無料で提供すること
会社員をしながら、休みの日に無料でコーヒーを振る舞う
そんな方の紹介記事を読んだ
無料で提供を続けた後に
現在では副業として珈琲店を営んでいるという
最近では無料で手に入るものが多くて
低価格だけど高クオリティみたいなものも増えた
自分が作り手になったときに
- こんなクオリティではまだお金を取れないな
- あの人のほうがすごいのに自分だけ有料にはできない
こんな気持ちになったのを思い出した。
無料で出すことの正解はなんだろうか。
作り手からすれば高く買ってくれるなら
単純に嬉しいし、無料だとしても多くの人から
感謝の言葉をいただけたら嬉しい
戦略的に最初は無料にして
あとから値段の高いものを買ってもらう
よくある手法だ
これが流行った結果、無料部分だけすくって
お金は決して払わないという人が増えたのも
事実だと思う。
コーヒーの話に戻ろう
コーヒーを無料で飲みに来ていた人
情報を無料で得ていた人
これらのポイントは
作り手に感謝の気持ちを持ったかどうか
無料でもなんでも人は何かをもらったときに
相手に返したくなる(返報性の法則)とかなんとか。
それがネット上でも発生はすると思うけど
対面でなおかつコーヒー
その日の
- 天気
- 気温
- 話したこと
- 味
など
いろんな情報が思い出になる
美味しいコーヒーはいくらでもあるんだけど
その場で飲む
誰と飲むのか
どこで飲むのか
そこで何を話したのか
コーヒー自体は最後の結果としてあるけど
途中の体験そのものを提供できている
その経験、場所を作ってくれたことに感謝
価値が生まれる。
自分の中に無料でも提供してみたいという余裕はあるだろうか。
借金がたくさんあるという環境、状況にいたら
このようなサービスも生まれなかったはずだ
やはり人間余白が大事
いつも心によはくを。
挑戦はきがるに。
失敗したっていい、お金にならなくてもいい
自分の価値観に従って生きていくことが
何より大事
まわりの価値観に惑わされるな
やりたいことをやろうは自分を苦しめる
やりたいことなんてほとんどの人が持っていないんだから。
友だちに誘われたから
誰かのためにやってあげる
これで十分
しょーがねーやってやるか!くらいがいい