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他人からジロジロ見られる問題にどう向き合うか?

久しぶりに、文章ベースで執筆する。

喋る方が楽なのだが、なんというか、「ちょっと浅く」なってしまうように思う。これからは、テーマの軽さや重さによって、「喋り」「執筆」と使い分けていく所存である。

さて、本題だ。

先日、吾輩は街に出て半日過ごしたのだが、見ず知らずの他人からジロジロ見つめられた。それも、計5人である。女4人に、男1人。1~2秒、チラッと見られるとか、そういうレベルではない。10秒~20秒、じっと凝視される。ガン見される。

「殺すぞ、失せろ」と見つめ返して、やっと相手が目を逸らすレベルである。

吾輩は、特別に容姿が悪いわけでも、逆に良いわけでもない。顔や体に何か欠陥があるわけでもないし、普通に地味なファッションで外出している。明らかにおかしい。今に始まったことではなく、子供の頃からずっとこの現象に悩まされていた。

こういうことを言うと、「自意識過剰だ」とか「気のせいなんじゃ?」とか「たまたまでしょ」とか、想像力の欠損と認知的な不協和から巻き上がる矮小化され尽くした蛆虫のような浅ましく穢らわしい反射的歪曲化諫言が飛んでくることが容易に想像できたので、吾輩はこのことを誰にも言って来なかった。

つまり、当記事は低俗な存在である「お前」に向けて書かれたものでは無い。去れ。

ここまで読んで、吾輩と同じような経験で悩まされてきた「卿」に向かって語りかけたものである。なぜこの現象が起こるのか吾輩は知っているし、どう考えて対処したらいいかも知っている。というか、ようやく分かったので筆を執ることにした。



★ジロジロ見てくる者の正体


まずは、吾輩や卿をガン見してくるのは「どのような存在」なのかを紐解いていきたい。

吾輩の経験則から言うと、それらは「女」「子供」「アホっぽい男」ということがわかっている。知性や理性に乏しい、極めて動物的な存在。こちら側が関わりたくない者に限って、興味津々でジロジロと見てくる。

自制心や自律心が圧倒的に欠如しているため、「目立つもの」「不思議なもの」を感じ取るとオートマティックに目線が作動する。当然、吾輩らのように「激烈に見られる」という経験が皆無なため、相手の立場に立って考えることなど出来ない。

不快なことが、分からない。

「自分」都合で日々を生きており、「自分」の感情やお気持ちが常に最優先される。というよりも、「自分」以外の概念そのものが「ない」のではないかと推察できる。猿のような動物のような存在であり、まずもって知的生命体とは言い難い。どう考えても、吾輩や卿とは別種の存在。

不浄なことが、分からない。

ハエはハエとしてただ生きているし、ゴキブリはゴキブリとしてただ生きているので、自らが「人間」にとって不快で不浄で迷惑な存在であるとは微塵も思わないだろう。その構造と全く同じである。



★ジロジロ見られる卿の正体


では、凝視される側の「卿」は一体なんなのか?

吾輩は書籍『魂のチャート』をもとに「魂年齢」の話をしているが、その観点から言うと、卿は成人期や老年期といった「年長」の魂である可能性が高い。地球での転生回数がふつうの者よりも圧倒的に多いということだ。

あるいは、役割として「賢者」というものがある。これは特性として「非常に目立つ」。吾輩は成人期末期の賢者なので、さもありなんという訳だ。あとは、「王」「聖職者」も高位の役割を持つので、目立つはずだ。





この話がしっくり来ないのであれば、「霊格が高い」と言ってもいいし、「オーラが強い」と言ってもいい。これらは、容姿の善し悪しには左右されず、目には見えない。が、五感以上の領域で、人間や動物は感じ取っている。

つまり、卿は「高次の存在」なのだ。

逆に、動物に近いジロジロマンたち「低次の存在」は、ふだんは「低次の存在」としか関わらないし関われない。そこに来て、吾輩らのような「光を放つ存在」に街ででくわせば、「なんだ…これは…」となる。我を忘れて凝視せざるを得ない。不思議で不思議で、たまらないのだ。


★具体的なジロジロマンの反応集


そんな熱視線にこちらが気づいて、「はあ?」と不快感を込めて見つめ返されてやっと、我に返る。そして、「見てないもん!」みたいな白々しい態度でぷいっと目を逸らす。あるいは、照れ隠しで下を向いてにやけたりする。

極めて、幼稚なものだ。

とくに、「女」はこういった反応を見せる。イケメンでもない男を吸い寄せられるようにじーっと見てしまった「事実」にプライドが耐えきれず、認知の歪みを起こしてなかったことにするのだろう。浅ましい。どこまでも自分本位。まず、謝れよ、クソガキが。

ちなみに、吾輩は筋トレをしているが、オナ禁も長期でしていた時はもっと酷かった。普通に散歩しているだけで、すれ違う車内から身を乗り出すような勢いでガバっと見られることが何度もあった。

一番酷かったのは、逆に笑えるくらいに滑稽で呆れ返る。

ある夏に、筋トレしようと公園に入っていったら、子連れの若い女がいて、吾輩を見た瞬間、ぽかーんと口を半開きにさせてUFOでも見たかのように体が凝り固まっている。「???」という疑問符が頭に浮かんでいるのが見えるかのようだった。しょうがないので(近所なので)、軽く会釈したら、処理落ちのような動作で顔が軽く揺れ、その間もずーっとぽかーんと凝視。迷惑なので、吾輩はささっと早歩きでその場を去る。

こんなことが頻発すれば、おちおち外も出歩けない。

オナ禁してない現在ですら、街に出れば半日で5人のジロジロマンと遭遇するのだ。もともとのオーラや光が強くて抑えきれないところに、ハード筋トレ&長期オナ禁でテストステロン爆上げ状態のフェロモンまで出してしまうと、もっと酷いことになるだろう。

だが、長期オナ禁を再開したい気持ちがある。

あの、毎日が活気に満ち溢れた「スーパーサイヤ人状態」が懐かしいのと、今、地球のアセンションに魂が同調しているので、オナ禁して感覚を研ぎ澄ますことで、もっと自然と同調できると確信しているからだ。大峠で肉体死するかもしれないので、生きてるうちにもっと素晴らしい景色が見たい。

どうするかはまだ決めかねているし、話が脇に逸れたので、オナ禁の話はこれくらいにしておく。



★ジロジロ見られる問題にどう向き合うか?


解決策はあるのか?

一つに、「目立たなくする」というのがあるが、これは吾輩は難しいと判断している。髪型や服装など、極めて地味にしたところで、オーラ自体は抑えがたく溢れてしまうからだ。これはもう証明済み。

『葬送のフリーレン』のように魔力量を極限まで抑え込むような、なにか特別な修行が必要になるはずだし、そんなものが存在したとしてどこにそんな稀有な情報が転がっているのか。もしかしたら、世界のどこかにはあるのかもしれないが、吾輩は見たことも聞いたこともない。

二つに、「怖い人戦略」がある。

コチラの方が現実的だ。吾輩は段階的に取り入れている途中で、「筋トレ」がその主たる手段である。ただ、先日分かったように、自重で2年足らず21ヶ月目くらいの肉体ではまだ不完全のようだ。それに、冬だと外套で体が隠れやすい。

分かりやすく、烈海王やビスケット・オリバのレベルの肉体になれば、人々は怖がって誰も寄ってこなくなるだろう。女すらも。男の方は、現時点の肉体でも効果を感じることが多くなってきた。あとはこのまま続けていって、平均値から大きく外れる体に育成していけばよい。

肉体以外にも、服装や入れ墨などであえて「輩」な風体を演出するのもアリだと考えている。吾輩はファッションに興味が全くわかないので、今のところはなにもやっていないが、もうどうしようもなくなって、にっちもさっちもいかなくなれば、やらざるを得ないだろう。



★ジロジロ見られることへの心構え


ただし、ここ数年で、地球のアセンションに伴って「大峠」が起こる。

災害や戦争が局所的に多発的に発生して、古い地球の大掃除大洗濯がなされるので、人口も激減する。吾輩も卿もそこに巻き込まれて肉体死すれば、また次の転生に進むし、ジロジロマンのような程度の低い生命体も次の転生に進む。

今までの3次元地球は特殊過ぎるゲームフィールドだったので、低次元も高次元もごっちゃになっていた。同じ肉体というアバターをまとって同じようにプレイしていたが、今度からはそうはいかなくなる。低次元は低次元、高次元は高次元と、きっちりとクラス分け(惑星分け)される。

それが、本来のゲームルールらしいのだが、旧地球はある種の「実験場」だったようだ。

もし肉体死せずに生き残れば、それはそれで新世界の創造に携わっていけばいい。そこに、ジロジロマンらはいない。ここでも元のルールが適用されるので、卿や吾輩のような生命体しかいなくなる。安心だ。

つまり、どっちに転んでもOK、と。

この数年が正念場だ。数十年も数百年も、同じ状況が続くわけではない。非常にラッキーな時代に我々は生きていると言ってもいい。あるいは、今生という時間軸でも、全転生という時間軸でも、「やっとこの時が来た」と言い換えてもいいのかもしれないが。

こういった「終末の世」なので、ジロジロマンら低次元と関わる機会もこれで最後になる。今生であっても、来世であっても、もう彼らと一緒の空間にはいられない。

筋トレで言うと、ラスト1セット、ラスト1レップスといったところ。

始める前までは気分が重く、やってる最中も辛かったトレーニングも、気づけば終わりが見えている。そう考えると、「ラスト」に名残惜しさも感じてくるものだ。もう二度と、凝視されることはない。

ジロジロマン達には、「冥途の土産」に吾輩らの「光」を見せてやろう。

吾輩や卿にとっても、ジロジロマンという低俗な存在がいたからこそ、自分を高められたり自分と向き合えたりしたのも事実だ。肥しがなければ、畑は育たない。肥しを注いで初めて、作物を収穫できる。

最後の地球ゲーム、引き続き、吾輩は自分と向き合って行く。輝きは、増すだろう。仕方がないことだ。

卿も、光り輝いていこう。

それでは、今回の終末語りは以上だ。



■参考書籍


『魂のチャート』


『プリズナートレーニング』


※これらの書籍をもとに話を展開している。


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美しい魂を取り戻そう。