第0話 はじまりのおと
ジリリリリリリ…
ジリリリリリリジリリリリリリ…
ジリリリリリリリリリリリリリリ!!!
…わかっている。お前が鳴っているのはわかっている。わかった上で無視をしているということをわかってほしい。
そんな僕の思いを汲みとれるはずもなく、今日も無機質なその音が僕に猛攻を仕掛けてくる。それでも僕は、もう少しだけ無視をすることにした。
好きなことで生きていく。
まだ意識がはっきりしていない頭のなかに、ふとどこからかそんなフレーズが浮かび上がってきた。やたらと最近よく聞くようになったフレーズだからだろうか。それとも無意識のうちに、憧れの念をその生き方に対して抱いているからだろうか。
いや、無意識、ではないのかもしれない。あまり認めたくはないけれど、実際のところ僕はその生き方を強く望んでしまっている。それでもなんか、それを望めば望むほど、何かいけないことをしているような気分になる。
そして何より、今の僕にはやりたいことまだ見つかっていない。だからこその準備期間なのだ。そりゃ僕だって、やりたいことが明確ならばそれに向かって一直線に突っ走れる自信がある。だからいざそれが見つかった時、すぐに走り出すことができる力を、今僕はつけているのだ。
今まで僕は頑張ってきた。大学だって国立大学に行ったし、今の会社だってある程度有名な大企業だ。周りの友人は「凄いね!」と言ってくれる。親だってとても喜んでくれていた。国民の5%にも満たない層にちゃんと僕は選ばれている。なのに…
なのにいつからだろうか。「夢は何?」と聞かれたら、叶いそうな夢を言い、周りが応援してくれそうなギリギリのラインを攻めるようになったのは。希望に燃えて入社した会社でも、あっという間に組織にのまれ、やりたいこともできないままやらなくてはならないことに追われ、学生の頃の友達と久しぶりに会っても昔話しかできず、「現実は甘くないね。俺らもう若くないもんな」なんて苦笑いする。
いつからだろうか。こんなに朝目を覚ますことが嫌になったのは。
ガシッ。
これくらい思考が回転してきたあたりで、僕は目覚まし時計をとめた。今日は月曜日。いつもなら、とうとう来てしまった免れようのない一週間の始まりをすぐには受け入れられず、「少し泣く。」と呟きいったん目を閉じるのだが、この日はあまり悪い気分ではなかった。そして、その理由を僕は知っていた。
さっき見た夢のせいだ。
ずいぶん懐かしい音を聞いた気がする。僕が寝ている間、実際にその音をこの耳で聞いたはずはないが、まだはっきりとその夢に出てきた音と、その音の主が頭の中に残っている。
じいやん。
じいやんとは、僕の祖父のことだ。じいやんという呼び名で呼び始めたのは、紛れもなく僕だった(らしい)。物心がついた時から、僕の中ではおじいちゃんは「じいやん」で、おばあちゃんは「ばあやん」だった。じいやんはその呼び名を「ええやん」と言って笑っていたらしいが、ばあやんは猛烈に反対していたと、後日母から聞いた。
「ええやん」
これはじいやんの口癖だった。幼少期、両親共働きだった僕は、幼稚園と小学校に行っている以外の時間のほとんどをじいやんの家で過ごしたが、その時間を構成する音の4割は「ええやん」だった。
僕がクラスのテストで100点をとった時は、「ええやん」。ビリの点数をとってしまった時も、「ええやん」。好きな人ができたことを言ってみた時も、「ええやん」。少年サッカースクールに通いたいと母親に相談した時も、「ええやん」。
もはや何が「ええ」くて、何が「ええ」くないのかわからなかったが、じいやんが発する「ええやん」の響きはどんな言葉よりも力強く、僕を安心させていたのも事実であった。
そんな「ええやん」を、確かにさっき、夢の中で聞いたのだ。
じいやんの声を聞いたのは何年ぶりだろうか。小学校低学年くらいの頃から、すでに記憶には残っていない。それだけでなく、最近ではじいやんのことを思い出すこともなくなっていた。
時間とともに「悲しみ」を忘れることができるのは、神が人間に与えたこの上ない‘‘機能’’だとは思っているが、あんなに同じ時間を一緒に過ごしたじいやんの記憶も薄れてしまっている事実に、僕は無情さを感じざるをえなかった。
今朝見た夢は、まだ鮮明に頭の中に残っている。夢とは本来、現実では起こりえないような奇天烈な出来事を中心に構成されていることがほとんどだが、今朝の夢は違った。
それは幼少期の僕がじいやんと共に過ごした記憶そのもので、まぎれもなく過去の僕が生きた現実だった。
夢の内容って、時間が経てば自分でも不思議なくらい綺麗さっぱり忘れてしまう。人の情熱もそれに似ている。何か感動する映画や本をみた直後は、「俺もやってやるぜ!」と意気込むけれど、寝て起きたらまぁ何もやらないことがほとんどだった。
僕はとっさにじいやんの夢をノートに記録することにした。この夢を忘れると、もう二度と思い出すことはない。だけではなく、僕にとって、とっても大事なものを失ってしまう。なんとなくそんな気がしたからだ。
そしていつもは、出社時間に間に合うギリギリの時間に目を覚ますのがきまりだが、今日の僕にはノートを書く時間があった。
昨晩確かにセットしたアラームが、なぜか予定の1時間前に鳴ったからだ。
つづく
基本的に記事は喫茶店で書きます。その時のコーヒー代としてありがたく頂戴いたします。