自己紹介
皆様初めまして。ふわりと申します。
関西の少し有名な私立大学に通っている、華の女子大生です。
わたしは少し人と違う人生(あるいは学歴)を歩んできました。
※最初に申しますが、これはひとえにわたしの家が教育に対して、よそよりもたくさんお金をかけてくれたから出来たことです。しかしわたしの家がお金持ちだと言いたいのではありません。教育の必要性をしっかり理解している両親がいたからなしえたことだと、わたしがしっかり認識しているのだとわかってほしいのです。
わたしの人生をおおまかに書いてみます。気になるところだけ読みたい方のために目次を用意しました。
誕生~6歳
わたしは医師家系の長女として生まれました。
わたしは少し物覚えがよかったので、両親や祖父母はみんなわたしが賢いと信じて期待をしてくれました。
わたしは小学校受験をするべく小学校受験の塾に入れられ、幼稚園から帰ってくると母と一緒に足し算引き算の練習をしていました。
4歳の頃には既に母と勉強をしていたと記憶しています。
結局父の仕事の都合で小学校受験は出来なかったのですが、今度は中学受験をしようという話になり、関西では有名な浜学園という塾の入塾テストを受けました。
小学校入学~中学受験を経て
浜学園の入塾テストはどうやら優秀な成績で合格し、わたしは上のクラス(と言っても2つほどだったように思いますが)に入りました。
中学受験の詳しい話は学年ごとに記事にするつもりですが、最後の6年生の時はとてもしんどかったです。それでも無事に受験校すべてに合格し、わたしは県内で一番偏差値の高い共学に進学しました。
※わたしはこのときの判断を今でも思い出して、ときどき悔いていました。あのとき別の選択をしていたら……と思うことが度々ありました。今ではそんなことは思わず幸せに暮らせていますが、今の幸せがなかったらおそらくずっと悔いていたと思います。中学受験は受験校選びも大事ですが、全て受かったらどこにいくのかもあらかじめ決めておきましょう。
中学入学~卒業
中学入学当初、やる気があったので成績は優秀でした。
優秀でしたし、昔から人に慕われる素質があるようで人気者だったと思い出します。
しかしずっとずっと期待されていたことに疲れてしまい、中学3年生の頃には学校に行けなくなり始めました。
ここがわたしの少し輝かしい人生の、挫折の始まりでした。
通信制高校へ
中高一貫校だったので中学から高校にエスカレーターで進学しましたが、わたしは高校入学3か月目になって学校に全く行けなくなりました。
両親にどれだけ怒られても学校には行けませんでした。
6月終わりに通信制高校のパンフレットを母が持ってきました。
「あなたに期待していたものを、わたしたちは1つずつ諦めている」と言われたことを今でも深く覚えています。このときのことも別に記事にするつもりです。とても辛い記憶ですが、同じ思いをしているすべての人にあなただけじゃないよと伝えたいので書きます。
大学受験について
通信制高校に編入学してからは大学合格を目指し一人で勉強を始めました。
周囲の人たちは、前の高校の人たちのような勉強を大事にするという感じではなかったためこの点ですごく苦労をしました。加えて様々な心理的ストレスで高3になって全く勉強が手につかなくなり、なんとか滑り止めの私立大学に合格しましたが第一志望には落ちてしまいました。※今となっては落ちて良かったと思っています!
通信制高校のときのことはまた別で書きます。
仮面浪人と大学中退
結論から言うと、入学した私大は退学しました。
教室に入れなかったからです。
通信制高校は教室に入るという機会がほぼありません。わたしは不登校時代から「教室に入る」というハードルを超えられていなかったのです。
仮面浪人を選択し、1人暮らしをしながら大学受験の勉強を続けました。
結局共通テスト利用で受かった大学に進学することになり、1つ目の大学は退学しました。
2つ目の大学に進学~現在
今はとっても幸せです!優しい友達に恵まれ、過去に苦しむこともなく、とても充実した日々を過ごしています。
今の楽しいことは「日記」と題して書いて行こうと思っています。
この大学に来て本当に良かったと思います。
いかがでしょうか。
興味がある方がいらしたら嬉しいです。
これからわたしの人生史を少しずつ書いていきますので、どうぞよしなに。