私の入院とその原因について

とても単純に表現するなら、人へ反射的に恐怖を抱き、それによる精神の悪化に呼応して急激に体調を崩し、どうしようもなくなるようになった、というお話です。

8月31日、近くの店に買い物に来たら、強過ぎる不安感によって強い吐き気や様々な体調不良を感じ、トイレの個室に入りました。
体の震えが止まらず、呼吸が浅くなって全身が痺れ、様々な体調不良…と、酷い有様でした。
30分経過しても改善、どころか徐々に悪化していき、動けなくなったために119に電話しました。
救急搬送され、点滴に頓服薬…それでも殆ど改善せず、入院することになりました。

そもそもの原因の大半は、20年以上にわたる家族による虐待によるものです。
細かな内容を書きますが、興味のない方は
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を飛ばしてください。

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小学生の頃、学研の国語のドリルをしていました。
まだあまりものを知らないので、問題を解くのにも時間がかかります。
手間取っている私に腹を立てた母は、持っていたシャーペンを逆手に持ち替えて、私の右肩に突き刺しました。
幼いと皮膚も筋肉もあまり固くなっていないからか、ペン先まで埋まりました。
その時の傷跡を病院で治療せずに絆創膏を貼るだけで済まされたせいか、大学生になる辺りまで、刺された箇所が乾燥する時期になると膿が溜まって発熱するようになりました。

2021年には、8年消費期限が切れたダニ塗れの小麦粉を食べさせられていたことがわかりました。
時折急激に体調を崩し、下痢、下血、嘔吐、発熱、発疹、過呼吸、頻脈、高血圧…などが同時に起きていましたが、小麦粉を捨ててからは今までのような何度も生死を彷徨うことはなくなりました。
しかし、期限切れの様々な古いものを私に優先的に食べさせるという両親の長年の行いは、私の内臓が健康に戻れなくなるほど、それほどの長生きを望めなくなるほどまでの不可逆的なダメージを与えました。

2023年5月31日には、私が発熱してグッタリして自分の部屋で寝ていた所を、同居をやめた姉が鍵をこじ開けて侵入し、長時間の罵倒の末に私に暴行し、その結果、私の左耳はあまり機能しなくなってしまいました。

精神面に関してもそうです。
幼稚園児の頃から、車の中で両親は姉が居ない時に私という命が宿ってしまったから…などと、私が望まれずに産まれたとしか受け取れない話をよくしていました。

姉は当然女で、お嫁に行けなくなったら、赤ちゃんが産めなくなったら困るから…という理由で、無関係でも私が暴力を振るわれて、決して姉が暴力を振るわれることは一度たりともありませんでした。
無関係でも連帯責任というものらしいです。
自分が悪いことをしたら、別の人が罰される姿を見せて、姉を教育するつもりだったのでしょうが、全くの逆効果で、姉は私を苦しむ様を見たいがためにわざと悪事を働くことすらしていました。
女尊男卑の一言です。

両親は仕事やら何やらで外で不愉快な思いをすれば、暴れてものを壊したり、私に投げつけたり、ものを持って私に乱暴を働きました。
その両親を見て育ったからか、姉もそうなりました。
壊れたものの買い換えや修理だとか、後始末はいつも私がやらされ、そのお金はくれないのでお小遣いを使い、足りなければ祖母に頭を下げてお金を出してもらっていました。

高校で虐められて不登校になった際も、最初だけは味方のように振る舞っていましたが、あんたのような惨めなこどもなんか産まなければよかった、高校卒業出来なかったら家を出て行けと、家にも居場所が無くて保健室登校をしていました。
中学以降は札幌で、持ち家は帯広にあるので最低月に一度は帰省させられたのですが、高速道路で3,4時間かかります。
逃げることも出来ない車内で、不出来だ、虐められても仕方ない、虐めたくもなる、自分だったら虐める…と、移動時間はずっと否定の言葉ばかりを家族から言われ続けていました。
家も安寧の場所でなく、精神的に追い込まれ続けた私は病院に通いたいと伝えましたが、それよりも受験を優先して殆ど病院に行けなかったので、満足な治療も受けられることもなく、回復もできないでいました。
首輪を付けて机に繋げれば授業も受けられるでしょ?と、私を人間ではなく畜生として扱う言葉を言われ続けてきました。
私が苦しんでいても、赤ちゃん言葉を使ってまで貶して笑っていました。
その特徴は姉に濃く受け継がれています。

8年前のダニ塗れの小麦粉を食べさせられていたことに気付いた日も、母は逆ギレしたかと思えば、半笑いで人を馬鹿にしきった態度での謝罪一つで終わらされました。
頼まれたこともないのに、頼んでも買ってきてくれなかったからだと私のせいにされました。
父も怒鳴り、だったら食わなければよかっただろと責任転嫁しました。
体調悪いから食べれないと言ったら、すぐに気分を損ねて私に乱暴をする父がです。

犬の介護の話の記事も書きましたが、あの頃もずっと虐待されていました。
原因もわからず悪化の一途の私、それでも朝も昼も夜も関係なく家事、犬の介護と、自分と犬のどっちが先に死ぬのだろう?と、死に怯えながら、満足に休めることもなく生きていました。

2022年の4月に救急搬送されたことを契機に、虐待から逃げて姉夫婦と暮らしましたが、結局は新たに姉から虐待をされ、親と会うことを強要され、姉からは、お前は虐待の被害者じゃなくて加害者だと、私が悪いという結論でした。
そういう意識の人間だったからこそ、発熱してグッタリし、無抵抗だった私を長時間罵倒をし、いつものように暴力を振るって、その結果として私の左耳を不自由にしたのでしょうね。
今に至るまで、一切の謝罪も治療費、慰藉料を支払うこともありませんでした。
それどころか、事件翌日に姉の旦那が訪ねてきた際、殆ど言葉を交わさなかったのに、口汚く罵倒された!と、姉が吹聴する、始末です。
姉夫婦と暮らしていた際は、得た金の半額を強制的に徴収され、その上で急に姉のためにお金を使わされていました。
それをおかしいと断れば、恩知らずと罵倒され、家を出ていけと言われました。
私は死にぞこないの体と精神でまともに働けないので、それでも縋るしかありませんでした。

家族は私の意思よりもずっと、自分がどうさせたいかだけを考え、それだけを大切にしてきました。
私の病状によって非現実的であろうと、自分達の理想を第一にしてきました。
その理想に反すれば、いつも虐待が行われてきました。
そうでなくとも、サンドバッグとしてストレス発散の道具として扱われてきました。
前述したのはその中の例にすぎません。

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長年の虐待が、日常の様々な場面で私を反射的に怯えさせるようになりました。
例に挙げると、乗り物など、自分が自由に逃げられない状況で人が居る、というだけで強い恐怖を抱きます。
とあるオフ会で、善意で車で目的地まで送ってもらえる、ということがありました。
しかし、少し乗っているだけで強く恐怖を抱いてしまい、車に酔ったということにして空いた電車で向かうことにしました。
この人は信用できる、と思っても、反射的に抱く恐怖には勝てませんでした。

人生のほとんどで、こういう時は酷い仕打ちを受けた、というのを積み重ねてきました。
精神科の薬を飲んでいようが、人へ抱く反射的な恐怖はどうしようもありませんでした。
まだイベントに参加できるうちに、と、様々なものに参加していましたが、その度に悪化を痛感していました。
ちゃんと病院に通おうが、もうダメでした。
恐怖を理性で抑えるのにも限度がありました。

私は自分が好きではありますが、嫌いでもあります。
自分を大切にしたいと思いますが、ずっと命を粗末に扱われる程度の無価値な人間だ、とも思ってしまいます。
いい人間もいれば悪い人間もいる、それはちゃんと実感し、理解してはいます。

これが私の過去と今の現状、といったところです。
反射的な人間不信であって、人を信用できなくなったわけではありません。

心の安寧と平穏無事、それを私は願うばかりです。

※追記
家族の言葉は呪いとなって、今も私を蝕む暗示として存在し続けています。
否定の言葉、失敗や不幸を願う言葉、それらは呪いともいうべき言葉です。
家族ならば祝福を贈るべきでしょう。
呪ってくる人間よりも、幸福を願ってくれる、祝福してくれる人を大切にしましょうね。

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