキーだと思ってる)
この映画は、僕にこんなことを突き付けてきた。
「公共(パブリック)と合理化の共存のために私はどう行動していくか。そこに「知」はどんな助けになるのか」
個人の行動から社会のうねりへ
この映画に出てくるテーマは本当に幅広い。ひとつひとつが重要で、でも切り離せない(絡み合っている)。
例えば・・・
経済格差(貧富の差)、人種差別、マスコミュニケーションのあり方、権力による介入、役割と分断(遊びのない世界)、ハンディキャップへの不寛容、戦争、環境問題、経済優先の効率化に対する疑問 etc・・
それらに対し、社会はなかなか動かない。合理化の名のもと、既存の枠組み維持を優先しているように僕には見える。
その状況の中、まず人が行動し、そのサポートを通じ行動が大きくなり、社会運動に発展していく流れを映画の中に見た。
様々な幸運も必要にはなるけど、最初の行動がないとその後のうねりも起きない。
そして、行動を拡大する助けになるのは関係性だ。
映画の中でも、関係性の中で協力する動きが大きくなっていった。
自分の知っているあの人が困っている、という認識になると無視できなくなり、自分の行動やサポートにつながっていくんだと自分自身の経験からも言える。
そのうねりの中で見えたのは、社会的に「力のない存在」とされることが多いホームレスの方々のパワフルさ!瞬間ではあったけど歌や笑いのあるjoyfulな時間もあり、力の有無とは何か、本当のサポートとは何か、と自分に問いとして投げられた気がしている。
図書館が舞台であること
ここまで来て、図書館が舞台なのも意味があると改めて感じる。
知は先人の積み重ねだし、本来なら多くの人に開かれるべきものだと思うけど様々な理由で偏在してるし、経済格差にも直結している。その中での図書館は「人に生活を与えていく場所」とも言えるし、公共性のとても高いものだ。
一方、公共性という観点では「住居の確保」「生存の保障」という役割もあると思うけど、縦割り管理で「別施設でおこなう」仕組みのため融通が利かない。
映画の中では縦割り管理の仕組みに対し声を上げる動きが出ていたけど、私たちの日常でも何度となく上がっているその声に対し、私たちはどう答えていくのか。先人の積み重ねである知はどう役立つのか。
本当に難しい問題だと思うし、答えは一つでなく状況により変わるものだとも思う。でもだからこそ、知に限らずあらゆる助けを借りながら、私たちが探求するものだと言われた気がしている。
その他:気になる点
1点、映画の中で女性が「サポートする役」として描かれているのは気になった。
場面設定等も踏まえた描かれ方なのかもしれないけど、ジェンダーバイアスの強化につながると感じていて「その状況を産み出す社会の仕組み」が言及される必要があった、と思う。
最後に
映画としてとても面白く、でもなぜか泣けたりパワーをもらったりと、僕の感情がとても揺さぶられる作品だった。
そして、公共性は誰かが作っているんじゃなくて自分自身も作り手のひとりだ、ということを改めて感じさせてくれた。
具体的には言えないけど、自分自身の行動につながるような作品だったと思っているし、多くの人に観てもらい、感想を聞いてみたいなと思ってる。