退院"は"しましたが…

8月31日に出先で動けなくなり、救急搬送されて入院することになり、9月25日に退院しました。
しかし、強いストレスを感じると急激に全体的に体調が悪くなる現象は変わりませんでした。
精神科の頓服薬を飲んでようやく買い物できるかどうか…といったところです。
そもそもどうして酷いストレスを感じるようになったか、というのは、2023年5月31日に姉に暴行されたことと、毒家族による20年以上に渡る虐待が大きいです。

前者により、私の左耳は不自由になりましたが、検察は起訴猶予処分を下し、姉には前科すらつきませんでした。
異議申し立てをしても、変わることはありませんでした。
病院の既往歴で、元より耳を悪くしていたから…という理由があるそうです。
暴行されてハッキリと、殆ど聞こえない状態になったというのに、そんな言い分が通用することがわかりません。

一般的に、人は他人よりも家族を大切にすることが多いです。
そんな家族に命そのものすら粗末に扱われ、長生きのできない体にされ、左耳を不自由にされられた上、そんな加害者は国の機関からも無罪放免とされる。
それは、私は誰からも粗末に扱われ、人権を侵害されたとしても、国は守ってくれはしないという証明のようなものです。
私の尊厳は守ってもらえず、犯されても結局、何一つとして回復する機会などありはしませんでした。
そんな不健全な状態で、私に安心安全などあるはずがありません。
現在もなお、心は擦り減るばかりです。

暴行される過程そのものが恐怖というものです。
その日、姉夫婦が勝手に植えた癖に一切世話をしなかった家庭菜園の後始末を暑い中一人でやり、元からボロボロな体だけあって無理があったか発熱し、自分の部屋で寝ていました。
少し前に姉夫婦の家が建ち、引っ越しましたがまだ家の荷物がたくさんあり、時々運んでいました。
その日も取りに来たようでしたが、発熱し意識が朦朧としている私は気付けませんでした。
部屋の鍵をこじ開けられ、寝ているところを布団を引き剥がされ、胸倉を掴まれて無理矢理すぎる方法で強制的に起こされました。
発熱していたから寝ていた、休ませてほしいと伝えましたが、
「熱を出したくらいで休むな、だからお前はクズなんだ。」
と、30分以上にわたる罵倒が始まりました。
発熱して意識が朦朧としているのです。
話し合いもできるはずもありませんし、働かない頭ではちゃんとした返事も難しいのです。
それでもやめてもらえず、腹を立てたからか、頭を数回殴られました。
泣きっ面に蜂で、余計体調を崩して私だって怒りました。
すると左耳を力加減もなく数発ぶっ叩かれ、酷い耳鳴りや目眩、そしてほとんど左耳が聞こえなくなりました。
その後も怯える私に罵倒を続け、捨て台詞を吐いて気分良く帰りました。
意味がわかりません。
暴力も罵倒も好き勝手にやっていいはずはない、と私の倫理観は判断しています。
その後に病院に行き、診断書を貰って警察に行きました。
その際は、警察の方はずっと加害者を理解できませんでした。私もそうです。
毒親に電話が行った際も、私の左耳はもうずっと不自由になったというのに、大袈裟だとか、大事にするなだとか…
毒家族には、私の人権や尊厳などない、ということですね。

後者の虐待は、前にも書いたので省略します。
奴隷かペットか何かのように扱われてきました。
大切な家族、というか人間相手にやってはいけないことをされてきました。
詳しくは書きたくはないので濁しますが、様々な方法で心も体も穢され、辱められてきました。
今も穢れは消えていないと感じています。
タグで察してください。

やっぱり人間不信なのかもしれません。
前書いた記事も併せてみると、しょうがないと思っていただけたらありがたいです。
悪人は裁かれ、罪は償われ、損害は賠償されるということが当たり前であってほしいと願っています。
 
私は平穏無事、安寧を願うばかりです。

いいなと思ったら応援しよう!